帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

マイナス思考

本当はクレジットカードもポイントカードも無い経済圏が理想だと思う

僕は極めてケチな人間なので、ポイントを取り逃すと損をした気がして腹が立つ。
他人にはポイントが付くのに自分には付かないなんて我慢できない。
とはいえ、ポイントカードで財布がパンパンになるのも大嫌いだ。
財布には最低限のものだけ入れて軽くしておきたい。
使う機会が滅多に無いものを毎日持ち歩くと、それはそれで損をしている気がするのだ。
厳選を重ねて、財布に入れるクレカとポイントカードは以下のものまで絞りこんだ。

・LINEペイカード
プリペイドカードにすることで与信費用を削減したうえで、JCBの高い加盟店手数料をポイントバックに回すことで2%還元を実現するなりふり構わないカード。
去年から今年にかけての年末年始には4%還元というとんでもないキャンペーンをやっていた。
銀行口座連携すればLINEアプリからほぼ即時でチャージできる。
・楽天カード
楽天ポイントの経済圏にいる人には便利なカード。
通常1%還元で楽天ポイントがついてEDYのチャージでも0.5%だがポイントが付く。
本を定価で買う時はLINEペイで2%還元よりも楽天ブックスで楽天カード払いのほうが還元率が高い。
かっこ悪いと敬遠する人もいるらしいがそういう人はアメックスに会費払っとけばいい。
・Tカード
ファミマとマルエツで使える。
・ポンタカード
ローソンよりもローソンストア100でよく使う。
・ブックオフのポイントカード
僕が一番本を買っている店はアマゾンでも丸善でもなくブックオフ。
・EDYつきのプロントカード
EDYで払うとドリンクが10%OFFになるのでプロント行く人は持ってた方がいい。

あと、アプリで代用できるものはアプリにしている。
例えば、ヨドバシのポイントカードとHONTO(丸善とかジュンク堂で使える)のポイントカードはアプリにできる。

さて、ここまでせこせこした話を書いておいて恐縮なのだが、本当はクレジットカードもポイントカードも廃止できればそれが一番いいと思う。
加盟店がサービスプロバイダ(カード会社とかTポイントやポンタの運営元)に払う手数料を調べたことがある。
Evernoteに残ってる走り書きだと、クレカがだいたい4-7%(実はかなり幅があって風俗は10%オーバーでコンビニとかだと1%らしい)、Tポイントが3%+固定費、電子マネーだと2-4%程度らしい。
当然これらのコストは店の費用なので販売価格に上乗せされている。
ポイントや有利な決済手段で得したと思ったとしてもその分は小売価格には反映されている。
(もちろん現金払いの人は確実に損をしている。)
これは厚生年金の保険料とよく似ていると思う。
労使折半だから労働者に有利だと言っても、その分は公的年金として召し上げられなければ、雇用主から労働者に支払われているお金だ。
労働者は得したように見せかけて損してるし、雇用主もまぁ得はしていない。
得をしているのは制度を運営して雇用や利権を作っている国と現在の受給者である老人だ。
クレカやポイントカードも同じ話で、有利にポイントを貯めてる消費者は得してるように見えて損をしているし、店の側もどっちかと言うと損をしている。
得をしているのはカード会社とポイントサービスを運営する会社だ。

僕が良く行く店で、チェーン店にも関わらずクレジットカードが使えない上にポイントカードも無い店がいくつかある。
良く行く順に挙げると、ベローチェ、業務スーパー、サイゼリヤがそうだ。
安価な割に上質な商品を提供する点が共通しており、どの店も大好きだ。
クレカが使えないとブーブー言う人はスタバとかハナマサとかガストに行けばいいさ。
(とはいえ、現金は管理コストがかなり高くつくので、5%くらいの手数料であればクレジットカード払いは店からしても業務効率の面ではメリットがあると思うのだけど、それはまた別の話。)


スポンサードリンク

社会保障の非受益者(罰せられているという感覚)

ある日友人の一人がこう言った。
「役所よりもアマゾンの方がよっぽど役に立つ。」
僕はその時ロバート・ライシュ『格差と民主主義』を読んだあとだったので「行政サービスは結構実感がわかないように提供されている(上下水道やごみ処理にどれくらいお金がかかっているか僕らはあまりにも無知だ)から過小評価されがちだから、ダイレクトにサービスの恩恵を実感できる小売と比較するのはフェアじゃない」と、たしなめるようなことを言った。
関連記事:『格差と民主主義』の感想
とはいえ、彼の言うことも正しい。
僕たちはまっとうに生きれば生きるほど、社会保障の非受益者になる。
僕はこれまでに2回転職しているけれど、どれも次を決めてから辞めたので失業給付を受けたことはない。
僕の生まれ育った家庭は貧しい上に息苦しかったけれど、生活保護が出るほどでは無かった。
今でこそ精神科に通院する身だが、それまではずっとコンタクトレンズの処方と数年おきの虫歯の治療以外に健康保険を使うことは無かった。
まっとうに生きるのが辛くて、その枠を維持するために血反吐を吐いているようなときも、基本的に社会保障は助けてくれない。
少なくとも僕たちがまっとうな外形を持っている限りは。

割り切れない非受益者

弱者を助けるような施策は倫理的には肯定されやすいが、心理的には(特に匿名の場では)批判されやすい。
これは、おそらく僕たちのゼロサム思考ゆえだ。
僕たちは、社会的弱者の保護が社会全体の厚生と効用を高めるだろうと、想像することはできる。
社会にセーフティネットがあれば、社会的弱者はハッピーだし、セーフティネットの財源を負担する市民も自分が弱者に回った場合に安心だと考えられるからハッピーだ。
これはプラスサムの世界だ。
一方、ゼロサム思考の世界では、社会的弱者のためのセーフティネットは収入を有する人間の損失によって成り立っている。
自分以外の社会的弱者に費やされる金銭が自分から奪われなければ、自分の欲求のために使って快楽を得ることが出来るし、貯蓄や投資に回して安心や自由を得ることが出来る。

正直に言うと、私も社会的弱者を助けるために自分の収入の一部が社会保険料や税金として召し上げられることが不満だ。
自分だって毎日働くのが辛くて辛くて仕方が無いのに、どうして他人を助けるために自分の収入を奪われるのだろう。
ホームレスも老人も障害者も大変なのだろうと想像は出来る。
でも、私だって生きるのが辛い。
どうして辛い私が、他人に手を差し伸べなければいけないのだろうか。
働くのが嫌で、アル中になって、過食嘔吐をして、不眠症になって、うつになった。
しかし、職と収入があり障害者に該当しないという外形ゆえに、自分は助けられる側ではなく助ける側に分類されてしまう。

罰せられているという感覚


格差研究の分野でピケティの師匠筋にあたる経済学者のアトキンソンに『21世紀の不平等』(東洋経済新報社、山形浩生訳)という一般向けの本がある。
社会保障について検討する章で、英国のある母親の言葉が引用されている。
アトキンソンの論旨とは異なるが引用すると以下のとおりだ。
”夫婦が子供を一人しか持たない理由についての新聞記事のよれば、イギリスで、今の児童手当を受け取るには所得が高すぎる母親がこう述べたという。
「あたしたち、政府によって罰を与えられているように感じるんです。何の支援も受けられない。児童手当もなし、労働税控除もなし、託児所の無料時間もなし、何一つなし。すべて自己負担です。」

この「罰を与えられている」という表現は強烈に私の心を捉えた。
行政サービスによる富の再分配が格差の是正に寄与していることは実証的に示されている。
また、僕もたいして稼いでいる人間ではないので、僕よりも社会保障料や税金を取られている人間も相応にいるだろう。
だが、この疎外感はなんだろう。

僕は行政の定義する弱者ではないんです。
社会保障に拠出する側に分類されています。
でも僕も辛くてたまらないんです。
どうかどうか罰するようなことはしないでくれませんか。

ロバート・ライシュ 格差と民主主義
ロバート・B. ライシュ
東洋経済新報社
2014-11-21


クリントン政権で労働長官を務めたロバート・ライシュの本。
米国の格差の現状と新自由主義批判を展開しつつ、オキュパイ・ウォールストリートに参加した怒れる人々がどこに向かうべきかを述べる。
公共財の劣化は機会の不平等につながるという論理は行政サービスの必要性について私がこれまで見た中で一番説得力がある。
また、一律税率が詭弁であることの説明も明快だった。

21世紀の不平等
アンソニー・B・アトキンソン
東洋経済新報社
2015-12-11


著者はオックスフォードなどで教鞭を取った欧州の不平等研究の第一人者。
本書は、ピケティの21世紀の資本と比べると統計はあんまり出てこないが、格差是正のためにどのような施策をすべきかという提言が豊富。
課税に関する対立は結局「応益負担」と「支払能力」の2つの原理のどちらが正当と考えるかということに収斂するのかもしれない。
また、ファンドマネージャーの積極的な議決権行使が求められる昨今の風潮は、本書の資本の共有のアイデアはと同様に株式所有の機関化による資本の空洞化を危惧してのものだ。




俺が不幸なのは幸福な人間のせいだ(世界はプラスサムかゼロサムか)

幸せそうにしている人間が憎くて仕方がないと思う時がある。
世襲財産を持つ者、幸福な家庭の出身者、集団の中にいても疲れない人間
お前らが幸福なせいで俺が不幸なのだ、と。

プラスサムとゼロサム

「自分の不遇の原因は別の誰かが利益を得ているからだ」という思考は様々な場面で見られる。
利得を得ているのが顔見知りであれば嫉妬や争いにつながる。
受益者と非受益者が階級や集団で区分される場合は社会運動や革命につながる。

とはいえ、常に他人の利得と自分の利得をつなげて考えている人はあまりいないだろう。
人間の中には、世界をゼロサム的に考える部分と、プラスサム的に考える部分がある。
例えば、余裕がある時のほうが世界をプラスサムで捉えやすいとのではないか。
また、人によってもゼロサム思考かプラスサム思考かという傾向の違いがあると思う。
私みたいに人間不信の人はゼロサム思考の人が多いのではないだろうか。

※プラスサムとゼロサムについて金融取引の例を出す。
例えば株式投資はプラスサムの取引だ。
自分の保有株が購入価格よりも高く売却出来て利益が出たとしても、買い手が必ず損をするわけではない。
買い手はその値段には投資妙味があると判断したからこそその値段で購入したわけで、それ以降の値上がりで利益をあげられる可能性がある。
すなわち、皆がハッピーになれる可能性があるのがプラスサム・ゲームの世界だ。
これに対してデリバティブはゼロサムの取引だ。
先物もオプションも買い手の利益は売り手の損失に等しいし、逆の場合も然りだ。
ゼロサム・ゲームの世界では、誰かの利得は必ず別の誰かの損失になる。
業者の手数料がかかる分だけマイナスサムとも言える。
例えば、くじは業者の手数料がべらぼうに高いマイナスサム・ゲームだ。

裏切り者発見装置と所属の多層化

私は物事をかなりゼロサム思考で考えてしまう。
老人や弱者のセーフティネットのために社会保障費と税金を奪われるから、自分はいつまでも労働から解放されない。
多数派である集団が苦ではない人間が生きやすい社会を作っているから、一人になりたい自分は生き難い。
幸福な家庭の出身者が無遠慮に自分の価値観を押し付けるから、家族に複雑な感情を持っている自分は本音を話せない。

最近考えたのが、ゼロサム思考は脳の裏切り者発見装置の誤作動ではないかということだ。
僕たちは不当に利得を得た人間を激しく憎むように出来ている。
進化心理学や認知科学では、人間の脳は裏切り者の発見が目的である場合は極めて論理的に作動することや、裏切り者への報復に快感を得るように出来ていることが実験的に確認されている。
ヒトの進化適応環境である新石器時代後期には、人類は血縁関係による50人程度の集団(バンド)で生活していたという。
50人の集団で行う資源の分配は基本的にゼロサムだと考えられる。
プラスサムが生まれるようなイノベーションが起きるにはこの集団は小さすぎるのだ。
このゼロサム環境下では、不当な利得を得た人間を検知し是正・排除する仕組みを持つ者が生き残った。

一方、現代では、人間は様々な属性によって切り分けられ、一人の人間が多くの集団やカテゴリに属している
(職場や家族などの集団内での立場、職業、世代、ライフスタイル、消費性向、趣味、興味関心のある事柄などなど)
同じカテゴリに属する他者と面識がなくても、ステレオタイプや統計が所属意識を形成する。
そして、新石器時代には無かったであろうことだが、現代では所属集団同士が利益配分を巡って争う。
低学歴と高学歴、高収入と低収入、資産家と貧乏人、障害者と健常者、老人と現役世代
自分の持つ属性と他者が持つ属性の間の利益分配が問題になるたびに、僕達の『裏切り者発見装置』はせわしなく動いているのかもしれない。


スポンサードリンク

人手不足で賃金は上がらない、クオリティが下がる

少し前に、ウォール・ストリート・ジャーナル電子版で上手いタイトルだなぁと思う記事があった。
”賃金上昇という「神話」の終わり”
リンク:
WSJ電子版

金融緩和で資金はジャブジャブ、老人いっぱいで人手不足。
にも関わらず所得は増えない。
昇格して額面が増えても社会保障負担と税負担を差し引くとあんまり増えた気がしない。
働き方改革なんて言われているが、人を増やさないで労働時間を減らそうとすれば相当な労働強化になるだけだろう。
そんな状況なのに隣の部のジジイは暇そうにしていやがる。

そんな苛立ちを抱えた僕達のハートにグサッと来る。
グーグルニュースのピックアップ記事にあったら思わずクリックしてしまうだろう。
だが残念なことに有料会員限定記事だ!
Twitterや2ちゃんでは触りの部分だけ見て議論を展開する猛者もいる。
それだけ皆このヘッドラインには目を奪われるし、思うところがあるのだと思う。

どうして賃金が上がらない?

先日、記事の全文を読む機会があった。
記事の内容を踏まえて思ったことを書くと、賃金が上がらないポイントは大きく2つ。
1つは、物価が上がっていないこと。
賃金上昇=価格上昇+生産性上昇と考えると、インフレかイノベーションで賃金上昇をオフセット出来ないといけない。
2つ目は、人手不足で賃金が上がっているのは低所得者なので、マクロで見ると賃金上昇につながらないということ。
若年労働者や単純労働に就く外国人労働者の賃金が上がっても、30代や40代の労働者の賃金が年功序列で硬直的な状況では全体へのインパクトは小さい。
私は2つ目の視点が特に興味深いと思った。
確かに「賃金」と一口に言っても労働も労働者も多種多様だ。
自分には見えていない職種や関係ない人の賃金は上がっているのかもしれない。
ただし、熟練労働者を非熟練労働者に置き換える方向の変化は、全体としては(一時的であっても)労働力の質の低下になり、マイナスだという指摘もある。
また、人手不足による賃金上昇が発生しない層については、現行の賃金水準に不満があるのであれば、従前と同様雇用主を変えるか別の収入源を作る以外に所得を増やす方法は無い。

クオリティを下げるという選択をしているのではないか

ここからは記事の視座とは関係ない話だが、人手不足でも賃金を上げないがためにオリティが下がるという現象も起きていると思う。
都内のコンビニだと、深夜のバイトはだいたい外国人だ。
我が国はコンビニバイトをするためにビザは発給しないので、彼等は留学生か研修生か日本人の配偶者ということになる(ほんまかいな)。
東アジア系は以前から多かったが、ここ数年東南アジア系やインド系のスタッフが増えたように思う。
本当はどんな綴りなのだろうと興味を引くような名前が、平仮名でネームプレートに書かれていたりする。
日本人が避けるくらいなので、コンビニの労働はハードだ。
レジ打たなあかんし、品出しせなあかんし、宅配便の受付やコンビニ受取対応もせなあかんし、チケットの発券や収納代行もせなあかんし、自治体の粗大ごみ収集券や切手も売らなあかん。
煙草を銘柄で注文する客がいる(銘柄、ニコチンの強さ、ロング/ショート、ソフト/ボックスの区分がある極めて複雑な商品)し、過剰なサービスを求めてクレームつけてくるやつもいる。
こんなハードな接客業を言葉の壁がある外国人スタッフがやる以上、サービスのクオリティが下がるのは避けられない。
利ざやの薄い商売で客が偉そうにするのは大嫌いな私だが、同じ店で立て続けにEdyで頼んだのにSuicaで決済された時は思わず「勘弁してくれよ!」と叫んだ。

でも仕方がない。
我々は、値上げを受け入れてるよりも、安い金で最大限に物とサービスを買い叩く方を選んでいるのだから。

スポンサードリンク





生きるために有能な人間に擬態していた

白状すると、僕は就職活動の頃から、現代社会における『有能な』人間に擬態してきた。
職業的な成功への渇望もあることにはあったが、それ以上に、世間体と条件が良い仕事について、他人に見下されず、家族に頼らないで生きたいという願望がのほうが大きかった。
エスタブリッシュメントな仕事につけるように、バイタリティと協調性と主体性と従順さというごちゃごちゃな能力があるかのようにふるまった。
まるで、毒を持たないアブが外敵を欺くために、ハチにそっくりな体色を手に入れたように。

擬態しないと居場所がない

現代社会では「人間嫌い」「他人といると疲れる」「人と話したくない」「他人が怖い」「人に指図されたくない」という性根の人間を迎え入れる組織はなかなかない。
(「現代社会」と書いたが、たぶん古今東西の人間社会にあてはまると思う。)
少なくともそれを口に出す人間に門戸が開かれることはない。
私も、もちろんそんなことは口に出さないで、擬態してきた。
一応、積極的な嘘はつかなかった。
「ガッツがあります」「人と一緒にいるのが好きです」というようなことを自分が言ったら白々しいことは分かっていたし、なにより嘘でもそんなことは言いたくなかった。
その代わりに、人間嫌いがバレそうな発言をすることを避け、嘘にならないようなパラフレーズを用いた。
「相手の気持ちを考えるようにしています」(他人が怖いから顔色を伺うのだ。恐怖を協調性に擬制する。)
「交友関係が広いというよりは、気のあった友人と突っ込んだ話をする方ですね」(人付き合いがあまり良くないことのパラフレーズ。交友関係が広い人でも突っ込んだ話は気のあった人としかしないだろう。こんな言葉でも真顔でハキハキ答えれば真面目で誠実な印象を与えられる。)

以前取り上げた『鈍感な世界に生きる敏感な人たち』(イルセ・サン、ディスカヴァー・トゥエンティワン)というHSPに関する本にも書いてあったが、この世界は基本的に鈍感でタフでエネルギッシュな人間が作っている。
関連記事:繊細なシミュレーション装置は悲しい物語を嫌う
また、学校では幼いうちから集団行動や人間関係や友情ごっこを押し付ける。
敏感で一人でいるのが好きな人間は、だいたい自分を欺いて人格改造するか、社会を欺いて擬態して生きているのではないだろうか。
(まぁ、家族に頼ることをいとわずに噛じれるスネがある人は引きこもる事もできるし、冒険をいとわないのであれば創作やデイトレなら一人で食い扶持を確保できる可能性もある。)

ロクデナシになろう

僕はずっと擬態しているうちに、自分がハチになったと勘違いしていたのかもしれない。
うつで動けなくなって休んで、自分は人間嫌いだし人と話すのも大嫌いだし、一人でいるのが一番楽しいということがよくわかった。
だから最近では『役立たずになってやろう』とよく考える。
(先日のゾンビの話で言うところの「死体をゾンビにされないように切り刻む」方法。)
関連記事:ゾンビと労働の日々
最近あったなんでもないことだ。
別の部署から照会に来た。
私もいくらか関係しているのだが詳細は把握していないので、主担当でなければ分からないことだった。
以前だったら相手に気を使って(正確には『復讐を恐れて』)、一旦自分が引き取って主担当に聞いて答えようかとか、面倒くさい気の回し方をしていた。
「XXだと思うけど、俺には詳細は分からない。今いないけど◯◯さんが戻ってきたらそっちに聞いてみて。」
こういう突き放した言い方がとっさにできるようになったのは病気の功名かもしれない。

役立たずと罵られて最低と人に言われて
それぐらいがちょうどいい。


鈍感な世界に生きる 敏感な人たち
イルセ・サン
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2016-10-22

デンマークの心理療法士の書いたHSP(Highly Sensitive Person、敏感で感じやすい人)の解説書。
心当たりのある人は読んでみると悩みを客観化出来る思います。

利己的な遺伝子 <増補新装版>
リチャード・ドーキンス
紀伊國屋書店
2006-05-01

アブの擬態の話と直接は関係ないんですが、ハチやアリみたいな社会性の昆虫は凄く面白いなと思いました。



ずっとティーン・エイジャー向けの曲だと思ってましたが、労働や人間に疲れた状態で聞くととても響きました。



献血にさようなら

私は5年前に献血をやめた。
以前は献血を結構していた。
手元に残してある献血カードを見ると、献血回数15回とある
足掛け10年程度、年に1回ペースでは献血していたことになる。
(昔は紙の「献血手帳」に履歴を記録する方式だったが、10年前くらいに「献血カード」になったと記憶している。)

献血をするようになったのは、高校時代の恩師(教員という職業だが尊敬に値する数少ない人物)が献血を100回以上している猛者だったのでその影響を受けたのが一番の理由だ。
あと、吉田秋生の『吉祥天女』という漫画で、ダークなヒロインの小夜子さん「女は血なんて怖くないのよ。毎月血を流すんだから。」というドスの効いたセリフを言っていたのが妙に頭に残っており、男も定期的に自分の血を見る必要があるな(?)というよくわからないことを考えていた。

血液検査の結果がフィードバックされるし、大きな献血センターなら菓子を食べながら漫画も読めるので、する側にもメリットがある。
また、上記の吉祥天女の理屈で血を流すのは生物に必要なことだとも考えていた。

社会貢献やボランティアは胡散臭いと感じるが、 就職活動のエントリーシートで「ボランティア等」の項目があれば一応「献血」と書いていた。
それなりに話のネタになった。
「献血は結構曲者で、血を抜いても大丈夫な人と駄目な人でそれなりに差があるんです。
友人の筋骨隆々のスポーツマンが、血を抜くと途端に気分が悪くなってしまったこともありました。
また、輸血を受けたことがある人や、2004年までに欧州の一部の国に半年以上滞在した人も献血出来ません。
献血出来ない人が相応にいる以上、出来る自分が定期的に協力するのは意味があることだと考えています。」
リクルーターや面接官と話す時はこんな殊勝なことを言っていた。
いい子ぶる訳ではなく、結構本心からこう思っていた。
うぶだったのだろう。


血液製剤の大部分が高齢者に使用されているという統計を見てから、私は献血をしなくなった。
私はこの統計を、赤十字のホームページで見た気がするのだが、今は載っていない。
多分、若者の献血離れが3年位前にニュースになった時に消されたんじゃないかと思う。
不都合な事実なのだろう。
公的なソースとしては、以下のリンク先の「平成27年輸血状況調査結果(概要)」の4ページ目を見てほしい。
「年代別では、50歳以上の患者への使用が全体の84.5%を占め、前年(84.3%)とほぼ同じである」との記載がある
病気になるのは年を取ってからの場合が多いので、至極当然の結果なのだが、こうして数字をみるとなかなかインパクトがあるのではないだろうか。
しかも、このワーディングはかなり恣意性を感じる。
どういうことかと言うと、(概要)ではない方のファイルの7ページ目を見ると内訳があるのだが、84.5%の内訳は、70歳以上:56.8%、60代: 18.5%、50代:9.2%であり、上の記述には70歳以上が過半であるということをぼやかそうという意図が感じられるのだ。
(仕事で書く文章だとこういうワーディングすることあるよね。)

輸血の用途は、私に献血をやめさせるだけの十分な衝撃を持った事実だった。
また、この数字を見たのが働くようになってからなので、生きていくことのしんどさを知って余裕がなくなっていたために尚更突き刺さった。
望んでもいないのに生きろと言われて、仕方なく自分の時間を売って生活費を稼ぐ。
そこから、高齢者への給付のために年金を払わされて、健康保険料を払えば半分は高齢者医療に吸い上げられる。
端的に言って、生きること、働くことで罰せられているような気がしていたのだ(今でもしている)。
こんなに生きるのがつらいのに、なぜ自分を罰しようとする人間を助けるようなことをするのか。

友人にこの話をしたら「昔みたいに売血にすれば良い」という意見があった。
もっともだと思う。
世代間の富の移転に資するし、外圧と偶然の賜物である現在の献血制度を守り続ける必要はない。
ただ、そうすると闇金ウシジマくんの鰐戸兄弟みたいに、ホームレスや無職者を集めて血を売らせる人達も出てくるだろうとも思う。
(ウシジマくんはこのエピソードやサラリーマンくんのあたりが一番面白かった。)

現役世代は非受益者であるという怒りがあるし、高齢世代は自分たちには当然権利があると考えている。
最終電車(※1)の過ぎ去ったホームで、私たちは奪い取る機会を伺い、奪い取られまいと警戒している。

まぁ今の私は抗鬱剤と安定剤を飲んでるから、献血しようと思っても門前払いされるんだけどね。

※1
「社会保障制度改革の最終列車」という概念がある。
50歳以上の有権者の割合が過半数を超えると、社会保障制度の見直しは不可能になるとい考え方だ。
財政の見直しのために年金制度、医療制度をスリム化しようとすると、大きな既得権を持っている高齢世代が反対するという構図だ。
ちょっと古いがIMFが2004年に各国の最終電車の時刻表に言及した。
英国:2040年
アメリカ、ドイツ、フランス:2015年
日本は2003年だ。
最終列車はかなり前に出発してしまった。

数億匹の精子の中から選ばれて生まれたというセンスのないレトリック

命の大切さを語る時に「何億匹の精子の中から選ばれて生まれるのだから一人一人の人間が大切なのだ」というような言葉が使われることがある。
私の印象に残っているのは、小学校の時に担任だったヒステリックな女の教員だ。
当時はオバサン扱いしていたが、今の私と同じくらいの年齢だったように思う。
私のいたクラスには知能が少し遅れている児童がいて、彼をからかうような言動を取るクラスメートが何人かいた。
それが問題になって、よくある感じで理不尽にもクラス全体がお説教を食らう羽目になったのだが、その時に上に挙げたような話をしていた。
当時の私は流石にまだ反出生主義ではなかったけど「そんなんただの生物学的な事実なんだから理由になってないよな??」と子供ながらに違和感を感じていた。
関連記事:生まれてこなければ良かった その2 反出生主義 
「精子がたくさんいても受精に至るのは一匹だけ」というのはロマンティックでも奇跡的でもなんでもないただの事実だ。

配偶子の大きさ

進化心理学や進化生物学の本だと、だいたい一章を使って男女の性差について述べている。
中でもドーキンスの『利己的な遺伝子』の説明は身も蓋もなくて分かりやすい。
利己的な遺伝子 <増補新装版> [単行本]
生物は精子や卵子のような配偶子を減数分裂で作る。
進化の歴史の中で、配偶子の形状については2つの戦略が生き残った。
エネルギーを費やして大きな配偶子を作る戦略と、自分は小型の配偶子を大量に作り別の個体が作った大きな配偶子と結合させる戦略だ。
後者の寄生的な戦略を取った個体の末裔がオスということになる。
メスは自分の配偶子である卵子に多大なエネルギーを投資しているので、生まれた子供と自分をオスに守らせるよう行動する。
反対にオスは、多くのメスと交尾して多くの子孫を残すのが遺伝子のビークルとしての最適戦略だ。
ただし、オスは子供が本当に自分の子供なのか(DNA検査に依らない限り)通常は確信できない。
寄生的な配偶子を持った代償として、自分以外のオスの子供を育てさせられるという最悪のシナリオが起こりうるようになった。
子供が本当に自分の子供か悩む父親の姿はフィクションでもリアルでも相応に見られるが、これは究極的には配偶子の形状の相違から生まれる。
いずれにせよ、精子と卵子の相違はロマンティックでもなんでもない戦略上の優位性により存在するのだ。

精子は本当に競っているか

精子観察キットを購入して自分の精子を見たという人がこんなことを言っていた。
「俺の精子あんまりやる気が無いみたいなんだ。半分くらいしか動いてないんだよなぁ・・・。」
これは多分彼の精子だけの問題ではないだろう。
WHO(世界保健機関)が精液検査ラボマニュアルというものを定めている。
同マニュアルでは精子検査で見るべき項目とその基準値が示されており、主要な基準をクリアすれば正常精液ということになる。
その中に、運動精子50%以上、前進運動精子25%以上という検査項目がある。
簡単に言うと、前者は『早く動いている精子とゆっくり動いている精子の合計が50%』という基準で、後者は『早く動いている精子が25%以上』という基準だ。
リンク:日本産科婦人科学会の会報誌
早く動いてる精子が4分の1あれば正常というのは一般的な感覚より少ないのではないだろうか。
残りの4分の3くらいは最初からレースに参加していないのだ。
なんと懸命なことだろう。
生まれる前から生きるつらさを知っていてレースから降りたのではないかという想像をしてしまう。
 


そんなわけで、「生まれてきた人間は数億匹の精子の中でレースに勝った選ばれた存在だ」というようなレトリックは大変に疑わしい。

余談になるが、進化心理学の記事で挙げた明治大学の石川幹人教授の本に、精子の量についての面白い話があった。
生きづらさはどこから来るか―進化心理学で考える (ちくまプリマー新書) [新書] 
関連記事:『生きるのがつらい』療養論4 僕たちは種としても個としてもズレている
霊長類の「体のサイズ」に対する「睾丸の大きさ」と「ペニスの長さ」の比率を比較すると興味深い傾向が見て取れる。
チンパンジーの睾丸は体に比してとても大きい。
彼らは乱婚をするので大量に精子を作る個体が子孫を残しやすいのだ。
ゴリラはムキムキの屈強な体躯をしているが、その割に睾丸とペニスの大きさは控えめだ。
彼等は1頭の雄が複数の雌を引き連れたハーレムを作る。
ゆえに性器の大きさよりも雄の間の闘争で勝つための強靭な肉体が必要なのだという。
ちなみにヒトは体の大きさに対するペニスのサイズの比率が他の霊長類よりもダントツで大きいそうだ。
オチは是非本で読んでみてください(石川先生の考察がちょっと書いてあるだけですが)。 


 
プロフィール

執筆者:マイナスニキ

30代会社員。
会社と業務は何回か変わったが、金融業界で10年ぐらい働いている。
会社勤めが好きじゃなく30歳くらいの時からアルコール依存気味になる。ここ数年は断酒とSLIPの繰り返しでうつ休職もしていた。
一人で出来る生業を見つけて会社に勤めないで生きることが目標。
好きな作家は太宰治と沢木耕太郎。

記事検索
注意事項と免責事項

※当サイトはamazon.co.jpを宣伝しリンクすることによってサイトが紹介料を獲得できる手段を提供することを目的に設定されたアフィリエイト宣伝プログラムである、Amazonアソシエイト・プログラムの参加者です。

※当サイトでは資産運用、法律、税務などについて運営者の認識や見解を述べることがあります。記事の作成にあたっては専門書や信用のできる情報源に基づいた正確な記載を目指していますが、当サイトはその正確性を一切保証しません。実際の取引や実務上の判断にあたっては、専門家に相談のうえ、自己責任で行ってください。

広告
「Amazonライブリンク」は提供を終了しました。