「人は食べ物の奴隷になってはいけない。食物が人間にかしずくべきだ。」

ノンフィクション作家の辺見庸氏の「もの食う人びと」の中で、ポーランドのワレサ元大統領との対談でワレサ氏が語った言葉だ。
退任後も質素な暮らしぶりの大統領が、「最近ではワッフルなどのお菓子も食べるんだ」と気恥ずかしげに語り、著者の「敗北の味も悪く無さそうだ」という評で締められている。
(書籍しか読んだことがないので、ここでは氏のことはジャーナリストではなく作家とした。)

私の考えもこれに近い。
それほど美味いものを食いたいとも思わない。
美味くて客が多くて落ち着かない店よりは、味は劣ってもいいので客が少なくて落ち着ける店が良い。

そもそも外食が好きではない。
自分で作ったほうが好きなように作れるし、価格も安くすむことが多い。
何より一人で落ち着いて食べることができる。

食事の回数も少ない。
ここ数年、一年の半分くらいは1日1食で過ごしている。
朝食を食べなければ頭が働かないというのは私には当てはまらないし、昼食時には腹が減っていないことが多い。
主題とはずれるが、精神状態がおかしかった時は過食嘔吐を2週間に一回くらいしていた。
カウンセラーに言わせると、男の過食嘔吐は珍しいらしい。)

それとは裏腹に、消化器は頑強だ。
海外旅行等で普段食べなれないもの食べても腹を壊したことはないし、食べ過ぎても胃もたれになることはなく、体調不良の時も食欲は衰えない。
もっとも、アルコール依存であった時は毎日下痢をしていたが。

あんまり食事にお金を掛けたくないとも思う。
他の記事でも書いたが、現代人は時間の対価として金を得ているので、乱暴な言い方をすると金は時間とほぼ等価だ。
量的にも金銭的にも燃費が良くなりたいと考えている。
例えば、低糖質食は理にかなっていると思うのだが、金をかけてやるくらいなら私は米や小麦で空腹を紛らわしたほうが良い。

平均的な食事動向と乖離しているので、人と食事したり飲食店の話をすると咬み合わない。
英会話学校で飲食店の話をするロールプレイがあったのだが、自分は職場の近くであるにもかかわらず付近の飲食店をほとんど知らなかったので会話にならなかった。
(そいう時は「いい店を教えてくれ」という会話で乗り切るのだが、教えてもらった店にはきっと行かない。)

人が食うものに口をはさむ人がいるので、相手にすると疲れる。
自分の生活が否定されたと思うのであろうか、否定的なことを言ってくる人が多い。
先日ネットで見た言葉でいいものがあった。
「俺はやり自分がやりたくてやってるんだから、説得してくれなくてええんやで」と。