認知療法の本を読むと、「自己評価の低下」はうつ状態の人に典型的な認知の歪みだという。
自分のことを無価値に感じる
自分は生きていてもしょうがない
自分が嫌いだ
そのように考えてしまうという。

どういうわけか、私はあまりこういう感じ方はしない。
死にたいと思うことはあるが、それは自分が嫌いで無価値だと感じるからではない。
程度の良い大学を出て、仕事で評価された経験があり、収入も平均以上なので、自分はかなり有能だと思っている。
私が死にたいのは、労働をしなくては生きられないことや人間関係が苦痛で、そこから逃れたいからだ。
私は自分が大好きで、自分以外が嫌いなのだ。
だが、そのような自己評価とは裏腹に、自分はとても気持ち悪い存在だと考えている。
自分は誰からも愛されず、自分に愛情を向けられると相手は気持ち悪い思いをすると考えている。

自分の顔が好きではない

一つ考えつく要因はだ。
私は自分の顔が好きではない。
知識や体型は自分の意志でどうにかできる部分があるが、顔は整形しない限り変わらない。
20代の前半までは、服や髪型には相応に気を使っていた。
洒落た服や小奇麗な髪型を身につければ、自分の顔も雑誌のモデルのように美しくなるのではないかと錯覚していた。
実際はそのようなことはなく、新しい服に袖を通すたびに、そこから生え出た自分の顔に対する違和感に悩むことになった。

他人は自分の欠点を許さない

もう一つ、自分では肯定できていても、他者は自分の欠点を肯定しないだろうと考えているためかもしれない。
私は明るい人間人付き合いの好きな人間を馬鹿にしつつも、多大なコンプレックスを抱いている。
コンプレックスも含めて自分なのだと、自分の中では肯定している。
だが、それと同時に、明るさや人付き合いの良さは、万人が愛する要素だという認識を持っている。
私が私を愛するのは主体と客体が同一だからであって、他者の視点から自分を見たら自分は否定されると考えているのだ。

困難の拒絶のための愛情の拒絶

最後に、自分は他者から愛されたくないのだろうと考えることがある。
私の育った家庭はそれなりに問題があって、私の「暗黙の生き難さ」の土台になっている。
だが、生家は困難な場所だったが、同時にそこで愛された思い出もある。
同じ人間が、私に愛情と困難の両方を与えた。
相対的に重たかった困難と苦痛の記憶がハイライトされ、困難を拒絶するために愛情も拒絶するようになったのではないか。

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現実的な対処としては整形が一番良いのかもしれない。