世間には弱みを見せてはならない。
そこには、弱者を叩きのめし、自分の糧にしようとする者がいる。

世間に隙を見せてはならない。
そこには、抜け目なくそれを見つけ、不意打ちの機会を窺う目がある。

世間を攻撃してはならない。
そこには、受けた屈辱は決して忘れず、末代までかけてでも復讐を成し遂げようとする執念深さがある。

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私がこれまでの人生で一番多くの回数読み返した小説は、太宰治の『人間失格』だ。
以前にカウンセラーとこの話をして、なぜそこまで人間失格を読み返したのか言葉にしてみる機会があった。

「おそらく、主人公の大庭葉蔵が、世間を恐れていたからだと思う。
正直言って主人公それ自体は、裕福な家に生まれながらいじけて生きているような人間であり、苛つく。
ただ、それを補って余りあるくらい、他人を恐れて、それでも他人に理解されたくて道化を演じている、その姿に親近感を覚えたのだ。

『 自分は、実は、ひとりでは、電車に乗ると車掌がおそろしく、歌舞伎座へはいりたくても、あの正面玄関の緋ひの絨緞じゅうたんが敷かれてある階段の両側に並んで立っている案内嬢たちがおそろしく、レストランへはいると、自分の背後にひっそり立って、皿のあくのを待っている給仕のボーイがおそろしく(後略)』

程度の差はあれど、私の中にもこれに似た感情がある。
自分が他人にとって気に喰わないことをして、なにか恐ろしい復讐を受けるのではないかという恐ろしさがあるのだ。

私が、勉学を頑張って程度の良い学校に進学したのは、単に世間に弱みを見せたくないからだったのではないか。
私が、細かい点にも気付くのは、単に世間に隙を見せたくないからではないか。
私が、周囲に気を配ることが出来ると評価されるのは、世間からの攻撃を恐れ、また自分が世間を攻撃し恨みを買うことを恐れて終始怯えているからではないか。 」

笑われるようなことはするなと教えられた。
笑い方は教えられなかった。
私が自分でたどり着いた笑いは、葉蔵と同じ道化の笑いだったのだろうか。


人間失格 (角川文庫)
太宰 治
KADOKAWA/角川書店
2007-06-23