少し前に、行動経済学や認知科学に関する本をいくつか読んだ。
特に、ダニエル・カーネマンとダン・アリエリーが一般向けに書いた著作は、日常的なトピックと学問的な裏付けの双方が織り交ぜてあり、読み物としてとても面白かった。
(TEDに2人のプレゼンがあるので興味のある人はそちらもどうぞ。)

その中の一つであるアリエリーの『不合理だからうまくいく』の中に『順応』に関する章があった。
いわく、人間はたいていのことには慣れてしまうことが出来る。
例えば、以下のような事例が実験を交えつつ紹介されている。
・負傷により痛みを負った経験のある人間は、痛みに対する反応が鈍く、長時間痛みを我慢できる傾向にある。
・宝くじに当たった人と事故で重篤な障害を負った人について、当選or事故から1年後に人生の満足度を申告してもらうと、2人とも何も無かった人とあまり変わらない。

この、人間がいろいろなことに慣れてしまえるという現象は、私の実感にはかなりフィットする。
たぶん、カーネマンの本にあった『経験する自己』と『記憶する自己』の二面性と結構関係があるんじゃないかと思う。
(この二面性というのはざっくり言うと、人間が刻一刻と今この瞬間に感じていることと、事後的に思い出して感じることは異なるということだ。
そして僕たちの幸福と不幸の判断を行うのは後者の『記憶する自己』の方だ。)

老いにも不幸にも慣れてしまう

身内の老人が生き汚くて辟易するという話をいろんな人から聞く。
体に調子が悪いところがあれば、不安だ、死んでしまう、早く医者に行かなければと言い、家族を困らせる。
年寄りなのだから不調が出るのは仕方ないだろうに、それが我慢できない。
何をするでも無く、寝て、起きて、飯を食い、テレビを見て過ごす。
それだけの生活しかないのに、死ぬのが怖いらしい。
そういう身内がいる人と話すと、自分はあまり長生きせずに死にたいという意見で一致する。
ただ、このような意見を持っていても、いざ自分が老いた時に積極的に死ねる人間は多くないだろう。
50歳から一気に90歳になれば、死ぬ覚悟が出来る人も相応にいるかもしれない。
だが、徐々に老いるなかで、いつのまにか実行に移せないほど老いに慣れてしまう可能性は高い。

また、僕は自分は生きているだけでだいぶ辛いので、これ以上大きな荷物を持てば死んでしまうと思っている。
仕事をやめて貯蓄を取り崩しながら気ままに生きて、文無しになったら死にたいと夢見ている。
重病や障害が残るような怪我をしたら死のうと思って、なるべく人に迷惑をかけない死に方を考えていた。
(資産と契約の一覧を作り、可能な限り契約は解除したうえで、国有地で確実に死ぬというもの。)
でも、これらのことにも僕は慣れてしまうのかもしれない。

事故で凄惨な火傷を負った経験のあるアリエリーは、怪我や痛みへの順応は自分に有利に働く順応だとして、促進してその恩恵に預かるべきだと言う。
だけど、私は老いや不幸にも順応して人生が続いてしまうというのは、とても怖いことだと思う

では心の傷が癒えないのはなぜだろうか

私は幸福な家庭で育った人間が妬ましくて、そういった人間が「家族は良いものだ」とか「親を尊敬している」というようなことを無神経に言うのを聞くと、イライラして仕方がない。
関連記事:幸福な人間が憎い
こういう状態が30過ぎても続いているということは、少なくとも私はこの件には順応出来ていない
痛みや不幸には順応できても、心の傷には順応できない。
なぜだろうか?

一つ考えたのは、規範の存在他人の生活に関する情報が順応を阻むのではないかということだ。
幸福な家庭というイメージは、いろいろなところで出てくる。
学校では家族は大切にしろと教えられるし、家族愛をテーマにした本や映画が氾濫している。
そこでは、家族は助け合って、愛し合って、お互いの為を思って、感謝してやっていかなければいけないという規範が語られる。
また、街や観光地で目にする家族連れは、概ね楽しそうだ。
(機能不全家庭はそういうアクティビティをしないところが多いだろうから当然かもしれない。)
規範的で多数の人間が持っている幸福は、持っていない人間に惨めな思いにさせる。
それゆえ、慣れることが出来ず、いつまでも自分に無いものを基準に物事を考えてしまう。

とりあえずメディアとネットと都市の生活は、機能不全家庭の出身者が傷を癒やすには有害だということかもしれない。
隠遁したいなぁ。





著者はデューク大学教授で、それ以前にはMITのスローン経営大学院やメディアラボで教鞭をとっていた経験もある。本書より前に出した『予想通りに不合理』が主に消費行動を題材にしたものであったのに対し、本書は仕事や対人関係に関係する題材をメインにしている。
私の書いた本文と違って明るく軽妙な語り口で読みやすい。


カーネマンは2002年にノーベル経済学賞を受賞した認知心理学者
本書は行動経済学のトピックがだいたいカバーされており、実験の紹介も豊富だ。日本人の手による行動経済学の入門書も何冊か読んだが、本書と比べるとどれもイマイチだった。
本書を読んで「人間ってなんていい加減なんだろうと」感じて結構気分が軽くなりました。