帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

カテゴリ: 読んだ本

タイトル:失踪日記2 アル中病棟
著者:吾妻ひでお
出版社:イースト・プレス

コアな支持者の多い漫画家、吾妻ひでお氏の実体験に基づく漫画。
吾妻は執筆と仕事がないことへのストレスにより酒量が増し、1998年に連続飲酒状態になる。
同年の年末、見かねた家族は吾妻をA病院精神科B病棟(通称、アル中病棟)に入院させる。
アルコール依存に関する真面目な話と、同じく入院患者である奇人変人真人間との交流を交えつつ、アル中ストーリーが語られる。

私は吾妻ひでお氏の漫画は、これと前作に当たる『失踪日記』しか読んだことがない。
『ふたりと五人』も『不条理日記』も世代的には全然被っていない。
とあるまとめサイトで、アルコール依存症者が立てた2ちゃんねるのスレッドがまとめられていた。
この記事(アルコール依存に関する箴言)でも書いたが結構ためになった。)
当該まとめで本書の話題が出ていて興味を持ったのが、本書を手にとったきっかけである。
ちなみに『今夜、すべてのバーで』もそこで見つけて読んだ。
本書に関する対談などによると、氏が入院していた病院、すなわち作中のA病院は三鷹市の長谷川病院らしい。
確かに作中に登場する野川公園や深大寺に近い。

・アル中あるある

中島らももそうだったが、自分にも当てはまることがよく書かれている。
例えば、入院直前の吾妻の描写で、
昼間は100円の日本酒5パック買って街や公園をフラフラ。
帰宅する時25度の焼酎1.8lパック買い(中略)気絶するように眠る。」
これはまさに私のダメな時の週末の行動パターンそのままだ。
もっと進むと幻覚や幻聴が現れたようだが、幸い私は底まで行ってない。

また、退院後に飲酒欲求が出てきてワンカップを前に長時間固まる場面が最後にあるが、これも経験がある。
結局スリップを繰り返している私と違い、断酒が続いている著者は凄いと思う。

・アル中の真面目な話

著者が入院中に経験したプログラムなどを基に、アルコール依存に関する真面目なトピックも書かれている。
「スリップ」「共依存」「否認の病」などの言葉は本書で知った。
ちなみに、当ブログでも何回か使っているスリップ(SLIP)は"Sbriety Lost Its Priority"
平たく言うと断酒している人が飲んでしまうことだ。
また、これらの言葉の意味を調べていく中で「アダルトチルドレン」「機能不全家庭」という自分にとって有用なキーワードにたどり着いた。
断酒会やAA(Alcoholics Anonymous)といった自助団体の会合の様子が書かれている点も興味深い。

・漫画作品として

別の人の書評で読んだのが、本書を純粋に漫画として読んでも面白いのは吾妻氏の絵によるところが大きい。
扱っているテーマは結構重たいので、劇画調の絵で書いたら全く別の作品になるンじゃないだろうか。
デフォルメしたキャラクターがギャグを織り交ぜつつ展開するので、気軽に読み進めることが出来る。
また、この著者の特徴と言われるが、女の人の書き方は本当に上手い。
頭身は男キャラ同様デフォルメなのだが、美しさと色気ががちゃんと表現されている。


※『失踪日記』の方も面白かったです。蒸発したいと考えたことがある方は是非。


 

タイトル:国民クイズ(上・下巻)
著者:原作 杉元伶一、画 加藤伸吉
出版社:太田出版

私の父親の唯一の良い所は、毎週モーニングを買っていたことだ。
初めはクッキングパパくらいしか読んでいなかったが、『鉄人ガンマ』『天才柳沢教授の生活』、昨年完結した『ピアノの森』など、秀逸な作品が多く連載されていた。
クッキングパパはまだ続いており、連載当初は小学生だった息子のまことも大学を卒業して働き始めた。

ディストピアを描いた問題作

『国民クイズ』は、1993年からモーニングで連載されていた作品だ。
講談社版はすでに廃刊になっているが、太田出版による復刻版が現在流通している。
20XX年、日本では民主主義は終わり、国民クイズによる政治が行われている。
国民クイズは毎晩実施される。
地区予選、予選、本選を見事勝ち抜いた回答者には、国家権力を総動員して「願い」が叶えられる。
「高利貸しに復讐したい」「エッフェル塔が欲しい」、回答者の願いに貴賎はない。
国民クイズの前では、「処女の双子と3Pしたい」という願いも「孤児院を設立したい」という願いも等価だ。
だが、敗退した回答者は強欲の対価として相応のペナルティを負う。
収容所への強制収容やシベリアでの強制労働、残りの人生は失われる。
かつて国民クイズに出場し、敗退し受刑者となった主人公のK井K一は、現在国民クイズの司会者として国民の圧倒的な支持を得ている。
ディストピアを舞台に 、国民クイズ体制の崩壊を狙う革命分子と、K井K一の家族、多くの人々の思惑が交錯し、物語は進んでいく。

民主主義の限界をテストで乗り越える?

20年以上前の作品だが、現代を予見しているような記述が多くある。

国民クイズのテレビ放映の合間に、各省庁がCMを流す。
厚生省では「年金の支給は抽選制になりました」という。年金制度の破綻だ。
また、物語のクライマックス、体制を批判するK井を、国民クイズ省の高官は以下のように論駁する。
「国民クイズを打倒して一体誰にこの国の運営を委ねるつもりだ!
アホな政治家共にか?!それとも投票すらしない一般市民とやらにか?!
日本人は腹をすかせた豚と一緒だ。
課せられた義務はゴミ同然に無視し、与えられた権利だけを宝石扱いする!」
-支持率のために既得権に踏み込まない政治家
- 市民の責任の放棄たる投票率の低下
- 既得権を手放そうとしない特権階級と社会的弱者
日本だけの問題ではない。
ドナルド・トランプの支持者しかり、EU離脱に票を投じた英国民然り、世界が民主主義の限界に直面している。

民主的に出された結論は納得感はあるかもしれないが、正しさは担保しない。
一つの解決策として、私は常々、政治家には国民の投票だけではなく試験も課すべきだと考えていた。
基礎学力を問う共通問題と、専門分野(選択式)のテストを課すのだ。
ちょっと国民クイズ体制と共通するかもしれない。

タイトル:ワーク・シフト
著者:リンダ・グラットン(邦訳:池村千秋)
出版社:プレジデント社

著者のリンダ・グラットンは、ロンドン・ビジネススクールで経営組織論の教鞭をとる研究者だ。
本書は、著者が主催するコンソーシアムで多くの職業人と討議した内容が元になっている。
議論の主題は、来る2025年の世界はどうなっているか、またそれに対して我々はどのように働き方をシフトさせていけば幸福になれるか、である。
邦訳の出版は2013年だが、原著の出版は2011年。実際にコンソーシアムの場が持たれたのは2009年から2010年にかけてである。
すなわち、15年後の未来について多くの職業人が討議した内容に基いて本書は書かれている。
ちきりんの働き方の本は多分にこの影響を受けている。

本書は4章立ての構成を取る。

第一章では、未来に影響をおよぼす要因を5つの分野に絞り込む。
要因1:テクノロジーの進化
要因2: グローバル化の進展
要因3: 人口構成の変化と長寿化
要因4: 社会の変化
要因5: エネルギー・環境問題の深刻化

特に私の関心に合致するのは要因3と要因4だ。

人口動態の変化と多様性の時代

長寿化により、65歳定年までに老後の十分な蓄えが出来る人間の割合は減少する。
70歳を超えても働き続けるためには、どのような職業人生を送れば幸福になれるのか。
また、人口構成の変化によりY世代(1980年から1995年生まれ。ミレニアル世代とも言う。)の影響力が拡大する。
デジタルネイティブが増加し、ワークライフバランスと仕事のやりがいを重んじる世代の台頭がどのような変化をもたらすか。
Y世代の高齢層として私見を述べると、このような価値観は低成長への適応に他ならない。
老後の安定は失われた。
ゆえに現在に強烈にスポットライトを当てる必要があるのだ。

社会と価値観の多様化は、多くの人に自分の価値観と向き合うことを求める。
おそらく、第二次世界大戦を経験した我々の祖父母の世代は、これほどまでに内省的になる必要は無かったのではないか。
それは、社会の発展がもたらした余裕でもあるし、成長余力の減少がもたらした窮屈さでもある。

暗い未来と明るい未来

第二章では、架空の未来を生きる3人の人々を通して、変化に対して漫然と対応した場合に訪れる暗い未来を語る。
具体的には、「情報技術の発達により常に時間に追われる未来」「リアルなつながりが失われた孤独な未来」「成長分野の変化により成長に取り残された地域の未来」の3つの未来像が提示される。

第三章では、変化に対して適応することでもたらされる可能性について語る。
「テクノロジーの進歩と知識のデジタル化によりもたらされる、一つのテーマに対して多くの人々が協業することが容易になる社会」
「Y世代の台頭がもたらす働き方の多様化。すなわち、一人一人の欲する働き方の実現がより容易になる社会」
「先進国から新興国、大企業から個人へのパワーの移転によりもたらされる、ミニ起業家の台頭」

目指すべき3つのシフト

第四章では、総括として、予見される未来の変化に対して私たちはどのように働き方を「シフト」させればよいかを検討している。
一つは人的資本の向上。
ゼネラリストではなく、「連続スペシャリスト」となることを提言する。
二つ目は、孤立するのではなく、協働すること。
少数の信頼できる同士(ポッセ)を得ることを提言する。
三つ目は、消費から経験へ、賃金から満足度へのシフト。
人生に関する「古い約束事」は、「働くのは給料を得るため、そしてその給料でものを消費することで私は幸福になる」という価値観だ。
これから台頭するY世代は、この古い約束事を守った親世代の破綻と葛藤を見ている。
消費では幸せになれないし、給料を得るための会社への献身は報われない場合も多いということを知っているのだ。
自分の求める働き方は何なのか。それを理解して、シフトして行くことを提案する。

---

未来を見据えた行動は、現在の多数派からは異端とみなされる。
幸福になるためには、自分の求めるものと、自分に与えられた選択肢、この二つをシビアに判断する必要がある。
そして、自分の決断を信頼し、勇気を持って進んでいく必要があるのだ。

タイトル:年収100万円の豊かな節約生活術
著者:山崎寿人
出版社:文春文庫

30歳で会社を辞め、以後20年に渡り無職生活を続ける山崎寿人氏の著作。
山崎氏は、二浪して東大に入学し経済学部を卒業。
その後、酒類メーカーで広報業務に携わり、入社後5年が経過した際に小説家を志し会社を辞める。
会社を辞めてからしばらくはフリーランスで働いたり、当時の日本新党(時代を感じる!)に事務局として参画したりしつつ小説を書いていた。
やがてどれもしなくなり20余年が過ぎた、という経歴の持ち主だ。

節約術で人生を豊かに

本書は節約術の紹介を主眼としているので、水道光熱費プラス食費を月3万円、年間36万円で収めるための方法論や考え方を中心にしている。
住宅にかかる費用やそれ以外の子女の養育費等は人によって差が大きいからとのことだ。
Bライフの高村氏が大学院時代に借りた高輪の風呂無し物件が3万2千円20代で隠居の大原氏が町田に借りている物件が3万円というのを考えると、8万3千円(100万円/12ヶ月)-水道光熱費食費3万円-最低限の家賃、で2万円くらい余る。
考え方は人それぞれだと思うが、この程度のダウンシフトで自由時間の最大化が叶うのであれば、魅力的だと考える人は少なく無いと思う。
なんだか最近は、こういう働かない生き方の本ばかり読んでいる。

「稼いで使う」というスタイルに染まっている人と話すと、時間の節約のために費用を支払うの理にかなっているという考え方が多い。
自炊は時間がかかるから割にあわない、割高でも近くにあるコンビニで買い物をすることは合理性がある、このようになる。
ただ、時間を捻出するために支出する資金は、多くの場合自分の時間を使って稼いだお金である。
これは人生の浪費だ。
節約することでお金が浮く、その分を労働ではなく自分の好きな行動にあてる。
労働に疲れた身には、この考え方は痺れるように魅力的だ。

実践的アドバイス

本書の述べる節約術の骨子は以下の通りだ。
①料理の技能を高めることで、Quality of Lifeを下げないで食費を抑える
これは向き不向きもあるのかもしれないが、pfa氏など多くの人が指摘していることだ。
実践的なアドバイスとしては、③で稼いだ定常外の収入でホームベーカリーとヌードルメーカーを入手する、食材のまとめ買いは極力しないが調味料はまとめ買いする、ハーブを育てる、などが挙げられている。
②定期支出を見直す(散髪、自家用車、酒・煙草)
散髪は電動ヘアカッターを入手しセルフで行う、自家用車は手放し原付きを普段の足にする、煙草は辞め、酒は集まりの席だけにする、などなど。
③負担にならない方法で定常外の収入を得る(ポイントサイト、治験、ミステリーショッパーなど )
どちらも有名な方法だが、熱中し過ぎて生活を侵さないように年間20万円までと上限を設けているとのことだ。
ここで稼いだ「特別会計」ともいうべき予算で、自炊用の用具や電動ヘアカッターなど、QOLを維持しつつ定期支出を減らすための道具を購入する。
ちなみにポイントサイトの還元率は年々渋くなっており、ミステリーショッパーも人気で当選が難しくなっているのことだ。

不労所得の作り方は自分で見つけないといけない

年収100万円の不労所得の作り方は本書には書かれていないので、それは自分で考えないといけない。
「働かないって、ワクワクしない」でもそうだったが、この手の本は不労所得の作り方は教えてくれない。
氏は相続したマンションを保有しており、その年間賃料が概ね年間100万円とのことだ。
2ちゃんねるだと、「資産2,000万円からの半隠居生活」というスレがあるが、2,000万円を年率5%で運用して100万円と考えると、資金2千万円と同等かそれ以上のものを持っている状態でスタートしたことになる。
スタート時点から不労収入を持っているという、なんとも羨ましい身分である。

ちなみに、節約によって得た自由時間で著者がどういうアクティビティをしているかはあまり述べられていない。
本書のテーマとは外れるのかもしれないが、隠遁志願者としては先輩の生き方が気になった

タイトル:月と六ペンス
著者:サマセット・モーム(邦訳:中野好夫)
出版社:新潮文庫

英国の作家サマセット・モーム1919年の著作。
モームの著作では最も有名なものだと思う。
「タヒチの女たち」「われわれはどこから来たのか われわれは何者かわれわれはどこへ行くのか などで知られる画家、ポール・ゴーギャンをモデルにした小説だ。

主人公の新進作家(若き日のモームの現身であろう)はある日、株式ブローカーのチャールズ・ストリックランドと出会う。
後日主人公は、ストリックランドが仕事と妻子を残し、パリに旅立ったという話を耳にする。
ストリックランド婦人の頼みで主人公がパリのストリックランドを尋ねるところから、二人の奇妙な関係が始まる。

本書におけるゴーギャンであるチャールズ・ストリックランドは、実在の人物をモデルにしながらも、あくまでフィクションの登場人物として書かれている。
そしてそれこそが、本書を物語として充実したものにしている。
架空の人物だからこそ、偏屈だが魅力的なキャラクターをストリックランドに与えることが出来る。
架空の人物だからこそ 、主人公達とストリックランドの対話を通して 、妻子と仕事を捨ててまで絵を描かずにはいられなかった人間の情熱と狂気を表現することができる。
ここで書かれている内容がゴーギャン本人の心情であったかどうかは定かではない。
本書は主人公たちから見たチャールズ ・ストリックランドの物語なのだ。

◯心の底から欲すること

主人公はストリックランド婦人の頼みにより、妻子を捨ててパリに行ったストリックランドに会いに行く。

ストリックランドを見つけた主人公は、彼に詰め寄る。
「17年連れ添った妻を捨てて心が傷まないのか。もう妻を愛していないのか。」
「子供が可愛くないのか」
「あなたが別の女を連れて逃げてきたと皆が言っているぞ、人でなしめ。」

ストリックランドは答える。
「17年養ってやったんだ、あとは自分でやってみるのも目先が変わっていいだろう。ああ、ちっとも愛していない。
「昔は可愛かったがね。これまで楽をしてきたんだ。10人中9人が知らないほどの。誰かが養ってくれるだろう。
「なんてちっぽけな了見なんだろうねぇ、女ってやつは。愛だ。朝から晩まで愛だ。
男が行ってしまえば、それは別の女が欲しいからだと、そうとしか考えられないんだからねぇ。
女じゃない。絵を書きたいんだよ、僕は。」

これには主人公も驚く。
40歳のストリックランドが、これまでの仕事とは全く別の、絵描きになりたいという。
「そういったことはもっと若くから初めるものなんじゃないか。」
「あんたがいっぱしの画家になれるとは到底思えない。」
そう畳み掛ける。
ストリックランドは答える。
「僕はね、描かないじゃいられないんだ。」

◯ストルーヴという男

パリにストリックランドを訪ねて数年後、主人公もパリに居を移すことになる。
主人公にはストルーヴというオランダ出身の画家の旧友がおり、彼もまたパリに住まう。
ストルーヴは、世俗的な名声で言えばストリックランド以上の評価を得ている画家だ。
そのストルーヴは、ストリックランドを「天才」と評した。
お人好しのストルーヴは、ストリックランドを気遣う。
ストリックランドが高熱で倒れた時は妻とともに彼の面倒を見た。

そしてストルーヴは妻をストリックランドに奪われる。
正確に言えば妻のブランシュ・ストルーヴが彼を捨てて、ストリックランドのもとに走ったのだ。
やがてブランシュは、自殺する。

------
『ロジックじゃないものね、男と女は。』
エヴァンゲリオンで赤木博士が言っていた。
赤木博士を苦手だという人も多いが、不器用で等身大な人間な気がして、私は嫌いじゃない。
エヴァはシンジ君と同世代の時にテレビ放送されていたが、気付けばミサトさんやリツコさんより年をとっちまった。
そんな脈絡のないことを思い出した。

◯THE MOON AND SIXPENCE

文庫版で解説を載せている訳者の中野好夫氏が以下のように書いている。
「月」は人間を狂気に導く芸術的情熱を指す。
そして「六ペンス」は、ストリックランドが「月」を求めるために捨てさった世俗的因習や絆等を指す。

月は、芸術に限ったものではないだろう。
自分の心が求めて止まないもの。
そのためなら、世俗的なしがらみを捨てて良いと思えるほど没入できるもの。
私たちはずっとそれを探し求めている。
そして、僥倖、または狂気によりそれを見つけることが出来た人間を羨んでいるのだ。

タイトル:僕はなぜ小屋で暮らすようになったか
著者:高村友也
出版社:同文館出版

東京大学文学部哲学科卒、慶応義塾大学大学院博士課程単位取得退学。
山梨に土地を購入し小屋を建てて生活する高村友也氏の著作。

「Bライフ」との出会い

初めて氏の存在を知ったのは、2年くらい前だ。
働かない生き方隠遁、といったキーワードで検索していたらとある掲示板の書き込みにたどり着いた。
「興味のあるやつは『Bライフ』で検索してみろ」
そう書かれていた。
検索すると、高村氏が土地を購入し、小屋を建て、自活して生活する日々を書き綴ったサイトに辿り着いた。
(今は氏のブログは健在のようだが、当時私が見た「Bライフ研究所」というサイトは無くなってしまったようだ。)
氏はそこで、自前の不格好な小屋にロケットストーブを設け、電力はソーラーパネルで発電しながら暮らしていた。
衝撃的だったのは、感情論に訴えたり精神論を主張するのではなく、淡々と合法的に自分の居場所を確保する取り組みをしていたことだった。
例えば、下水設備の無い状況での屎尿の処理については法律と地方公共団体の条例で方法が定められているが、氏は法規を紐解いた上で適切に対応し、それを記事にしていた。

孤独を望む生き方

高村氏は本書を含めて3冊の著作がある。
本書以外の2冊は、どちらかというと小屋での生活にフォーカスした内容だ。
本書は、氏の生い立ちから始まり、何故今のような生活を志向するようになったかというテーマで書かれている。
私が高村氏の考えに惹かれたのは、交友と交易を否定し、孤独であることを望んでいるように感じられたからだ。
本書の帯にも、「圧倒的な孤独と無限の自由」という言葉が書かれている。
それとは対照的に、企業に帰属した生き方へのオルタナティブであり、かつ交友と交易を否定することを志向する点に、自分との共通点を感じだのだ。

本書の内容は、同意できる点もあれば、よくわからない点もあった。
「死というのは、その人の本性を映し出す変幻自在のジョーカーカードのようなもの」
いずれ死ぬのだから楽に生きたい、いずれ死ぬのだから精一杯生きたい。
確かに、「死」を前提とすることは、自分の本音を抽出するためのプリズムの役割を果たす。
社会のシステムは、多数社にとって使い勝手が良いようにできている。
現代で言えば、組織に属し分業体制の中で働き賃金を得て、賃金で物とサービスを得るということになる。
多数派にとってやりやすいシステムにうまく馴染めないと社会不適合者ということになる。「だがこれは文字通り現行の社会に不適合なだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。
平均的な人間に生きやすく出来ているのだから、不適合者が損をするのは当たり前である。」
この辺の割り切りは難しい。
私は、不適合と侮られること、蔑まれることを恐れてしまう。 
「つまり僕は、現代のメインストリームの生き方も嫌、人間関係の密な相互扶助的な生き方も嫌、そして自給自足するだけの力もない。
となれば、徹底的に質素に生きるしか無い。」
ここで、相互扶助的な生き方をも拒絶するのが、他の論者とは異なる点だ。
私はその主張にとても惹かれるのだ。

高村氏については「結局彼は裕福な家庭の子息なので、適当にぶらぶら生きていくだけの余裕があり、それを過剰に悲観的に書き出すことをコンテンツにしているだけだ」という指摘を掲示板で見た。
確かに文章を読んでいるとそういう印象も受ける。
私も生家の援助が期待できて、かつ生家への対面を気にしないで良いのであれば、大学院に進学したかった。
高村氏はその点について思い悩んだ節は見られない。
本書にも書かれているが、家族との関係は良好なのだろう
また、本書に出てくる「僕は恋愛経験も少ない方ではなかった」という記述は、他の文章のトーンと比べて唐突感を感じた。
著者も、他人からの見られ方を多少は気にしているところがあるのではないかと思った。 

タイトル:働かないって、ワクワクしない?
著者:アーニー・J・ゼリンスキー(邦訳:三橋由希子)
出版社:VOICE新書

「世の中で最も危険な本」と評されている。
タイトルだけ見ると誤解されやすいが、別に無職礼賛の本ではない。
自由時間の価値を見直して、人生のウェイトの置き方を考えなおすことを提案する本である。
特に、下で紹介する「自由時間にやりたいことの特定」「受動的な活動より能動的な活動」という点は、仕事が充実している人が読んでもためになると思う。

本書のもたらす思想は、現代の職業人・組織人にとっては、良く言えば啓蒙、悪く言えば毒だ。
本書で述べられる自由時間に対する考え方は前向きかつ建設的だ、
だから読んだ当初は「『最も危険な本』なんて大袈裟だなぁ、読んでよかった」と思っていた。
ただ、本書をはじめとした働き方に関する本を読み、労働観と人生観について見方を広げて、自分がやりたいことと向き合うなかで、それまで持っていた「仕事のやりがい」が霞んでしまった。
賃金収入を得なければ生命を維持できないがゆえに、「仕事のやりがい」という虚構を自分の中に作り上げ、それにすがっていることに気がついてしまった。
以来、人生を奪われているという感覚から離れられない。

著者のゼリンスキーは政府関連の公共団体で働いてた。
3年間休暇を取らず働き、耐えられなくなり10週間の休暇を取ったがゆえに解雇されたとある。
それ以来定職について働いていないとのことだ。

◯職場が嫌いな25の理由

本書の第5章にある「職場が嫌いな25の理由 」は本書の中で圧巻だと思う箇所だ。
私が大きく同意したのは以下の点だ。
・リストラの結果仕事量が多くなりすぎている
・10年前にクビを切られているべき世間知らずや役立たずと一緒に働かなくてはならない
・生産性は低いのに長く務めているというだけで自分より多く給与を得ている人がいる
・不必要なペーパーワーク
・胸が悪くなるような仕事中毒者と一緒に働かなくてはならない
・自分たちは革新的だと宣伝するのに、革新的な人々をサポートしない組織
給与所得者ならさもありなんという項目ばかりだと思う。
というか、25項目の内、「駐車場が十分にない」以外の24項目はすべて同意できる内容だった。

◯自由時間にしたいことの特定

待ち望んだ週末なのに、つい朝から酒を飲んでまとめサイトやニコニコ動画を巡回して過ごしてしまうことがある
休日をどう過ごしていいかよくわからず、漫然とイベントや会食の予定で埋めてしまうという友人もいた。
本書では、自由時間を楽しむためのアイデアとして、自分の自由時間のオプションを書き出すことを勧めている。
マインドマップのように、中心の「私の自由時間のオプション」から枝を伸ばし、以下の3つの項目に分けて、少なくとも50個以上のアクティビティを書き出すのだ。
・現在、夢中になっている活動
・以前、夢中になっていた活動
・したいと考えている新しい活動
可能な箇所は一つ目のアイデアから更なる枝を伸ばし、より具体的な行動にする。
例えば、「以前、夢中になっていた活動」に「ギター」があるなら、新たに習得したい楽曲を挙げてみたり、若いころに中途半端で終わってしまった「作曲の勉強」を付加するといった具合だ。
このように書き出してみると、人生にはやるべきことがたくさんあることに気付くだろう。
労働ですり減っている場合ではない。

◯受け身な行動より能動的な行動

上で紹介した「自由時間にしたいことの特定」が書かれているのは本書の第七章だ。
そしてその章の表題は「誰かがおこした火で暖まるのではなく、自分で火をおこそう」である。
本書では、マズローの階層論を引用し、受動的な活動より能動的な活動を勧めている。
受動的な活動の中に、テレビ、ショッピング、過食と並んで「酔っ払うかドラッグでぼんやりする」ことが挙げられている。耳が痛い。
アル中の話でも書いたが、人間は往々にして、「大きな楽しみをもたらすこと」よりも「楽しみは小さいが簡単に楽しみが得られること」を選択してしまう
(関連記事:アルコールは安易な快楽
興味のある分野の本を読んだり、ブログの原稿を書くことは楽しいが、私の生活の中では相対的に頭を使う行動だし集中力も必要だ。
それよりも、朝から酒を飲んでまとめサイトで「画像で笑ったら寝ろ」を順番に見てしまったりする。
その方が簡単だからだ。

だが人生は有限だ。
酔っ払うことに長い時間を費やしていると、他のことをする前に死んでしまう。

◯資金面の解決方法は書かれていないので注意

減速して十分な自由時間と共に生きるにあたり、どのようにして資金を得るべきなのかには触れられていない。
私の考える本書に対する最大の不満だ。
著者は、本書を始めとして何冊かの著作があり、それらが商業的にも相応に成功を収めている
すなわち、資金面に関しては「リスクを取って自分の事業を行い成功した」というモデルだ。
結局行き着くところは、「『自由時間でやりたいこと』で死なない程度の所得を得る」ことなのではないか。
でもみんなそれに自信が持てないから辛くても会社で働いているんじゃないか。
お金の限界については本書でも書かれているので、それと絡めてこの点に触れて欲しかった。
私は賃金労働が嫌いだが、今の仕事は相対的に時給換算の給与が高く担当者の裁量もあるという点で手放し難い。
これよりひどい仕事は、いくらでもある。
条件も職務内容も酷い仕事が、火を付けて灰にして、掃いて捨てて、 水をかけて洗い流して、それでも無くならないくらい多いのだ。

※ゼリンスキーの別の本も読んでみたのだが、稼ぐ方法は頭を使って自分で探せとのことだ(怒)
関連記事:『ナマケモノでも「幸せなお金持ち」になれる本』具体的な方法は個々人で探せと

・第九章「今この瞬間に生きよ」第十章「くだらない仲間といるより一人になれ」はアドラーの思想と繋がるものがある。



↑このページのトップヘ