先日、マーク・ボイルという人の書いた『ぼくはお金を使わずに生きることにした』(訳:吉田奈緒子、出版:紀伊國屋書店)という本を読んだ。
英国ブリストル在住の若い活動家が、1年間お金を使わずに生活した経験を記した本だ。
(紹介記事は改めて書きたいと思います。)

私は、働くことが嫌になりすぎてお金を使えなくなった人間だ。
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だから、本書で著者が試したようなお金を全く使わない生活が救いになるのではないかと思ったのだが、自分には難しそうだと感じた。
何故かと言うと、著者のやり方だと、お金を使わずに生活するために濃密なコミュニケーションを必要としているからだ。

マーク・ボイルの金無し生活

金無し生活の中で著者は、自給自足の取り組みをしつつ、他者からゴミになるものを譲ってもらう
「善意にたかることが目的ではない」ので、飯をおごってもらうことは特別な場面以外では辞退する。
だが、サイトで協力者を募りキャンプ場では使えなくなったトレーラーハウスを譲ってもらって住居としたり、商店の処分品を譲ってもらえるよう交渉したりする。
これにより「お金を使わないでも豊かに暮らせる」ことを一定程度実証するというものだった。

私がお金が欲しい理由

私が、金銭を得る手段である労働を嫌悪しつつもお金が欲しくてたまらないのは、お金はコミュニケーションを代替してくれるからだ。
少なくとも日本では、お金があれば人と全く話さずにモノやサービスを入手できる
海外でも都市部であれば、ふっかけてくる人間を排除して多少割高でも値札の付いた店で購入することが可能だ。
人と話さないでも欲しいものが手に入るというのは、よく考えるととても不自然だ。
ともすれば、分業の度合いが高まった結果、仕事にやりがいを見出し難くなっていることと表裏一体なのだと思う。
だが、誰とも話さなくても欲しいものが手に入るというのはとても快適なのだ。
とはいえ、金銭を介することで財物の入手の際にコミュニケーションを排除できるとしても、金銭を得るためにしている労働の中ではコミュニケーションが必要だ。
収入を得て消費するというフローで見ると、コミュニケーションを排除するためにコミュニケーションが必要になるという自家撞着に陥っているのかもしれない。

私がなりたいのは現代の資本主義に疑義を投げかける活動家ではなかった。
私はただ一人でいたいだけなのだ。