帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

カテゴリ: マイナス思考

今時珍しい仏具店の前を通った時にふと考えた。
90年も100年も生きた人を、死んだ後まで供養する必要があるのだろうか。
ここまで寿命が伸びてるのに、昔と同じような考え方で死と向き合っていることに違和感を感じたのだ。

生きてるうちに十分世話しただろう

平均寿命が60歳だった時代であれば、60歳で没して13回忌の法要をしても、死者が生まれてから73年だ。
直近の統計によると、日本人の平均寿命は男が80.79歳、女が87.05歳。100歳まで生きる人も珍しくない。
仮に90歳まで生きた人を13回忌の法要までやると、実に死者が生まれてから103年もの間、誰かしらが死者にかまうことになる。
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数年前にウルフルズを聞き返した。
ポジティブでストレートな歌詞が魅力のバンドだが、改めて聞くと曲も結構考えて作られている。
「ガッツだぜ!!」のワウ・ペダルを使ったフレーズは印象に残っている方も多いと思うし、他にもサイケ、ファンク、ブルースと引き出しが多い。
また、同年代の他の流行歌と同様に、サビから始まる曲が多くキャッチーだ。

人気者に嫉妬していた

ウルフルズ全盛期には私は中高生。
流行りの曲はかなりフォローしていただのが、ウルフルズはあまり真剣に聞いていなかった。
理由は、クラスの中心にいた人気者がウルフルズが好きだったからだ
文化祭の打ち上げなどでカラオケに行くと良く「バンザイ」を歌っていた。
運動部で人当たりもよく、容姿も優れていた。
米国のスクールカーストで言えばアメフト部のクオーターバックだ。
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その1がだいたい2009年くらいまでの話だったと思うので、今回はそれ以降。

・ガチムチパンツレスリング

説明不要の有名シリーズ。
TDNコスギ(VAN様)のFuck you、はリアルでもよく言ってしまう。
ケツドラムのようなMADやゲーム実況も作られていて、これ以降も流行ったコンテンツではそれを素材としていろいろな関連動画が作られることになる。
※リンクは載せないです。日和りました。

・ゆっくり

Softalkというアプリケーションの声が一般的に「ゆっくり」として認知されている。
声出ししたくない実況者がゲーム実況に使うほか、サンプリング等なんらかの手段で歌を歌わせていたりする。
ゲーム実況だと、バイオハザード4とバイオハザード5のゆっくり実況は、うp主は異なるもののどちらも非常にプレイが上手く動画編集も丁寧だった。




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昔から「遊ぶ」ことが苦手だった。
自分では遊んでいるつもりなのだが、他者からは上手く遊べていないと捉えられたようだ。
遊びの記憶で言うと、幼稚園の頃に「にこにこ島」という遊具でよく遊んだことを思い出す。
名前は当時のNHK教育テレビの「にこにこぷん」から借用しているが、別にじゃじゃ丸、ピッコロ、ぽろりがいるわけではない。
木製の台が円形に配列され、それを跳びながら回るというだけの遊具だ。
それを無心に、何周も何周も飛び回っていた。
それが私の「遊び」の原体験だ。

一人遊びは見下される

月日は流れて
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大人になってから向日葵の花に惹かれるようになった。
子供の頃は特に思い入れはなく、季節を告げる以上の役割を見いだせなかった。
夏だから向日葵が咲いたのだ。
そして夏が終わるから向日葵が枯れたのだ。

向日葵の力強さと愚直さ

向日葵は、力強く直立し、陽に向かう。
夏の終わりとともに枯れ落ちるが、沢山の種を残す。
子供の頃、向日葵は力強さを象徴する花であった。
だが、自分も挫折と苦悩に日々直面するようになると、違った姿が見えてきた。
いつか枯れると分かっていて、それでも可能な限り立ち続けるのだ。
向日葵は単なる力強さの象徴ではなく、愚直さの象徴のように見えるようになった。
 

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晩夏の向日葵は詫びしい。
以前は力強く背を伸ばし、陽に向かっていた。
だが今はしなだれている。
葉と花びらが枯れ始めた。
「頑張れ」と言ってみたくなる。
または「良く頑張ったね」と言おうか。
おそらく両方間違いだ。
「ありがとう」と言ってみたい。

ゴッホとゴーギャンとナニワ金融道

フィンセント・ファン・ゴッホは向日葵を愛し多くの絵を残した。
ゴッホにとって向日葵は明るい南フランス、ひいてはユートピアの象徴だったと言われている。
あるいは、光の色である黄色を好んだとも、敬愛するゴーギャンが向日葵を好んだからとも言われている。
一説によると、モームの『月と六ペンス』に登場するオランダ出身の画家ストルーヴは、相違点は多いもののゴッホをモデルにしているのではないかと言われている。
なお、『ナニワ金融道』の青木雄二もゴッホの作品を愛した。
『淀川河川敷』という作品にゴッホの絵が出てくる。
(昔コンビニ売のペーパーバックで氏の短編漫画を集めたものが出ていたので読んだ。今はKindle 版があるようだ。しかも今のところUnlimited対象。)

 

青木雄二漫画短編集 完全版1 ゼニの掟編
青木雄二
ゴマブックス株式会社
2015-04-30



少し前に、最初に務めた会社の同期入社の友人数名と飲みに行った。
年に1回くらい会っている人もいたが、数年来の再会となる人もいた。
私は今の会社が3社目なのだが、 私ともう一人を除いては、皆最初の会社で働き続けている。
とはいえ、最初の会社も仕事はそれなりにタフだし、異動出向転勤はそれなりにあるので、同じ会社で働いていてもみんな相応に幅の広い経験を積んでいる。

何とは無しに「どの会社が一番良かった?」と聞かれた。
私は即答した。
「どれも嫌だ。全部最悪だよ。」
これには一同苦笑。

待遇は最初の会社で働き続けた場合が一番良かったと思うが、それ以外の会社も格や専門性では劣らない。
ちゃんとした会社だ。
だが、全部最低だ。

「結局、俺は皆と違って働くのが大嫌いだから、人に嫌われてクビになっても全然良いと思っている。
ちゃんとした会社だとさ、仕事や会社が好きな人が多いじゃないか。
そいつらに言ってやるんだ。
俺はお前が大切にしている仕事とこの会社は全然好きじゃない。
ゴミみたいに捨ててやりたいと思っている。

でもそうやって今の自分の仕事が嫌いで全然大切じゃないと思ってると、結構いいパフォーマンスが出たりするんだ。
言いたいことも言えるし、余計なこともしなくて済むから。」

「しんどそうだけど、そこまで言い切れるのは少し羨ましい。」
奇譚の無い感想である。
羨ましがられる要素は無いけれど。


以前に孤独死が嫌だと言った先輩の話を書いたのだが、私はむしろ孤独死どんと来い。
(関連記事:どんとこい孤独死
家庭はいらないと考えている。
もっと言うと、持家もいらないと考えている。
重たいものに耐えられそうにないというのと、会社で働くのが嫌だからというのが理由だ。 
この2つは、私に労働を強いるから欲しくない。

家族はいらない

家族はずっといらないと思っていた。
生家が幸福な家庭ではなかったし、周りに人がいるのが苦手だからだ。
孤独死が嫌だという人もいるが、私はむしろ一人で生きて一人で死ぬことが望みだ。
孤独を嫌う人と孤独を必要とする人間がいて、私は後者なのだ。
また、自分の人生を肯定的に捉えられないので、生命を生み出すことにも抵抗がある
生まれてきてよかったと思っている人が多数派なのかもしれないが、私は生まれてこなければよかったと考える方の人間なのだ。 
妻子を養うために自分が働き続けるなんて考えただけで寒気がする。
自分の子孫も労働に人生を浪費して死んでいくなんて、悪夢のような連環だ。
家族を作る人が多数派なので、少数派の私は少々生き難い場面もある。
だが、ただそれだけのことだ。

家はいらない

家はちょっと前までは物件次第では買っても良いかと思っていた。
値上がりする可能性のある、資産性のあるものにお金を投資するのは好きだからだ。
また、高齢になったり定期収入が無くなると家を借りるのは難しくなるし、そうでなくても賃貸借にあたっては保証人や緊急連絡先等自分一人で完結できないものを求められるので、購入してしまうとその辺の面倒からは開放されると考えていた。
だが、以下のポイントを考えるとやっぱりいらないと考えてしまう。
一つは、ローン返済のためにずっと働かなければいけなくなること。
負債のために働かなければいけないという環境は私にとっては耐え難い地獄だ。
やっぱり資産性の期待できる都心の物件は住宅はローンで購入せざるを得ないくらいの高値だ。
二つ目は、他の選択肢に使う資金がなくなってしまうこと。
橘玲の著書でもあったが、住宅を購入したら個人の資産運用はそこでおしまい
せっせとローンの繰り上げ返済に回すのが最善の投資行動ということになる。
三つ目は、住居に金を使うのが惜しいということ。
住居のためのコストを減らせば、その分労働時間を減らせる
労働時間が減れば、その分自分が望む活動に時間を使えるようになる。
ここらへんは坂口恭平の影響だ。

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pha氏の「持たない幸福論」だと、上記の二つの考え方はもっと別の側面から書かれていた。
家庭についての考え方は面白かったので簡単に紹介する(以下は要旨をまとめて書いてます)。
「恋愛結婚で結ばれた男女とその子供、という現在の家族のスタイルは、戦後のイエに縛られた人間を開放した。
その反面、育児や介護といった難題も家庭内で完結させるべきというタフな自己責任論を作りだした。
これは親世代が結婚した時にはあまり意識されていなかった問題だ。
だから、親世代の結婚観や家族間を所与のものとするのではなく、自分がどうしたいかを改めて考える必要がある。」

私の考え方の根底にあるものを見つめてみると、家族と持家の否定の大部分が労働苦により構成されている。
賃金労働への憎悪が、人生への嫌悪を生み出している。
賃金労働への憎悪が、消費の場としての家庭を重たいものとしている。
賃金労働への憎悪が、不動産の所有によりもたらされる種々の制約を受け入れがたいものとしている。

仮に賃金労働以外で自活の道が立てば、案外と簡単に考えを改めるのかもしれない。
そこに至るまでが簡単ではないのだが。 


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