まだ何回も迎えていないが、療養に入ってから月曜日が怖くない。

恐ろしい日曜の夜

働き始めてからというもの、毎週日曜の夜が辛くてたまらなかった。
いわゆる「サザエさん症候群」だが、日曜の夕方くらいから翌日以降の仕事の事を考えてどんどん憂鬱になる。
働き始めたばかりの頃は、日曜の22時以降に放送される「中居正広のブラックバラエティ」や「ガキの使い」を楽しむ余裕があった。
しばらくすると、2ちゃんねるのリーマン板を覗くようになった。
「おい、もう休日もう終わりかよ!?」というスレッドがあり、そこには翌日以降への不安を語る者社畜乙と煽る者粘着するコテハンなどがいた。
「あぁ、月曜が辛いのは俺だけじゃないのだ」ということが分かり、随分と励まされた。(※1)
いつしかそれだけでは足りず、酒を飲まなければ眠れなくなった
夜が更けても眠れず、3時を過ぎてから追加の酒を求めてコンビニに走った日もあった。

 
大学の時は少なくともこのような感情は無かった。
お気楽な法学部生だったからかもしれないが、翌週以降の講義やゼミが不安や嫌だと感じたことは無かった。
明日が今日より良い日かは分からないが、少なくとも来てほしくないと思うほど嫌悪すべき対象ではなかった。
では、高校生までの時分はどうだっただろうか。
決して幸福で満たされた日々ではなかったが、働き出してからほど月曜が嫌だった記憶もない。
中学時代の私の方が今よりもタフだったのだろうか。
それとも、 逃げ出す術が無かったので、思いもつかなかったのだろうか。

『アーサーの夜』、または金曜の夜を失うということ

『長距離走者の孤独』アラン・シリトーは、自身と同じような英国の労働者階級の青年を主人公とした『土曜の夜と日曜の朝』という作品を残している。
主人公のアーサーは土曜の夜について以下のように底抜けに肯定的に語る。
『だって土曜の夜じゃないか。一週間のうちの最高の、いちばん心はずむ陽気な晩。1年365日の重苦しいでかい輪の中に52回しかない息抜きの晩。』
沢木耕太郎は、本書を下敷きにして『アーサーの夜』(『地図を燃やす』(文春文庫)収録)という短いエッセイを書いている。
沢木は大学卒業後に入社した会社を初出社日に辞め、その後は職業的なルポライターとして活動している。
そのため「土曜の夜が待ち遠しかったのは、高校の時期が最後だった」と述べている。
これだけであれば素直に羨ましいと思うのだが、話はそう単純ではない。
フリーランスの文筆業として生きていると、仕事が一段落つくまでは、土曜も日曜もないような日々が続く。
そのため、『アーサーの夜』の中では「土曜の夜」を懐かしむ気持ちが語られている。(※2)

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私が向かう先は、はたして再び日曜の夜を恐れる日々なのか。
または、金曜と土曜の夜の楽しみを失う日々を選ぶことになるのか。
許されるならば、もうしばらく日曜の夜が特別ではない日々で、心を直したいと思う。


※1.執筆時に久しぶりに訪れたが、現在は192スレまで来ていた。だがかなり閑散としている。これまで忘れていたのを棚に上げて、身勝手な喪失感を覚えた。
※2.両者の時代には、土曜は半ドンだったはずなので、現代に生きる私達にとっては金曜の夜もここで言う「土曜の夜」に該当すると考えて良いだろう。

↓両方とも絶版みたいです。執筆時点では中古の出品者がいました。

土曜の夜と日曜の朝 (新潮文庫 赤 68-2)
アラン・シリトー
新潮社
1979-12