賃金労働は自分の人生の切り売りである。
私の人生は労働力として他人のために使われ、奪われている。

現代の国家は強制労働は禁じている。
然るに、人生を他人に差し出しているのは自分自身だ。
何人も直ちにそれをやめることができる。
このままで良いのか。

生きるための糧を得るために生きる時間を無駄にしている。
そこまでして生きることに意味があるのか。
長生きや生活の安定なんてクソ喰らえだ。
長生きのための我慢は生きたい奴がやればいい。
生活のための我慢はやりたいことがある奴がやればいい。

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この、人生を奪われているという感覚は、一種の啓蒙(エンライトメント)か思想の毒のようなものだ。
一度取り憑かれると離れることが難しい。
私はここ数年来この考えが頭の奥にこびりついて、一日に2度3度リフレインする。
理解できるという人もいたが、こんなことは全く考えないと言う人の方が多かった。

-現在の仕事が楽しい
-長年やってきて愛着がある
-ともあれ働いていればコミュニケーション欲と帰属欲を満たせる
-他人の労働環境と比べれば相対的にマシなので良しとする
-賃金労働で得た資金でやりたいことがある
これらの理由の総合的な値が基準値以上だと、賃金労働も許容できるのだろうか。
それとも何らかの理由で私を含めてこのように考える人間が現代社会に不的確な形質を持っているのか。

私はこの考えを受け入れてから、仕事自体のもたらす楽しみ、技能の習得の喜び、社会的な序列による優越感といった賃金動労が与える多くの物の価値が低下してしまった。
自分は労働者としての自分を正当化するために、上に述べたような価値の幻想を作りだしたのだ。
それとも思想の毒に当てられて、自分を見失っているのか。
いや、フルタイムで働き始めてから悩んでいたことの多くが「人生を奪われている」という感覚で説明できるのだ。

俺の人生は俺のものだ。
家族にも社会にも、誰にも渡さない。
死ぬまで俺が使うんだ。
死んだ後は何も残さないんだ。
一遍もムダにしないように、しゃぶりつくし、食い尽くしたいのだ。

 
VOICE新書 働かないって、ワクワクしない?
アニー・J・ゼリンスキー
ヴォイス
2013-03-02