左派とかリベラルとかマスコミは、結局叩きやすい的として国家と大企業を叩いているのではないかと思うことがある。
大きい的ほど叩きやすい。
与党の政策はやることなすこと全て悪い、大企業は一般市民を食い物にしている、弱者は常に正しい
そういう主張で過去40年位やってきたんだろう。

高度経済成長期のような、資本が集中する主体ほどその果実を得ることが出来る時代はそれで良かったのだろう。
だが現代ではどうだろうか。
潜在成長率は、労働力、資本ストック、労働生産性(≒イノベーション)で決定される。
労働人口が減少している、そしてイノベーションも従前のような活力を持たない。
そのような時代には、資本が集中している主体ほど相対的に貧しくなる。
国家は社会保障への資金投下を最優先にしなければならず、大企業は様々な団体の要請を受けて本業と関係ない分野へのコミットメントを要求される。
その一方で、社会保障の歪みから、高齢者や低所得者といった一般的に弱者と言われる層ほど投下資本に見合わない恩恵をうけることになる。
皆が貧しくなっていく過程で、有限のリソースの取り合いをしているのだ

この時代に盲目的に国家を叩くのは建設的ではない。
我々に与えられた資源と機会は限られている。
現代の老人と現役世代が予定調和のために資源と機会を浪費すればするほど、次世代の負担が増える。
医療と社会保障のための支出は盲目的に承認するのではなく、命にも優先順位と値段を付けるべきだ。
弱者は無条件で正しいという一見もっともらしい詭弁には疑義を呈するべきだ。

その一方で、叩きやすい的も変遷している。
マスコミの中の人がどれくらい意識しているかは分からないが、現代ではマスコミそれ自身が国家や大企業のような大きな的になった。
ネット上のメディアや、分野によってはまとめサイトのほうが新聞、テレビ、雑誌以上の影響力を持っている。
自身のサブスクライバーに迎合するだけでは、そこに属さない層の反撃を受ける立場になったのだ。