『教育学における婉曲表現を使うならば「特別」なのだ。』

ダニエルキィスの「アルジャーノンに花束を」に出てきた表現だ。
治療を受けて天才になったチャーリィ・ゴードンも、治療を受ける前の知能障害の彼も、平均や中央値からの乖離で捉えると共通の「特別」という範疇に収まるというニュアンスだったと思う。

幼少期は誰もが世界の中心だ。
相対的に幸福であっても不幸であっても、他者との比較の視点をもつ機会が限定されるので、狭いコミュニティにおける自分の立ち位置が全てになる。

能力面でに劣った部分が多い少年であれば、わりかし早い段階で自分は特別に優れているわけではないと悟り、優劣以外で自己を確立しようとする。
非行や奇行により特別であろうとする者も出てくる。

どこかしらに優れた点があり、勉強であれスポーツであれ芸術であれコミュニケーション能力であれ、自分が依って立つ分野を見つけた少年は、それにすがって特別であろうとする。
ただ、自分が依って立った場所で高みを目指していくと、その道で自分よりもっと上手くできる人間と出会う。
多くの場合、それは限界として彼の頭上にそびえ立つ。
「得意なものがあったこと、今じゃもう忘れてるのは、それを自分より得意な誰かがいたから」

そこで、特別ではない自分に目を向ける必要が出てくる。
特別でなくても、あるがままで愛されてよいことを認識できると、他者との関係性という檻から一歩外に出ることができる。

自身の話をすれば、幼少期から学問で他者より秀でることが私の拠って立つ場所であった。
小中学生までは特段努力をしなくともこの立ち位置を守れた。
高校生くらいになると、他の能力に乏しい自分は、学問すら失ったら後の人生が悲惨だと考えるに至っており、これを守るために相応の時間を使った。
大学になると、自分より学問的に明らかに秀でた人間や、学問は同程度でも他の分野で自分よりも秀でた人間がそれなりにいることを実感し理解した。
それでも劣等の部類ではなかったため、アイデンティティは失わなかった。
働くようになると、他人に気を使ったり合わせたりするのは苦痛であるものの、苦痛とは裏腹にそれなりに上手くできる自分が出てきた。
また、勉強することが求められる仕事を選んできたので、評価もれなりについてきた(ここでいう「勉強」は、新規の知識のインプットを行い、バックグラウンドとして自分が持っている知識を統合してアウトプット(レポートや企画書や提案資料や対外折衝)を出すこと、くらいに捉えてほしい )。
ただ、自分でたいていの仕事に対応できるようになると、組織全体の意義とか、同僚の働きぶりとか、自分に与えられた職務の意義について考えるようになった。
そこでも世間より秀でていないと、自分には価値がないような感覚に包まれた。
が、当然それは自分のマネージできる範囲を超えているので、対応が出来なかった。

評判獲得ゲームはどれだけ突き詰めても終わりが無い。
平均から大きく乖離していない私の人生でも、評判獲得の意思は自分の評価を超えて組織全体や共同体の評価を上げたいという不相応な思いにまで膨れ上がったのだ。

※脱線する話を書くと、「アルジャーノンに花束を」は少年期に聞いていたNHK-FMのミュージックスクエアというプログラムで、パーソナリティの中村貴子さんが薦めていたので読んだ。
確か読書感想文を書きやすい本として紹介されていたので、書く予定のある人にはお勧めします。
※コミュニケーション能力という言葉は陳腐なのだが、様々な場で円滑にコミュニケーションを取ることは生来の才能か後天的に身に付けた技術が無ければ難しいものだと私は考えているので、ここでは前三つと併せて挙げた。