30歳前後の時分から、ずっと考えている。
なぜ望んでもいないのに産み落とされ、労働や人間関係で疲弊しながら生きるのか。
答えは出ないのに、ぐるぐると、ぐるぐると。

きっかけは労働苦だったのだと思う。
もう10年間働いてきたが、どうしようもなく疲れてしまった
朝決まった時間に起きるのが嫌だ。
わざわざ電車に乗って事務所に通うのが嫌だ。
案件を上司に説明して決裁を得るのが嫌だ。
社外の関係者と話すのが嫌だ。
社内の関係部署と話すのが嫌だ。
昼飯を家で食べられないのが嫌だ。
振られる仕事に対して選択権が無いのが嫌だ。
そもそも人と話したくない。

生命の維持という呪い

労働を憎むようになってから、衣食住は呪いだと考えるようになった。
生命の維持に必要なものを、現代では金銭を対価として得る必要がある。
持たざる者として生まれた自分は、労働により金銭を得るしか無い。
だが、私はその労働がたまらなく嫌なのだ。
物が欲しい、美味しいものを食べたいと思った時も、目の前に職場のイメージが出てきて欲しくなくなってしまう。

食事は安価なものしか食べたくなくなった。
低糖質に凝っていた時期もあったが、ふるさと納税で手に入れた白米に塩を振って食べるようになった。
茶やコーヒーにお金を使えず、水道水で済ませることが増えた。
自分が嫌な嫌な思いをして得たお金が減ると思うと、まるで自分がすり減るようで、飲食に気持ち良く金が使えなくなった。
食の楽しみを失った。

服やデジタルガジェットは引き続き好きだが、おいそれと買えなくなった。
買うつもりで店に入ったのに、そこでも自分がすり減る感覚が押し寄せて来て、結局買わずに帰ったりした。
壁に頭を打ちつけ、惨めな自分に罰を与えた。

移動にお金を使う時に、100円、200円を真剣に惜しむようになった。
旅行もしたくなくなった。
地下鉄の乗換駅で、別の路線に乗り換えなければいけないのに呆けて改札を出てしまったときは、無駄にした160円のことを思い致命的な失敗のように悔やんだ。
壁に頭を打ちつけ、愚かな自分に罰を与えた。

家は私にとって一人になれるとても大切な場所なので、これだけはまだ削れない。
住人の質(隣人関係のトラブルは一番苦手な部類)、通勤時間(長い電車通勤は苦痛すぎる)、水回りの綺麗さ(不潔恐怖みたいな節がある)には、私はまだお金を使えるようだ。

金銭、労働、モノ、これらが繋がってしまってから、嫌な嫌な労働の対価である金銭が、私にとってとても貴重なものになってしまった。
そして、持たざるものである私を、以前よりいっそう惨めな存在に変えてしまった。
関連記事:働くのが嫌でケチになった


なぜこんな思いをしてまで生命を維持しなければいけないのだろう。
そもそも自分が望んで生まれてきたわけでもない。
自分の親が、当時の常識と本能に忠実に行動しただけだ。
二人とも生涯未婚率が5%を切るようなクレイジーな1980年前後に結婚した人だ。
マイノリティ5%に入るのは理由と覚悟がいる、それは分かる。
生殖は本能であり、僕らは子供を作るようにプログラミングされている。それももっともだ。
だが、二人は世間並みの幸せを求めたのだろうが、幸福とはほど遠かった。
生まれた僕も労働苦で死にたい死にたいと言っている。

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解決方法はきっとシンプルだ。
自分が苦じゃない方法でお金を稼げばいい。
だが、実行に移す度胸がない。
死ぬまでこのままな気もする。
砂漠の砦に生涯を捧げたドロンゴ中尉みたいにね。



一時期、会社で働かないで生きている人の本を読みまくっていました。
この2人は自律して生きていて、とても面白い。
 
 


淡々とした文章なのに、読んでるあいだ何度も頭をガツンとやられるような感覚になる。
砦は人生そのもののメタファーだ。
これじゃあんまりじゃないかという気分になる。
タタール人の砂漠 (岩波文庫)
ブッツァーティ
岩波書店
2013-04-17