以前に孤独死が嫌だと言った先輩の話を書いたのだが、私はむしろ孤独死どんと来い。
(関連記事:どんとこい孤独死
家庭はいらないと考えている。
もっと言うと、持家もいらないと考えている。
重たいものに耐えられそうにないというのと、会社で働くのが嫌だからというのが理由だ。 
この2つは、私に労働を強いるから欲しくない。

家族はいらない

家族はずっといらないと思っていた。
生家が幸福な家庭ではなかったし、周りに人がいるのが苦手だからだ。
孤独死が嫌だという人もいるが、私はむしろ一人で生きて一人で死ぬことが望みだ。
孤独を嫌う人と孤独を必要とする人間がいて、私は後者なのだ。
また、自分の人生を肯定的に捉えられないので、生命を生み出すことにも抵抗がある
生まれてきてよかったと思っている人が多数派なのかもしれないが、私は生まれてこなければよかったと考える方の人間なのだ。 
妻子を養うために自分が働き続けるなんて考えただけで寒気がする。
自分の子孫も労働に人生を浪費して死んでいくなんて、悪夢のような連環だ。
家族を作る人が多数派なので、少数派の私は少々生き難い場面もある。
だが、ただそれだけのことだ。

家はいらない

家はちょっと前までは物件次第では買っても良いかと思っていた。
値上がりする可能性のある、資産性のあるものにお金を投資するのは好きだからだ。
また、高齢になったり定期収入が無くなると家を借りるのは難しくなるし、そうでなくても賃貸借にあたっては保証人や緊急連絡先等自分一人で完結できないものを求められるので、購入してしまうとその辺の面倒からは開放されると考えていた。
だが、以下のポイントを考えるとやっぱりいらないと考えてしまう。
一つは、ローン返済のためにずっと働かなければいけなくなること。
負債のために働かなければいけないという環境は私にとっては耐え難い地獄だ。
やっぱり資産性の期待できる都心の物件は住宅はローンで購入せざるを得ないくらいの高値だ。
二つ目は、他の選択肢に使う資金がなくなってしまうこと。
橘玲の著書でもあったが、住宅を購入したら個人の資産運用はそこでおしまい
せっせとローンの繰り上げ返済に回すのが最善の投資行動ということになる。
三つ目は、住居に金を使うのが惜しいということ。
住居のためのコストを減らせば、その分労働時間を減らせる
労働時間が減れば、その分自分が望む活動に時間を使えるようになる。
ここらへんは坂口恭平の影響だ。

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pha氏の「持たない幸福論」だと、上記の二つの考え方はもっと別の側面から書かれていた。
家庭についての考え方は面白かったので簡単に紹介する(以下は要旨をまとめて書いてます)。
「恋愛結婚で結ばれた男女とその子供、という現在の家族のスタイルは、戦後のイエに縛られた人間を開放した。
その反面、育児や介護といった難題も家庭内で完結させるべきというタフな自己責任論を作りだした。
これは親世代が結婚した時にはあまり意識されていなかった問題だ。
だから、親世代の結婚観や家族間を所与のものとするのではなく、自分がどうしたいかを改めて考える必要がある。」

私の考え方の根底にあるものを見つめてみると、家族と持家の否定の大部分が労働苦により構成されている。
賃金労働への憎悪が、人生への嫌悪を生み出している。
賃金労働への憎悪が、消費の場としての家庭を重たいものとしている。
賃金労働への憎悪が、不動産の所有によりもたらされる種々の制約を受け入れがたいものとしている。

仮に賃金労働以外で自活の道が立てば、案外と簡単に考えを改めるのかもしれない。
そこに至るまでが簡単ではないのだが。