昨年の末くらいにデンマークの心理療法士が書いた『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』(著者:イルセ・サン、邦訳:枇谷玲子、出版:ディスカヴァー・トゥエンティワン)という本を読んだ。
HSP(Highly Sensitive Person、非常に敏感な人)という概念について説明して、HSPの特徴や陥りがちな悩みと対処法について述べられている。
ざっくり分けると、人間の5人に1人がHSPに該当するとのことだ。

冒頭にHSPのチェックテストがあり、60点以上の場合はHSPの可能性が高いとするテスト(-52点~140点でスコアが出る)で、私は73点だった。
設問を幾つか紹介すると、「音や匂いに敏感」「人といると疲れる」「一人でも楽しめる」「誰かが怒っているとそれが自分に向いていなくてもストレスを感じる」等には当てはまったが、「暴力シーンが苦手」等の項目は当てはまらなかった。
(『時計仕掛けのオレンジ』の浮浪者や作家をフィリーするシーンは大好きだ。)
本全体でも、自分に当てはまる内容とそうでないものがあったが、「社会は鈍感でタフな人間の価値観で作られており、繊細さなどが過小評価されている」という指摘には救われた気がした。

考えてみれば、昔から悲しい物語が苦手だった
HSPの気質がある人間としては、登場人物の心を推し量って必要以上に共感してしまうのかもしれない。
悲しい物語の中でも、理不尽に襲いかかる暴力に対して助けが差し伸べられないような話を特に苦手としていた。
例えば
無実の罪で罰せられる
自分や愛するものが被害を受けたが加害者が罰せられない
理由なく悪意の標的になる
といったものは続きを見るのが辛くなってしまう。

橘玲が「心は社会的な動物である人間が群れに適応して子孫を残すためのシミュレーション装置だ」という旨のことを書いていた。
群れに適合して生きるために他人の感情や思考をシミュレートする機構が心だとすると、共感性と繊細さに優れた人間は有利な道具を持っているとも言える。
実際、自分が折衝や調整に長けていると感じたことがあるし、それが評価につながった経験もある。
だが、それとは裏腹に心は疲れていた。
シミュレートした他者の感情や主張に、押しつぶされそうになる
ひたすらに放っておいて欲しいと思うようになるのだ。

『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』では、HSPは生まれもった気質であるということが書かれていた。
ただ、私はこれには結構後天的な要因も作用しているのではないかと思った。
逆説的だが、人間不信や他者への恐れが強い人間ほど、敏感な心を持ち、他者の顔色をうかがうようになるのではないだろうか。