タイトル:嫌われる勇気
著者:岸見一郎、古賀史健
出版社:ダイヤモンド社

2014年のベストセラーであり、アルフレッド・アドラーの思想を現代日本に広めた本。
私は友人の勧めで昨年の春頃に手にとった。
アドラーの思想はしばしば自己啓発の源流と言われる。
本書の冒頭でも、スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』との類似性が語られる。
第一の習慣である自己リーダーシップ、すなわち反応的に生きるのではなく選択の自由を持っているという意識で行動するという考え方は、本書で言う「原因論の否定」とほぼ等しいアイデアだ。

本書は、悩みを抱えた青年が哲学者のもとを訪れ、二人の対話の中でアドラーの思想が語られる。
この「青年」を軸にしたことが、本書の優れた点の一つだ。
アドラーの思想は人間の根源に関わるものだ。
ともすれば抽象的な「べき論」になりがちな議論を、青年は現代に生きる我々の課題として再定義する。

私はアドラーの原典には当たっていないのだが、本書と続編の『幸せになる勇気』を読んだ。
本書が、「課題の分離」や「承認欲求の否定」といった自分の内面との向き合い方にフォーカスしているのに対し、『幸せになる勇気』は「共同体感覚」などの外界との関係にフォーカスしているように思う。
この内面の課題に対処し、それを外との関係に波及させるというのは、コヴィー言うところの「インサイド・アウト」の考え方の原典なのかもしれない。

◯原因論の否定
アドラーは原因論を否定する。
人が不幸であるのは、不幸な自分を必要としているからだ。
人が怒り激昂するのは、その感情の発露により相手との関係を有利にしようと目論むからだ。
そのように考える。

一見身も蓋もなく見えるが、私には両方とも痛いくらい覚えがあった。
生家を囲繞していた不協和音、それを解決することも出来ず、距離を置く決意も出来なかった。
ゆえに私は、不幸な自分を必要としていた。
精神を病み不安定になり、時に激昂するような言動を職場で取っていた。
その時私は、その不安定により駆け引きを有利にしようと言う思惑が確かにあった。
もちろん、その時々の自分をマネージするのはとても難しい。
ただ、上記のような自分の不幸も葛藤も自分が求めているというパースペクティブを持つことで、自分の感情を客観視出来る。

◯承認欲求の否定
アドラーは承認欲求を否定する。
そして、「他者は自分を満足させるために生きているのではない」と警告する。
その反対に、他人の欲求を満たすために行動することに疑いの目を向け、他者の課題を分離することを提案する。
他人の承認を求め、評判を獲得することを目的とすることは、自分の人生を生きることの否定だ。

このくだりを読んだ時、スティーブ・ジョブズのスピーチでも、自分の為に生きろ、他者の発するノイズに惑わされるな、という言葉があったことを思い出した。
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.
現代で最高の治療を受け得るだけの成功を修め、生への渇望があったジョブズでさえ、病気を克服できなかった。
我々はこのことを真摯に考えなければならない。

他者から評価されるためではなく、自分が求めることを行う。
そして、人を愛するときは自分も愛されたいという思惑に拠ってではなく、自分が愛したいという原理で愛する。
これは非常に本質を付いているように見えるし、ロジカルで理性的だ。
だが、私の目には極めて困難に映った。
前提として、『他者からの無条件の愛で満たさ経験』が必要ではないのか。
それを得ない状態で果たして人は他者を無条件に愛せるのだろうか。

◯人生は連続する刹那である
本書では、原因論を否定し、「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てることを提唱する。
いま、この瞬間を楽しみ、充実させる。
我々の今は過去に作られているわけではない。
そして我々の未来も現在の単純な延長ではない。
人生は連続した刹那としてしか存在し得ない。

この考えをニヒリズムに翻訳すると、ニーチェの言う永劫回帰になるのかもしれない。
延々と岩を山頂に運び続けるシーシュポス。
我々の人生もそうであるならば、岩を運んでいる現在の自分にスポットライトを照てることなしに、どうして生を続けられよう。