人間は、無限ではないにせよ非常に多くの可能性が与えられている。

しかし、その可能性を実現するために与えられた時間は短い。

可能性と有限の時間は、多くの場合、挫折と妥協をもたらす。

(昔読んだ漫画で『人間は無限の可能性と有限の時間を与えられた挫折を宿命づけられた存在だ』、というセリフがあった。タイトルすら忘れてしまったが、言葉は強烈に覚えている。)

「人間に与えられた時間」(これを人生と呼ぶのだろうか)を因数分解してみると、身体と生命がくくりだせる。

ここで問題なのは、与えられた時間を全うするためのビークルとして生命と身体があるというのに止まらず、人はその身体と生命の維持に多大なリソースを使うことだ。


睡眠に時間を使う必要がある、食事によりエネルギーを接種する必要がある、暑さや寒さを遮蔽する住処が必要である。

食事と住処は、現代では金銭を対価として購入することが一般的だ。

そして、その金銭は、時間を売却して労働の対価として得ることがポピュラーである。


このように考えると、生命の維持に必要な費用を捻出するために他者のために使わなければいけない時間を控除した、ネットの時間はいったい人間にどの程度与えられているのであろう。
睡眠時間も除くとそんなに残らない気がするのだ。
 

私の苦悩のわりかし深いところに、このような生命の維持のために控除される時間に対するペシミズムがある。

金銭の対価として労働として他者に奪われ、自分の生命と身体そのものに奪われている、私の人生。

太陽と空気と水で生きられる植物と比べて、これはあまりに不幸だと思うのだ。