私にも、心配してくれる友人がいて「おまえはここ数年とても不幸そうだ。何がお前をそこまで不幸にするのか。」という旨の問題提起をし、しばしば議論に付き合ってくれる。

 

私は過去と現在と未来に絶望している旨を整理して話すのだが、その過程でこのような話をした。

 

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俺は今、幸せじゃないと感じることが多いけど、それでも昔と比べたら文句なしに幸福だよ。

子供のころは、親の庇護を離れて自活する術を知らなかったので、家族の顔色ばかりうかがっていた。

何か家族の中で不和があると、そぞろに気を病み、近くの水神様のお社にお参りし、どうか不和が解消されるようにとお祈りしていた。

 

そのような、知恵も財もなく、祈るだけでしかなかった少年時代の私と比べれば、今の私は幸福だ。

距離を置いていることもあり、家族の問題を、適当な相槌を打って受け流すことが出来る。

自分が得た知恵をもって、不和や我儘を諌めることができる。

自活する術をもっているので、いざとなったら無視することもできる。

 

私に自活する術を与えてくれるという一点において、私は忌み嫌っている会社での仕事にすら感謝できる。

私は、自活する術と社会における立場があればこそ、私を縛り付ける一つの鎖である家族に対して抗うことができる。

 

今はまだ体がちゃんと動くし、幸い重篤な病にも侵されていない。

自分の身体に関するリスクとのトレードオフで考えるならば、未来の私と比べても今の私は幸せな状態なのだろうとも思う。

今の自分は自分の生涯において最も幸福になり得る時期かもしれない。

だが、どうやって幸福になればいいのか、これが分からない。
思索のための時間が足りないのか、周りの目を気にしすぎるのか、はては、自分の自律したと考えている今の生活も、子供の時とはまた別種の我慢や無力感の上に成り立っていると評価しているのか。