白状すると、僕は就職活動の頃から、現代社会における『有能な』人間に擬態してきた。
職業的な成功への渇望もあることにはあったが、それ以上に、世間体と条件が良い仕事について、他人に見下されず、家族に頼らないで生きたいという願望がのほうが大きかった。
エスタブリッシュメントな仕事につけるように、バイタリティと協調性と主体性と従順さというごちゃごちゃな能力があるかのようにふるまった。
まるで、毒を持たないアブが外敵を欺くために、ハチにそっくりな体色を手に入れたように。

擬態しないと居場所がない

現代社会では「人間嫌い」「他人といると疲れる」「人と話したくない」「他人が怖い」「人に指図されたくない」という性根の人間を迎え入れる組織はなかなかない。
(「現代社会」と書いたが、たぶん古今東西の人間社会にあてはまると思う。)
少なくともそれを口に出す人間に門戸が開かれることはない。
私も、もちろんそんなことは口に出さないで、擬態してきた。
一応、積極的な嘘はつかなかった。
「ガッツがあります」「人と一緒にいるのが好きです」というようなことを自分が言ったら白々しいことは分かっていたし、なにより嘘でもそんなことは言いたくなかった。
その代わりに、人間嫌いがバレそうな発言をすることを避け、嘘にならないようなパラフレーズを用いた。
「相手の気持ちを考えるようにしています」(他人が怖いから顔色を伺うのだ。恐怖を協調性に擬制する。)
「交友関係が広いというよりは、気のあった友人と突っ込んだ話をする方ですね」(人付き合いがあまり良くないことのパラフレーズ。交友関係が広い人でも突っ込んだ話は気のあった人としかしないだろう。こんな言葉でも真顔でハキハキ答えれば真面目で誠実な印象を与えられる。)

以前取り上げた『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』(イルセ・サン、ディスカヴァー・トゥエンティワン)というHSPに関する本にも書いてあったが、この世界は基本的に鈍感でタフでエネルギッシュな人間が作っている。
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また、学校では幼いうちから集団行動や人間関係や友情ごっこを押し付ける。
敏感で一人でいるのが好きな人間は、だいたい自分を欺いて人格改造するか、社会を欺いて擬態して生きているのではないだろうか。
(まぁ、家族に頼ることをいとわずに噛じれるスネがある人は引きこもる事もできるし、冒険をいとわないのであれば創作やデイトレなら一人で食い扶持を確保できる可能性もある。)

ロクデナシになろう

僕はずっと擬態しているうちに、自分がハチになったと勘違いしていたのかもしれない。
うつで動けなくなって休んで、自分は人間嫌いだし人と話すのも大嫌いだし、一人でいるのが一番楽しいということがよくわかった。
だから最近では『役立たずになってやろう』とよく考える。
(先日のゾンビの話で言うところの「死体をゾンビにされないように切り刻む」方法。)
関連記事:ゾンビと労働の日々
最近あったなんでもないことだ。
別の部署から照会に来た。
私もいくらか関係しているのだが詳細は把握していないので、主担当でなければ分からないことだった。
以前だったら相手に気を使って(正確には『復讐を恐れて』)、一旦自分が引き取って主担当に聞いて答えようかとか、面倒くさい気の回し方をしていた。
「XXだと思うけど、俺には詳細は分からない。今いないけど◯◯さんが戻ってきたらそっちに聞いてみて。」
こういう突き放した言い方がとっさにできるようになったのは病気の功名かもしれない。

役立たずと罵られて最低と人に言われて
それぐらいがちょうどいい。


鈍感な世界に生きる 敏感な人たち
イルセ・サン
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2016-10-22

デンマークの心理療法士の書いたHSP(Highly Sensitive Person、敏感で感じやすい人)の解説書。
心当たりのある人は読んでみると悩みを客観化出来る思います。

利己的な遺伝子 <増補新装版>
リチャード・ドーキンス
紀伊國屋書店
2006-05-01

アブの擬態の話と直接は関係ないんですが、ハチやアリみたいな社会性の昆虫は凄く面白いなと思いました。



ずっとティーン・エイジャー向けの曲だと思ってましたが、労働や人間に疲れた状態で聞くととても響きました。