タイトル:人を信じられない病 信頼障害としてのアディクション
著者:小林桜児
出版社:日本評論社

依存症(アディクション)の背景には人間不信があるという仮説に立って、依存症者に見られる傾向や目指すべき方向が述べられている。
著者は、慶應義塾大学文学部卒業後、信州大学医学部を卒業した現役の精神科医だ。
現在は、依存症治療の専門医として臨床にあたっており、本書でも臨床例の紹介が豊富に出てくる。

筆者によれば、現代の精神医学では、依存症は遺伝的要因脳障害によって説明されるとのことだ。
アディクションを発現しやすい遺伝子の組み合わせを持った人間が、実際に依存物質を使う中で脳に対する害が進行し、やめたくてもやめられない状態になる、という理屈だ。
だがこの論理は、依存症者が依存行動を10年以上絶つことができたが、その後に再び依存症になるような場合の説明として弱い。
本書では上記とは異なるアプローチとして、依存症者の抱える「生き難さ」に着目する。
そして、「人間を信頼できないからモノに頼る」という論理が依存症の背後に見られることを指摘する。

依存症者の抱える「生き難さ」

筆者の勤務先である神奈川県立精神医療センターの臨床例から、依存症者の生育過程をに関する統計が示される。
傾向として、覚醒剤や多剤(睡眠薬とアルコールの併用など)といった、反社会性・衝動性の高い行動の依存症社は、非行、虐待、少年期における親との別離といった「明白な生き難さ」を抱えている。
一方で、アルコールや危険ドラッグ(2012年の臨床例に基づく統計なので当時は合法(脱法))のような、合法な薬理物質の依存症者は、家庭の不和や持病といった「暗黙の生き難さ」を抱えている傾向がある。
以下の例のように、これらの「暗黙の生き難さ」は通常は外部から見て分かりにくい。
・絶対君主である父親の期待に答えなければならないというプレッシャーがあった
・問題のある父親の世話をしている母親を少しでも楽にしてあげなければという思いから、自分の欲求を押し殺して青少年期を送ってきた
・不仲な両親の間に立って気を配り、祖父母から頻繁に生活ぶり詮索するような問い合わせがあった
また、「暗黙の生き難さ」を抱えた依存症者は、ハードドラッグの依存症者と比較すると、高校や大学で中退する割合は低く、その後も会社員等として適応できている場合が多いと言う。

「生き難さ」ゆえの人間不信

「暗黙の生き難さ」を抱えたソフトドラッグの依存症者はみずからの「不安」と「不満」を周囲に言語化することができない
依存症者でなければ、音を上げたり不平を言うようなシチュエーションでも、我慢し「過剰対応」する。
その根底にあるのは、「相手に嫌われるのが怖い」「口答えしたらヒステリックな反応が返ってくる」「言っても聞いてくれない」といった、自分の感情を周囲に受け止めてもらうことへの「諦め」だ。
過去に経験した「暗黙の生き難さ」の中で、諦めざるを得ないような絶望を味わっている。
それゆえ、問題が発生しても自分で対処しなければならないと考えている。
感情適応の中で、他人に頼れないからモノに頼ることになる。
そして、問題への対処が限界になったとき、依存物質の必要量が増大し依存症が発現する。
依存症者は我慢強い。
通常なら音を上げている状態であっても、他人が解決してくれるとは考えられないから決して弱音を吐かない。
酒や向精神薬をあおり、自分で対処しようとするのだ。

少し原因論的に過ぎるという指摘もあるかもしれない。
だが私は、この本は自分のために書かれたのではないかと思った。
特に以下の記述については我が身に照らして涙が出た。
”アディクトにとって「他者」とは自分に危害を加えたり、プレッシャーや不安を与えたりして何らかの苦痛を強いる存在、常に気を遣い、我慢しなければならない相手でしかない。彼らが「恋人」や「親友」、「兄貴」などと呼ぶ「他者」も、完全に安心できるわけではない。常に相手の機嫌を伺い、相手に負担を与えないよう配慮し、相手の期待に答え続けなければ見捨てられてしまう、という潜在的な不安と表裏一体の存在なのである。だからこそ(中略)アディクトたちは基本的に「人」と一緒にいると疲れるのであり(後略)”

”典型的なアディクトが依存症の専門医療につながるのは、そこまでアディクションの病理が進行してきた頃である。アディクトは始め頼りたかった「人」に裏切られ、今や頼りにしていた「物」にも裏切られている。それでも、本当に苦しい時に「物」はかつて自分を助けてくれたという記憶は残っている。「人」に助けてもらった記憶はない。

どうやって依存症と向き合うか

依存症への対処として、背景にある生きずらささを見つけることが述べられている。
すなわち、依存症者が、過去にあった「生き難さ」と似たような状況に現在置かれていないかという視点で現状を見ていくのだ。
本書では、少女期に自分の行動が親から正当に評価されなかったという認識を抱えた女性が、現在会社における上司の評価が不公正であることにストレスを感じているという症例が示されていた。
それ以外の部分は、援助者の気をつけるべき点やグループセラピーの利用等が書かれており、自助的にできそうなことには言及されていなかった。

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私は、自分は一人で生きていけるほど「孤独」には強いと考えていた。
そして「他人」がいると休まらないから仕事が嫌いで仕方ないのだと考えていた。
だが本書を読んで 、仕事は私の抱える「暗黙の生き難さ」を追体験する場の一つに過ぎないのではないかと考えた。
仕事の問題を別にしても、人が生きるためには、他者に頼って、信じて不平や不満を言うことが必要なのだろうか。
この考えは、目下、私にとっては希望ではなく絶望として映る。
自分が他者を心から信頼できるイメージが、逆さに振っても出てこないのだ。