帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

カテゴリ: マイナス思考

働き始めて3年目くらいから、家計簿、というか支出簿をつけている
サラリーマンなので収入の方は給与明細と証券口座のレポートを見ればほぼ把握出来る。
だから、支出だけを別途管理している。

私の支出管理

 iOSの『支出管理』というシンプルなインターフェースのアプリを購入して、支出を10項目くらいに分類している。
買い物のレシートは必ずもらうようにして、2,3日に一度まとめて入力している。

家賃、光熱費、通信費といった固定費や、食費、書籍代、衣服といった変動費は項目を設ける。
そして酒とエロ関係は『削る費用』という項目を設け摘要に「エロ本」とか「ウィスキー」と記載して入力する。
10円単位で適当にやっているが、月に5千円以内の誤差でやれていると思う。
同輩に言うと、驚かれる場合が多いが、似たようなことをしている人もそれなりにいた。
リンク:App Store 支出管理

メリット

これを長く続けると、自分の行動のサイクルがわかる
例えば、食費や書籍代は毎月安定しているが、電化製品は2ヶ月に1回くらい大きな出費をしたくなる
先月はBOSEの新商品のスポーツ用のBluetoothイヤフォンを購入した。
上代2万円也。
トレーニングや、夏の通勤時※にとても役に立つ。
その反動で当月はガジェット類は節制しているのだが、多分来月にはタガが外れるんじゃないか、というのがこれまでの消費行動から推測出来る。

もう一つ、支出の全体像が分かるので使途不明金が無くなる。
例えば、飲みに行って二次会三次会まで行くと一晩で2万円くらい使っている。
会社の付き合いの飲み会は高く付く割に何も残らないのでシビアになる。
また、アル中モード全開の時はコンビニの利用回数が圧倒的に増える
経験的にストックするとエンドレスで消費してしまうので、都度買い求めるという悲しい自省が働くためだ。
こういう支出は漫然としていると、なかなか総額を認識できないと思う。

※上着を着るときは有線のノイズキャンセリンのついたイヤフォンを使うので、こいつを通勤時に使うのは夏だけになるだろう。
私が2年に1回くらいイヤフォンを壊してしまうのは汗と運動時の伸縮にあるような気がしていたので、できればこれは長持ちして欲しい。 


 

『考えてみれば人間はどうしようもない生き物だ。年がら年中発情期なんだから。』

吉田秋生の漫画で勉強の得意な猿渡君が言っていた。
たしか、「夢見る頃を過ぎても」に連なる群像劇のなかの一話だったと思う。
もう30年くらい前の作品で、登場する青年達の行動様態は現代のそれとは結構異なるが、青年期の中心的なトピックが『恋愛』、『友情』、『未来』であることは今日まで変わらない。

掲題のとおり、人間の発情期は夏ではないかというのが私の持論だ。
冬に人肌が恋しくなることは特に無いのだが、夏になるとムラムラすることが多い。
 
花火や夏祭りなど、つがいで参加することを目的としたイベントも多い。
夏祭りの起源は、農村においては過酷な夏季の農作業を労うための行事であり、都市では高温多湿により流行する疫病を封じるための祭礼であったという。
起源は意味を失っても、多くの祭礼が残っているのは、発情期にある人間たちに都合が良いからではないかと考えたりもする。

孤独を選んだはずの自分であったが、この季節に限っては、幸福そうに歩くつがいの人間たちへの嫉妬と、過去の美しい思い出がもたらす悔恨を捨てることが出来ない。

2007年のサービス黎明期からニコニコ動画を見ている。
まだボーカロイドもパンツレスリングも無い、レミオロメンの粉雪に弾幕を作って皆が楽しんでいた時代だ。
ニコ生とか、公式コンテンツとか、ニコニコ漫画とか、周辺サービスは増えたが、動画を投稿してコメントするという基本的な作りが10年近く続いていることは素直に感心する。
自分が愛好したシリーズをいくつか紹介したい

・つらい現実が倒せない
当時流行していた「エアーマンが倒せない」の替え歌だ。
うp主は会社をやめてニートになったが、次第に金も無くなる。
動画を投稿して再生数が1,000行ったらまた職を探すぞ、ということで作られた動画だ。
3部作だが、ラスト(第三部)の歌詞は感動を呼ぶ。
大学を出て働くようになったころとシンクロするので、私はこの動画にかなり励まされた。


・おっくせんまん
ロックマン2のDr.ワイリーステージのBGMに歌詞をつけたものだ。
あるうp主がセンチメンタルなアニメーションを付けたものがかなり流行した。
リンク先はそのアニメーションに投稿者のゴム氏の歌を合わせたもの。 
アンサーはない、ただ、考えるために立ち止まることは必要だ。


・20代後半の叔母さんが実況します
非常に美人(っぽい声)の実況者obasan(兄弟に子供がいて叔母さんだかららしい)が、ゲーム実況をする。
はじめにFF6、その後にロマンシングサガ・ミンストレルソングの実況をやっている。
何よりも実況する作品のチョイスが素晴らしい。
思春期の私は、大人になったらセッツァーになりたいと思っていた。
ミンサガは主人公全部クリアするくらいはまった。主人公がクローディアなのもよく分かっている。 
また、動画編集が丁寧で見ていて飽きない。
特にミンサガはマップの切り替わりで頻繁にロードが発生するのだが、丁寧にカットしてある。
リアルタイムで毎週見ていたのだが、当時の私の生きる希望だった。







 


015


下町の市で、朝顔の鉢植えを買った。
鉢から伸びた五本の朝顔の蔓を、支柱に連なる三重の輪に絡ませた行灯作りだ。

一鉢二千円。
安い買い物ではない。
小学生の折には毎年栽培していたが、種を蒔き、水やりを欠かさなければ、それだけで文句も言わずに花を咲かせてくれていた。
鉢と土と種を合わせても数百円だろう。

吝嗇の私が朝顔を求めたのは何故か。
それはひとえに、朝起きる楽しみが欲しかったのだ。
数カ月前よりまた悪い病気が心に住み着いた。
人生の虚無と、生命維持のための労働に磨り減る自分を嘆いた。
朝起き上がることに多大な労力を要するようになった。
夕立の中で稲妻が鳴れば、どうか自分を射って欲しいと願い、外に出てずぶ濡れになった。

朝、目を覚ましベランダに目をやる、朝顔が咲いている。
今日も一日なんとかなるかもしれない。
一鉢二千円の朝顔に、そのような救いを求めたのだ。

 

自分は他人よりも旅行欲が低いなぁ、と感じる。
不本意な労働に従事していて、時間が限られるので、旅行よりもプライオリティが高いことが多いからかもしれない。
「ビーチリゾートががいいぞ」という人がいる。
私はビーチに行っても結局本を読んで過ごすことになるだろう。
「山がいいぞ」という人もいる。
景色は素晴らしいかもしれないが、運動だったらジムでやったほうが効率的だと思う。
労働の対価として得た貴重なお金もかかるし。

旅行を全然しない家で育った。
小学生3,4年生くらいの時に、家族で旅行に行った。
父親は車の中でずっと不機嫌にしており、周りの車の走行マナーに怒鳴る。
それを咎めた母親と口論をする。
挙句の果てに目的地の前にパチンコに立ち寄る始末。
改めて文字に起こすと完全に終わっている。
それ以来家族旅行は1回もしていない。

家族旅行は懲り懲りだったが、青年期には旅人に憧れた。
高校の時に担任だった英語教師(教員という職業の人間で私がただ一人尊敬する人物だ)の薦めで沢木耕太郎の深夜特急を読んだ。
いつかは私もこんな旅をしたいと思った。
明らかに本書に触発されて、後にタイ、カンボジア、マレーシア、シンガポールを1ヶ月弱かけて旅をした。

小学生時代にスーパーファミコンの『ガイア幻想紀』という作品にはまった。
『ソウルブレイダー』(これも大好きだった)と『天地創造』と併せてクインテット三部作と呼ばれる作品群の2作目だ。
ジャンルはアクションRPGで、異世界が舞台だが、アンコール・ワットやピラミッドなど、実在の遺跡をモチーフとしたダンジョンを旅する
無感動な私も悠久の時を経た遺跡には胸が踊った。
スケールの大きさに圧倒されるし、長年残っている遺跡との対比で有限の自分という個体を客観視出来る点が好きだ。
アンコール・ワットは先に述べたインドシナ半島の旅で最優先の目的地として訪れた。
また、ガイアには出てこないのだがジャワ島のボロブドゥールも後に訪れた。

つまるところ、私は生き方としての旅人に憧れたのだ。
世界を見聞することに興味がないわけではないが、それ以上に旅人の持つ自由を好んでいたのだ。
見知らぬ土地で言葉もあまり通じない中で食事や宿を求めることがしたかったわけではない。
やりたいことがあれば身軽に動けるのが理想だが、やることが明確な状況下では、いったんベースとなる拠点を作るのが私の居心地の良いスタイルなのだと思う。
娯楽としての旅行で考えると、アンコール・ワットとボロブドゥールは訪れることが出来たので、後はウユニ塩湖と聖家族教会を訪れてみたい。



劇的紀行 深夜特急 [DVD]
大沢たかお
ソニー・ミュージックディストリビューション
2002-03-20



自然災害が発生した時は、せいぜい数千円から1万円の範囲だが寄付をしている。
最初にやったのは東日本大震災の時だった。
ケチな自分にしては珍しいのだが、それ以外に何も出来ない自分に憤りを感じての行動だ。

この話を当時の職場の人間や生家の家族にしたら驚かれた。
みな口をそろえて、「もうちょっと余裕があればしたいのだけれど」と言っていた。
この言葉に嘘は無いのだろう。
彼らには自分と違って養うべき家族がいるし、差し迫った老後への不安がある。

だが、現代社会に生きる我々にとって、よほどエッジの効いた生き方をしているのでもない限り、生活に「余裕」が出来ることはありえない。
高齢社会の現代においては、平均的に生きているだけでは自分の所得により老後の安定を確約するだけの資産は築けない。
「自分の老後の安定を確保した上で、それでも余裕があれば他人に施す」という考え方だと、大多数の人間は生涯他人に施すほどの余裕は生まれないのだ。

所得の再分配は国家の機能である。
寄付や慈善活動はやりたいやつが自分の満足のためだけにすればいいと思う。
ただ、自分の吝嗇と向かい合うことをせず、「余裕が無い」の一言で片付けることにも疑問を感じたのだ。

沢木耕太郎の深夜特急で、シルクロードのあたりで乗り合わせたオランダの青年のエピソードが書かれている。
その青年は無一文に近かった。
なけなしの金を前払いして、中央アジアから欧州まで走る長距離バスに乗り込んだ。
食事休憩の時も飯を食わずチャイを飲むだけ。
ただ、同乗者に勧められればありがたく食事をごちそうになる。
そのような旅人だった。
そんな無一文な旅人が、ある日現地の物乞いの少年少女に施しをせがまれる。
旅人は、おそらく彼の全財産である硬貨を手のひらに広げ、その場にいた2人の少年少女と彼で等分した。
筆者はそれに衝撃を受ける。
自分は、長い旅の途中であるがゆえに、節約する必要から物乞いに施しをしなかった。
だがそれは、結局のところ自分の吝嗇に理由をつけていただけなのではないか、と。

寄付なんてしたい人だけがすればいい。
だが、吝嗇と向き合うことを、どうか避けないで欲しい。
人類の成し遂げたイノベーションの多くが、有限のリソースの配分を考える時に生まれてきたのではないだろうか。


※『深夜特急は』文庫だと6分冊ですが、下の全集版だと1冊にまとまっています。
私は最初に文庫で読み、本書の刊行にあたってこれも買いました。
本編の原型にあたる『深夜特急ノート』も収録されています。


 

ジムに通い始めて3年になる。
週2回は必ず行く、可能であれば週3回行く、そんな頑張りすぎず甘やかし過ぎずのペースで続けている。
やるのは専ら筋トレとトレッドミルだ。
一人で出来ることは私にとって何よりも素晴らしい。
筋トレは最初はマシンのみだったが、2年目からフリーウェイトも始めた。

先日、隣のチームの若い同僚と、雑談の折に体を鍛える話になった。
(ちなみにこの同僚は美しくて知性もあるとびきりの美人だ。職場外で私がこのレベルの女と話そうとすると然るべき場所で相応の対価を要するだろう。)
私のトレーニングの頻度を話したところ、驚かれた。
「結構なペースですよね。モチベーションとか続きますか?」と。

格好をつけるのを2年前にやめた私は訥々と答えた。
「俺は心を平静に保つために体を鍛えている。
来る日も来る日も気に食わないことだらけだ。
会社を見回しても糞みたいなやつらがわざわざ俺を苛立たせるようなことを言いやがる。
しかし、肉体的に勝っていれば、そう腹も立たない。
『うるせぇデブだ。』
『ヒョロガリが吠えていやがる。』
いざとなればボコボコにしても良い、または投げ飛ばしてしまえば良い、そのように考えると、多くの人やものごとに対して寛容になれる気がするのだ。」

「その考えは初めて聞きました。斬新です。」
言葉では感心した素振りを見せていたが、たぶん内心ドン引きだったんだろうな。

 

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