タイトル:孤独の価値
著者:森博嗣
出版社:幻冬舎新書

作家の森博嗣氏のエッセイ。
孤独について、著者自身が常々考えていることを述べられている。
私は『すべてがFになる』『スカイクロウラ』も読んだことがない。
ただ、カバーに書かれていた「『孤独』を忌避する考え方は、マスコミや絆を売り物にしたい側の誇張によりもたらされている」という主張に我が意を得たりという思いがして衝動買いしてしまった。
孤独を嫌う人を対象に書かれているので、私のように一人でいるのが好きな人間は「そんなことは分かってるよ」と感じる点も結構あった。
私と同類の方は、「一人でいるのが好きな自分」を肯定するための材料として読んでいくと元気が出ると思う。

ステレオタイプの感動

本書では、映画やドラマといったエンターテイメントが、感動に訴えやすい「家族愛」「仲間との絆」を題材とした作品を作りがちであり、あたかもそれらが絶対的な価値観であるかのように錯覚させていると指摘する。
そして、人類において少数派であったとしても、仲間や家族が人生のトッププライオリティでなくても異常ではないし、家族や仲間がいなくとも、芸術や学問のように人生を捧げるべきものを持っている人間は豊かで自由だと述べる。

考えてみれば、私は「家族は愛さなければならない」「友人が少ないと人間的に劣っている」という刷り込みに多分に惑わされてきた。
小学校でも「道徳」(この科目はいつ見ても意味不明)の授業でこれらの価値観を繰り返し刷り込まれ、行動評価の項目にもなっている。
以前に友人と意気投合したのだが「1年生になったら」の歌は暴力的でグロテスクだ(別にひでが歌ってたからじゃないよ)。
一年生になったら  一年生になったら ともだち100人 できるかな
100人で 食べたいな  富士山の上で おにぎりを
「友人は多いほど良い」「友人と一緒に何かをするのは楽しい」という価値観を押し付ける。
他人といると疲れてしまう人は異常なのだろうか、一人で行動することを好む人間は劣等なのだろうか
この歌を覚えた児童の一部は、後の人生でこのような煩悶に出くわしているのではないか。

人間は無意識に孤独を求めている

本書の終盤で、孤独を忌避する考え方はメディアや経済界が生み出した虚構であると、多くの人がすでに気づいていると述べられている。
結婚しない、または子供を持たないという選択肢をとる人間が増えたのは、社会制度の不備だけが原因ではない。
「社会的な押し付けが無ければ一人でいたい」という人間が、素直にそのような人生を生きるようになったのだ。
田舎から都会への人口流入が止まらないのは、都会では一人暮らしや核家族が許容されるからだ。
高い住居費や子育ての不自由さがあっても、生家からの自由にそれ以上の価値を置くからだ。
そのように述べる。
以前に世帯数の数字を見たときに2世帯同居の崩壊と核家族・単身世帯の増加に言及したが、社会的な強制が無くなれば、イエは自由を求めてどんどん小規模になるのかもしれない。
リンク: 日本の世帯数の30年前との比較と若干の考察 

都市の生活は孤独と自由を与えてくれる。
人々は隣人に無関心でいてくれる。
コミュニケーションを取らずともシステマティックにモノやサービスを提供してくれる店が多い。
宅配便以外の来客はオートロックで拒めばよい。
私もまた、都会のもたらす孤独に大変心地よく漬かっている人間の一人だ。