常々、憎悪や嫉妬といったマイナスの感情と親友になりたいと考えていた。
これらの感情は方向はマイナスだが、とても強い感情だ。
憎悪や嫉妬をモチベーションにすることで、他者に打ち勝ったり、自分を高めることができればそれはとても素晴らしいことだと考えていた。
マイナスな感情に蓋をして、そのように考える自分は劣等な人間であると自分を責めるよりは、外界と戦い自分を高めるための原動力とする方が良いと思う。
綺麗ごとを語る者達はマイナスな感情を悪しきものとして排除しようとするが、俺はお前たちと共に生きるぞ。
そのように考えていた。



ちょっと前から、マイナスの感情を行動を拠り所にするのはやっぱり良くない面もあるなと考えるようになった。
なぜかというと、反応的だからだ。
「反応的」という考え方は、以前に読んだコヴィーの『七つの習慣』で知った。
コヴィーは、第一の習慣として『主体性を発揮する』ということを挙げ、人は誰しも、外界からの刺激とそれに対する自分の反応の間に選択の自由を持っていると説く。
そして、外界からの刺激に対応するスタンスとして、「自分の価値観に基づき行動する」態度を主体的であるとし、「その時折の感情、条件付け、環境などに左右される」態度を反応的であるとする。

こんな下品な人間は大嫌いだ。
金持ちに生まれて何の苦労もせずに生きてきた人間が妬ましい。
幸福な家庭で育った人間が羨ましい。

これらの感情は、仕事や学問において時に強力なモチベーションになる。
ただ、外界からの強烈な刺激をエネルギーに転換しているので、引き出される行動は反応的なものになりがちだ。
それが本当に自分が求めていることなのかは良く考えないといけないと思う。


嫌いな人間に打ち勝つために仕事や学問を頑張るとする。
→その過程で自分が当初やりたかったことを見失っていないか。

自分よりも幸福な人間を妬み金銭的な成功や幸福な家庭を得ようとする。
→自分の幸福が本当に金銭や家庭にあるのか考える必要はないだろうか。両方とも、得難く失いやすいものだ。

 マイナスな感情であっても排除せず、共に生きたいと思う。
だが、流されて反応的にならないこともよく覚えておきたい。

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皆様、本年もよろしくお願いいたします。