『働くぐらいなら食わぬ』

昔週刊少年ジャンプで連載していた封神演義という漫画がある。
そこで、主人公の仙人である太公望が『働くぐらいなら食わぬ』と言っていた。

当時は太公望の飄々としたキャラクターをうかがわせる面白いセリフだと思っていたのだが、ここ数年は結構身に染みるようになった。


メシを減らして労働を減らしたい
働くのがイヤになってから、労働とお金がイコールで結ばれてしまった
大変残念なことに、僕は地主の子供に生まれなかった。
そのため、働いて労働の対価としてお金を得るしかない。
そして、飯を食うとお金が出ていってしまう。
「飯を食う」ことが「嫌な労働をする」ことと、貨幣を介して繋がってしまった。
貨幣のフェティシズムである。
マルクス風に記号で表そう。
W・・・労働。資本論だとWは「商品」だが、労働者である僕にとっての商品という意味と、Workという意味で使う。
G・・・貨幣。これは資本論そのまま。
M・・・食事。メシ(Meshi)のMでありMealのMでもある。
すなわち
WーGーM
である。

都内に不動産を持っていない僕の不労所得は株式投信の配当金くらいなので、G(貨幣)の獲得はW(労働)に依存している。
したがって、M(食事)を減らすことは、生命維持に必要なG(貨幣)を減らすことに繋がり、W(労働)を減らすことに繋がるのだ。
まさに「働くくらいなら食わぬ」である。
僕の太極図だ(意味不明)。

ちなみに、Meshiに限らず、生活に必要なコストを見直して、生活水準を下げることでWを減らして、自由になった時間を楽しもうというのがダウンシフトの基本的な考え方だ。



太公望になるために

とはいえ、食事はある程度までは値段と満足感が比例するため、切り詰めすぎると効用の低下が著しい。
僕が実践してるのは以下の点だ。

①空腹時以外は飯を食わない!
時間だから飯を食うというのはすごく不自然だ。
野生動物は目が覚めてから活動して空腹を覚えてから狩りをして獲物をしとめ、それから食事を取る。
一日3回決まった時間に飯を食うというのは人間が組織化していく中で管理者側のための作られた仕組みだと考えている。
特に昼飯は空腹を感じていないときは食べなくてもいいと思う。
② お米はふるさと納税で手に入れる!
低糖質が流行りだが、安価にエネルギーを摂取できるイネ科の食物が僕は大好きだ。
総務省が返礼品に厳しくなっているが、探せば1万円でお米15キロを返礼品として送ってくれる自治体が結構ある。
地元で取れたお米なんだからお上もあんまり文句言えないものと推察する。

暑さや寒さにすごく強くなって、何も食べないで生きていけるようになるのが夢だ。
そうすれば家も服も食料もいらない。
労働時間を減らして、他のことにリソースを使える。