最近、流行ってた時期に読もうとして挫折したマイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう』を読んだ。
これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) [文庫]
 
同書は、正義に関わる価値観として幸福、自由、美徳の3つを挙げて、それぞれに関する思想を辿るような構成になっている。
例えば、幸福という軸ではベンサムなどの功利主義が紹介され、自由という軸ではリバタリアニズムやカント(以前の挫折の原因)が登場する。
その中の自由に関する議論では、格差と再分配が取り扱われている。

経済的な便益について考える場合、自由と平等は相反する価値だ(「経済的」以外の観点だと、「基本的に」相反する価値だ)。
自由に重きを置けば政府による所得の再分配は強制労働に類するものとして排除すべきだし、平等に重きを置けば格差の是正として政府による富の再分配が求められる。
再分配については、私の中には相反する2つの感情があり、それぞれが私の属性に還元できる。
市民(現役世代・平均よりいくらか上の所得層)としての私は再分配を否定したいし、相続財産を持たない者としては再分配を求めたい。

市民としての私

だいたい給与の24%ぐらいが源泉徴収される。
税が公共サービスの運営に必要だということは理解できるし、病気になることもあるので健康保険料の恩恵にもあずかっている。
もちろん、手放しで許容できるわけではない。
特に高齢者医療のために組合・協会健保(現役世代)から国民健康保険にかなりの金が流れている点はもっと意識されるべきだ。
(こちらのサイトの解説が詳しくためになった
(健保連の公表資料はこちら

ただ、一番納得いかないのは年金だ。
給付水準が下がることが予想される制度に無理矢理入らされ、自分の拠出した金が高齢者のために使われると言うのは腹立たしい。
よく、年金について「還ってくる」という表現が使われるが、積立方式ではなく賦課方式の年金では正しくない
我々から取り立てられた保険料は、現在の高齢者への給付に「使われている」のだ。
我々の世代への給付は、あくまで私達が受給者になった時の年金財政によって決まる。
面白いことに、ロンドン・ビジネス・スクールのリンダ・グラットンも投資銀行OBの藤沢数希も、先進諸国の年金制度の現状はねずみ講(ポンツィ・スキーム)だと指摘してた。
また、厚生年金の基礎年金部分と国民年金は財源を共有している(橘玲が著書で指摘していた)。
すなわち、給与所得者で厚生年金に加入している場合でも、未納率が極めて高い国民年金とちゃんぽんされているのだ。
(おそらく6ページ目の厚生年金歳出の「基礎年金給付費等基礎年金勘定へ繰入」がそうだろう。

以前書いたが、日本では少子高齢化で2003年に社会保障制度改革の最終電車は出発している。
(50歳以上の人口が有権者で多数派になると社会保障制度を縮小する方向での見直しは不可能になるということ。)
関連記事:橘玲「お金持ちになれる黄金の羽根の広い方」の感想文(後編) 
私たちは所得の続く限り、このネズミ講に付き合い、自分たちより幼い世代を巻き込んでいかないといけない。

相続財産を持たないものとしての私

大学に入って、周りに裕福な家庭の子女が多くてとても驚いた。
上場企業勤務、大学教員、はては政治家の子供もいた。
また、働くようになると、親世代が収益不動産を保有していたりする人が何人かいてさらに驚いた。
年収100万円生活の著者は、持ち家と相続した収益不動産(賃貸マンション)があるのでそもそも自分とは前提の違う人だった。
書評は書いたけど、実はむかつきながら読んだ。
関連記事:山崎寿人「年収100万円からの豊かな節約生活術」の感想文 
私が親世代から相続できそうなものは対応に困る田舎の一軒家くらいなのだから。

ピケティの「21世紀の資本」では、世代間の格差より同世代の中の格差が問題視されている(「21世紀の資本」は読んでいないがアゴラの池田信夫氏の解説書で読んだ)。
その理由は、世代内の格差は相続を通じて再生産されるからとのことだ。
確かに、世代内の格差のほうがより本源的な問題だとは思う。
相続財産が無い貧しい家に生まれても、教育や医療において優れた公共財の恩恵を受けられれば機会の平等はある程度担保される。
ただ、「親世代から引き継ぐ資産」という個々人の資質や人格から離れたものに大きな差があるというのは、感情的にどうしてもひっかかる。
持たざる家庭に産み落とされた者としては、相続税率の引き上げや資産規模に非対称的(富裕層ほど利用しやすい)な節税手段を潰すなどの対応も期待したいのだ。


結局のところ私は、一方ではフリードマンを支持し、もう一方ではマルクスに救いを求めている。