こちらの記事で書いたとおり、先月末から出社できなくなってしまって、療養している。
2週間くらい経つと、会社に行ってた頃に感じていた対処不能なしんどさが落ち着いた。
例えば、辛さ、落ち込み、苛立ち、過剰な他罰感情、過剰な自罰感情、他人が自分を貶めようとしているという意識などは、だいぶ落ち着いた。
一日中誰とも話さなくて良いのだから当然かも知れない。

幸いなことに、集まりの場があれば心配した友人が呼んでくれるので、自分が気の置けない人物とだけコミュニケーションを取ることが出来るという、なんとも恵まれた環境にいる。
ただ、そこで付き合いの長い友人から「あんまり楽しそうに見えないけど大丈夫か?」と言われた。
なんてこったい。そう見えるとは意外だった。

◯療養生活は楽しくないのか

心から楽しいかと言われれば微妙だが、療養生活は少なくとも辛くない
一方、先月までは辛くて仕方がなかった。
確かに、今のところ復帰できるイメージは全く無いので不安はある。
だが、数年過ごすだけの蓄えはあるので、差し迫っているわけではない。
(もちろん、未来の安定のために現在を殺すような生活を長いことしてきたので、この割り切りは私には結構困難ではある。)

◯療養生活は刺激が無いのか

刺激がないのは確かなのだが、刺激と軋轢に疲れてしまったので、この環境は今の自分には必要なのだとも思う。
だから、外からの刺激ではなく、自分の内なる火で暖まる「働かないって、ワクワクしない」より)ことを目指している。
集中力はまだ全然戻っていないと感じるのだが、これまでやりたかったけれどできなかった活動をいくつか初めてみた。
UTAUとMMDを始めてみたり、自分でサーバーを借りてドメインを取得してウェブサイトを作り始めた。

◯なんで「楽しくなさそう」なのか

逆説的だが、「自分が大嫌いな労働を一時的に免れている」からこそ、楽しそうにしていないのだと思う。
私は労働は嫌で嫌でたまらないことだと考えている。
それゆえ、他者はその苦役に耐えているのに、自分が一時的にとは言えそれを免れていることに罪悪感があるのだ。
いや、おそらくそれは罪悪感と言うほど立派な感情ではない。
労働を免れている自分が楽しそうにしていると、労働に耐えている先月までの私のような人間が、嫉妬して攻撃して来ると考えているのだ。

行き場のない活力が飢えているわけでもない、 勤労の美徳が罪悪感をもたらしているわけでもない。
ただただ、少し前までの自分のような、大嫌いな労働に従事している人間の顔色を伺って楽しくなさそうにしているのだと思う。