帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

カテゴリ: 読んだ本

タイトル:金持ち父さん貧乏父さん
著者:ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター(邦訳:白根美保子)
出版社:筑摩書房

お金に関する考え方の指南書だ。
「金持ち父さん」シリーズとして多くの書籍が刊行されている。
米国で原著が出版されたのは1997年である。
米国企業が終身雇用をやめた一方で、技術革新により新しいビジネスの萌芽が生まれた時期である。
「働き方本」のプロトタイプと言えるかもしれない。

本書はの主張は明快だ。
『手持ちの資産を、不動産または株式への投資に回すことで不労所得を得る』ことにより、『経済的自由』を手に入れる。
本書の多くの部分が、この主張を裏付けるためのキヨサキ氏の体験談や、投資に対する考え方、節税対策に割かれている。

一つ面白いと思った考え方が、金持ち父さん流の資産と負債の考え方だ。
もちろん会計やファイナンス理論におけるAssetとDebtとは違う。
金持ち父さん流では、キャッシュインフローを生むものを「資産」、キャッシュアウトフローを生むものを「負債」と考える。
この考え方だと、株式は資産だが、持家は負債ということになる。
また、教育は資産にも負債にもなり得る。
キャッシュアウトから始まるが、将来的にキャッシュフローを生む可能性がある「プロジェクト」と考えると一番しっくり来るのかもしれない。

日米の制度の違いには留意する必要がある。
例えば、日本では固定資産税が高いので、不動産投資を主軸にしたキヨサキ氏の体験談をそのまま踏襲することは出来ないという指摘がなされている。
また、法人を用いた節税についても日米で制度が異なる。
日本における法人を活用した節税については橘玲氏が著作の中で取り上げているので、そちらの方が参考になる。

タイトル:独立国家のつくりかた
著者:坂口恭平
出版社:講談社現代新書

多くの支持者を持つ活動家、坂口恭平氏の2012年の著作。
「活動家」と言うのは本書を読んで私が感じた氏の生き方だ。
作者紹介では、建築家、作家、絵描き、踊り手、歌い手という5つの仕事を書いている。
とはいえ、私はこの本を読むまで著者のことは知らなかった。
「Bライフ」の高村友也氏や、「ナリワイを作る」の伊藤洋志氏の本と繋がるおすすめをAmazonでたどって本書にたどり着いた。
関連記事:『僕はなぜ小屋で暮らすようになったのか』現代の隠遁者の胸の内

正直言うとこの手のリベラルなスタンスの人の本は敬遠していた
本書でも共感はおろか理解すらできなかった話もいくつかあった。
それでいて、私の心に強烈に突き刺さったアイデアがいくつか紹介されている。
凡庸なリベラルではない思考の深さ(あるいは直感の鋭さ)を感じた。
例えば、氏は原発に対しては否定的なスタンスだ。
だがその一方で
「脱原発はもちろんけっこうだが、それは実は脱政府であり、脱会社ということになると思う。(中略)僕はすぐに断定した。できっこない。」
と評する。


◯土地の所有への疑問

本書では「土地の所有」について強烈な違和感を提示する。
土地の所有をめぐって人類は古代から争ってきた。
だが、人間が地球の一部を所有することは可能なのか。正しいのか。
基礎を打った建物は、面積が正確に把握される。一方、法隆寺には基礎がない
何故現代では大金で土地を購入し、その上に住居を建てるのか、また、なぜ地球にではなく大家に対して賃料を払うのか。
本書では、人の所有欲と国家の管理の便宜のために、法が土地の所有というレイヤーを作っていると指摘する。

坂口氏は早大で建築を学んだ。
そして、卒業研究として、路上生活者の住居を調査した。
後にそれは『0円ハウス』と言う名で写真集として出版される。
そして、基礎を持たない路上生活者の住居には、大多数の人間が見ているのとは別のレイヤーが存在することを感じ取る。

誰のものでもない土地と0円ハウスがあれば、人間が生存に要するコストは大幅に削減される。
生命維持のための費用を稼ぐための日々の労働から開放される。
労働に縛られるのではない、自分の人生を選択することができるようになる。
そのように問題提起する。 

◯鬱の時にすること

著者は、自身が躁鬱病であるということを公表している。
うつ状態の時は完全な絶望に陥り、毎日死ぬことを考える。
その一方で、鬱状態だからこそ出来ることもあるという。
鬱状態の時は徹底して傍観者になるという。
望みを絶った絶望眼を以って、世界を観察するという。
そうやって見たものごとを、躁転した後に行動に移すのだという。

似たような感覚が私にもある。
精神的に参っている時のほうが、深い思考が出来る。
苦悩の真実に迫れるような気がする。
ブログの文章は土日にまとめて書くことが多いが、着想を得るのは平日の日中、仕事中に吐き気がして便所に駆け込んだ時などが多い。

タイトル:日本を降りる若者たち
著者:下川裕治
出版社:講談社現代新書

旅行作家の下川裕治氏の2007年の著作だ。
下川氏は、大学卒業後新聞社に入社、記者として経験を積んだ後に旅行作家として専業になったという経歴の人物だ。
また、情報誌『格安航空券ガイド』の編集にも携わり、本邦における海外旅行のスタイルの多様化の一翼を担った人物でもある。
そのためか、他の旅行作家と比べると文章が読みやすく、目線も一般的な勤め人と乖離していない印象を受ける。
多作な作家だが、私は特に『12万円で世界を歩く』(朝日文庫)、『5万4千円でアジア大横断』(新潮文庫)、『格安エアラインで世界一周』(新潮文庫)を何度も読み返した。
この3冊は通して読んでいただくと、格安航空券の台頭以降の日本人の個人旅行(貧乏旅行)事情の変遷も見て取れると思う。

本書では、日本で短期間働いて貯めたお金をもとに海外で働かずに生活する「外こもり」の実態を書いている。
登場人物は下川氏が実際に交流のある人々だ。
本書のトーンは「外こもり」に対して寛容でも批判的でもなく、フラットである。
個々の外こもり達の話を書きながら、外こもりが生まれる背景に関する考察と問題提起を意図しているように感じた。
氏の後の著作である『格安エアラインで世界一周』(2009年)で本書の後日談が書かれていたが、読者の反応は著者の思いとは裏腹に、外こもりたちの生き方について批判的なものが多かったとのことである。

外こもりの背景

本書で提起されている外こもりの背景は2つに大別される。
一つは「日本の働きにくさ、息苦しさ」だ。
本書に登場する外こもりの多くは、日本で正社員・派遣社員等として働いたが、そのスタイルに馴染めず外こもりにたどり着いた。
年功序列、予定調和、硬直的な勤務条件、根回し文化、そういった働き方への反発がある。
もう一つは、日本の若年雇用事情の悪化だ。
就職氷河期に非正規やフリーターとなった人々など、90年代後半以降、仕事にやりがいを見いだすことが難しい人間の割合が相対的に上昇しているように思う。
そのような世代の一部が辿り着いた、オルタナティブなライフスタイルが外こもりであるとも言える。

「豊かな青春、惨めな老後」の現代的解釈

私見を述べれば、当ブログで何度か述べた「高齢化による社会保障の不均衡と老後への不安」そして「情報技術の発達による働き方の可能性の多様化」と通じるものがあると感じた。
バックパッカーを評した言葉で「豊かな青春、惨めな老後」という表現がよく使われる。
谷恒生著の『バンコク楽宮ホテル』で、安宿の壁に書かれていた言葉のようだ。
生涯年収3億円では、100歳まで「生きてしまった」場合の生活費を、現役の時代に貯めきることは出来ない。
一昔前にまっとうと言われた生き方を踏襲したとしても、「惨めな老後」を迎える可能性が高まっている。
「豊かな青春、惨めな老後」という警鐘・自嘲は高齢社会においては時代遅れなのだ。
本邦において硬直的な労働に耐え忍んだ多くの働きアリ達にも、冬には惨めな老後が待っている。 
だが、外こもりたちの生活もまた「豊かな青春」というには禁欲的に過ぎ、どこか暗い後ろめたさを感じる。
彼らもまた、享楽的なキリギリスでは無いのだ。

物価上昇と外こもり

ちなみに、本書では一例を除いて、全てタイに暮らす外こもりについて紹介している。
本書の刊行から10年近く経ち、今だとタイ、特にバンコクは外こもりには向かない都市になった。
スクンビット通りのコンドミニアムの賃料は東京と変わらない水準らしい。
カオサンロードの安宿事情はこれよりも緩やかかもしれないが、昨今では外こもり達はタイの東北部やカンボジアなどに移っているようである。

タイトル:我が逃走
著者:家入一真
出版社:平凡社

本書を手に取るまで、家入一真という名前は知らなかった。
氏が出馬した2014年の東京都知事選には私も確かに投票したのだが。

著者はロリポップサーバーで有名な現GMOペパボの創業者だ。
GMOペパボ以降もいくつかの会社を立ち上げ、シリアルアントレプレナーと評されている。
(シリアルアントレプレナーとしては、PayPal創業者のイーロン・マスクが有名。) 
本書では、福岡で創業したGMOペパボの東京進出と上場、2社目の起業と失敗、その後何社かの起業、東京都知事選出馬という順で話が進む。

本書の冒頭でも書かれているが、氏は中学生時代にいじめが原因で引きこもりになり、会社員生活にも馴染めなかったので最初の会社を作ったという。
会社で働きたくない私としてはその動機に親近感を覚えて本書を手にとった。
成功と失敗を経験した起業家の半生記なので読み物としてはかなり面白かったが、共感や指針は得られなかった。

イマイチ共感できなかったのは以下の2点が決定的に私と違うからだと思う。
・ネットワーキング
著者は引きこもり経験者でありながら、かなり社交的だ
20歳位のときに結婚して子供も作っている。
東京に出てきてからは同世代のIT企業の経営者や、2社目で失敗してからも若いクリエイターと交流して力になったりしている。
反面、利益目的で自分を利用しようとする人間に気付かず、2社目が傾く要因になる。
この一点においては、孤立を求めている私とはかけ離れたパーソナリティだった。

・マネジメント
創業社長ってそんなものなのかもしれないが、管理業務は自分以外の誰かがちゃんとやってくれて当たり前、というスタンスに結構腹が立った。
特に参謀役が口を酸っぱく注意するのも聞かず、2社目を破綻させる様は読んでいてムカムカする
私は金勘定が得意で好きな側の人間なのだと改めて感じた。

タイトル:ウォール街のランダム・ウォーカー 原著第11版(原題:A Random Walk Down Wall Street)
著者:バートン・マルキール(邦訳:井上正介)
出版社:日本経済新聞出版社

駆け出しのころ1回読んだが、先般、タイムリーに新版の訳本が出版されたと知り再読した。
本書は、米国の実務家ではなく一般的な個人投資家向けの投資指南書として書かれている。
(『一般的な投資家』がこのレベルの内容を理解しているとしているとすると米国は非常に恐ろしい国だ。
実際に手を取るのは向学心のあるハイアマチュアや学問的権威に弱いインテリ中間層だと思う。)

本書の主張は一貫している。
テクニカル分析に基づくトレードも、ファンダメンタルズ分析に基づく投資も、長期間有用であったという実証はされていない。
ゆえに、株式投資の最善の法は、インデックスファンドを時間分散で購入することだ、という主張である。

著者は、プリンストン大学で教鞭をとったアカデミアに属する人物である。
一方で、ウォール街における実務経験もあり、教授職を得てからはパッシブ運用の代表的な運用会社であるバンガードグループの社外重役も長年勤めていた。
記憶が正しければ、バンガードの関係者だからこういう主張をしているというわけではなく、こういう主張をしていたからバンガードに招聘された、という順番のようである。

アクティブ運用が手数料に見合った運用成果を実現することは難しい。
少なくとも、「一般的な個人投資家が手数料に見合った運用成果を実現するアクティブマネージャーを見つけることは難しい」という主張には異論はない。
一方で、インデックス運用について歯痒さを感じる局面があるのも確かだ。
その時々の相場で、GICSの24業種または東証の33業種で、この業種にはポジションをとらなくて良いだろう、というセクターが2つ3つはある。

私が感じた本書の最大のインプリケーションは以下の点だ。
「精緻な分析でこの銘柄には市場から過小評価されているということが判断できるとしても、それが是正される日がいつ訪れるかは分からない。」
現実はきまぐれだ。
先日のPokemon Goのリリースによる任天堂株の急騰を見ても、同社の持つコンテンツの価値が市場に再評価されるタイミングが、今この瞬間であったと事前に予測できた人間は多くないだろう。
市場がミスマッチに気づくタイミングについて賽を振ることと比べると、市場全体に対してポジションを取ることは極めて現実的な対応だと考えられる。
もちろん、本書でも勧めているが、ある程度資金があって、株式の売買が可能な立場にいる(今の日本では会社の過剰な自主規制で株式を自由に買えない人間が多すぎる)のであれば、自分が成長が見込めると考える銘柄20銘柄くらいに長期的なスタンスで投資することは理にかなっているし、何より面白い。

最後に、日本のマスリテール向けの投資信託販売について言いたい。
売ってる人と作ってる人は分かっててやってるのだと思う(それだけ罪深い)。
推奨されるままに買っている人は圧倒的に勉強が足りない。
そのお金を稼ぐために、自分がどれくらい望まない労働に耐えてきたか考えて欲しい。

1.銀行や証券会社の営業担当者が推奨する販売手数料3%取るようなファンドは、投資の開始時から投下資金が3%減少した状態で始まる。
そんなものを勧める人間を果たして信頼してもいいのか、フラットに考えて欲しい。
2.基準価額の水準はファンドの運用成績とも今後の方向性とも全く関係ない。
上昇局面の初期に設定した基準価額20,000円のファンドが割高なわけではないし、株価が高いところで設定した基準価額6,000円のファンドの運用成績が他の運用者と比べて劣るわけではない。
3.特別分配金について理解して欲しい。
基準価額8,000円で買ったファンドが7,500円まで値下がりしてしまい、その状況で毎月100円分配金が出ても、それは自分が出資した分を払い戻しているに過ぎない。
基準価額が下がっているということは、キャピタルゲインとインカムゲインの合計では収益は発生していないのだから。



 

タイトル:嫌われる勇気
著者:岸見一郎、古賀史健
出版社:ダイヤモンド社

2014年のベストセラーであり、アルフレッド・アドラーの思想を現代日本に広めた本。
私は友人の勧めで昨年の春頃に手にとった。
アドラーの思想はしばしば自己啓発の源流と言われる。
本書の冒頭でも、スティーブン・コヴィーの『7つの習慣』との類似性が語られる。
第一の習慣である自己リーダーシップ、すなわち反応的に生きるのではなく選択の自由を持っているという意識で行動するという考え方は、本書で言う「原因論の否定」とほぼ等しいアイデアだ。

本書は、悩みを抱えた青年が哲学者のもとを訪れ、二人の対話の中でアドラーの思想が語られる。
この「青年」を軸にしたことが、本書の優れた点の一つだ。
アドラーの思想は人間の根源に関わるものだ。
ともすれば抽象的な「べき論」になりがちな議論を、青年は現代に生きる我々の課題として再定義する。

私はアドラーの原典には当たっていないのだが、本書と続編の『幸せになる勇気』を読んだ。
本書が、「課題の分離」や「承認欲求の否定」といった自分の内面との向き合い方にフォーカスしているのに対し、『幸せになる勇気』は「共同体感覚」などの外界との関係にフォーカスしているように思う。
この内面の課題に対処し、それを外との関係に波及させるというのは、コヴィー言うところの「インサイド・アウト」の考え方の原典なのかもしれない。

◯原因論の否定
アドラーは原因論を否定する。
人が不幸であるのは、不幸な自分を必要としているからだ。
人が怒り激昂するのは、その感情の発露により相手との関係を有利にしようと目論むからだ。
そのように考える。

一見身も蓋もなく見えるが、私には両方とも痛いくらい覚えがあった。
生家を囲繞していた不協和音、それを解決することも出来ず、距離を置く決意も出来なかった。
ゆえに私は、不幸な自分を必要としていた。
精神を病み不安定になり、時に激昂するような言動を職場で取っていた。
その時私は、その不安定により駆け引きを有利にしようと言う思惑が確かにあった。
もちろん、その時々の自分をマネージするのはとても難しい。
ただ、上記のような自分の不幸も葛藤も自分が求めているというパースペクティブを持つことで、自分の感情を客観視出来る。

◯承認欲求の否定
アドラーは承認欲求を否定する。
そして、「他者は自分を満足させるために生きているのではない」と警告する。
その反対に、他人の欲求を満たすために行動することに疑いの目を向け、他者の課題を分離することを提案する。
他人の承認を求め、評判を獲得することを目的とすることは、自分の人生を生きることの否定だ。

このくだりを読んだ時、スティーブ・ジョブズのスピーチでも、自分の為に生きろ、他者の発するノイズに惑わされるな、という言葉があったことを思い出した。
Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.
現代で最高の治療を受け得るだけの成功を修め、生への渇望があったジョブズでさえ、病気を克服できなかった。
我々はこのことを真摯に考えなければならない。

他者から評価されるためではなく、自分が求めることを行う。
そして、人を愛するときは自分も愛されたいという思惑に拠ってではなく、自分が愛したいという原理で愛する。
これは非常に本質を付いているように見えるし、ロジカルで理性的だ。
だが、私の目には極めて困難に映った。
前提として、『他者からの無条件の愛で満たさ経験』が必要ではないのか。
それを得ない状態で果たして人は他者を無条件に愛せるのだろうか。

◯人生は連続する刹那である
本書では、原因論を否定し、「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てることを提唱する。
いま、この瞬間を楽しみ、充実させる。
我々の今は過去に作られているわけではない。
そして我々の未来も現在の単純な延長ではない。
人生は連続した刹那としてしか存在し得ない。

この考えをニヒリズムに翻訳すると、ニーチェの言う永劫回帰になるのかもしれない。
延々と岩を山頂に運び続けるシーシュポス。
我々の人生もそうであるならば、岩を運んでいる現在の自分にスポットライトを照てることなしに、どうして生を続けられよう。


タイトル:フリーエージェント社会の到来
著者:ダニエル・ピンク(邦訳:池村千秋)
出版社:ダイヤモンド社

米国における自営業者の実態に関する調査報告。
米国では、本書の執筆時点で3,300万人の自営業者(フリーエージェント)がいるとされている。
しかし、その実態については国勢調査や雇用統計でも正確な把握が出来ていない。

著者は、クリントン政権下でロバート・ライシュ労働長官とゴア副大統領のスピーチライターとして、合衆国政府の中枢において勤務した経験を持つ。
30代半ばにホワイトハウスにおける職を辞して以来、自身もフリーエージェントとして執筆活動に従事している。
本書は、著者が勤め人としてのキャリアの末期に、仕事のプレッシャーと過労からホワイトハウスでゲロを吐くところから始まる・・・。

原著の出版は2001年なので、すでに15年前である。
にも関わらず、現代の日本に当てはめても違和感が無いことに驚く。
当サイトでも取り上げたことがある橘玲ちきりんは、本書の考え方にかなり影響を受けているように感じた。
働き方本におけるタイムマシン経営ということなのかもしれない。
特に、現在のはオーガニゼーション・マン(組織人)としての働き方に辛さを感じている方は、1~5章を読んでみると自分の苦悩の根幹が見えるかもしれない。

◯フリーエージェントの台頭は企業と社会の変化の要請であるということ
「日本が終身雇用を前提としている一方で、アメリカは解雇規制が柔軟」というのは、ここ10年くらいのトレンドである。
80年代までは、米国の大企業の多くが雇用の維持を最優先事項とした家族経営をしていた。
AT&T、コダック、IBM、いずれも後に大規模なリストラを余儀なくされる。
技術革新とビジネスのスピードの加速、新興国の台頭、成長分野の減少、そのような成熟した経済で終身雇用を維持することは、競争力の低下と企業体の破綻をもたらしかねない。
本書ではこの過程を端的に『経済の「子供時代」の終焉』と呼んでいる。
その他に、フリーエージェントの台頭の背景として「ITの発達により生産手段が安価になったこと」と「経済の繁栄により働き方を模索する余裕が出てきたこと」が挙げられている。

◯フリーエージェントとは何か
本書ではフリーエージェントを、フリーランス、臨時社員、ミニ起業家、フリーエージェント社員の4類型に分類している。
ミニ起業家というのは橘玲の言うところのマイクロ企業とだいたい同じだ。
起業というと一般的にハイリスクを取りつつ規模の拡大を目指すようなイメージがある。
だが、マイクロ企業は規模の拡大は目指さず、マネージ出来る範囲の事業を行いつつ法人に与えられる制度上のメリットは享受することが目的だ。
また、フリーエージェント社員は組織で雇われながらもフリーエージェントのように働くようなスタイルだ。
フルフレックスで納期までにアウトプットを出すことがジョブディスクリプションであれば、フリーエージェントの働き方をあまりかわらないだろう。
一般的な大企業では聞かないが、ベンチャー企業や外資系企業の一部の部署では日本でもありそうだ。

また、フリーエージェントの価値観を以下の点から説明する。
自由・・・プロテスタント的な禁欲的労働観からの解放、社内政治からの解放、仕事の選択の自由、インターネット監視
「心の乾きを癒すのは(勤め先の用意する)無料のコーラではなく、自由なのだ。」
自分らしさ・・・組織の最適化は個人の犠牲の上に成り立つ。Work is personal.
責任・・・フリーエージェントは自分の仕事に自分が責任を負う。理解の足りない上司の判断を仰ぐ必要はない。また、組織は怠け者に必要以上の給与を与え、有能なものに必要十分な給料を与えない。
成功・・・オーガニゼーション・マンとして得られる成功は、給与の上昇、出世、事業の拡大が主な部分だ。しかし、これは必ずしも万人にはあてはまらない。
本書では、フリーエージェントのこれらの価値観について、テイラーシステムに拠ってもたらされたTaylor-maidの働き方ではなく、Tailor-maidの働き方を志向していると評している。
また、未来の成功のために現在を犠牲にするのではなく、現在の仕事を楽しむ点に力点を置く。
アドラー心理学における「人生は連続した刹那」と繋がる。

◯その他
・企業への忠誠心は新しいアイデアを阻害し、個人を押さえつける。
企業が保障をやめた時、オーガニゼーションマンも忠誠を失った。
フリーエージェントは、組織への忠誠心ではなく、チームや同僚、職業や業界、顧客に対するロイヤリティを軸にする。
・フリーエージェントを阻む既存の制度として、自宅をオフィスに使えない法制が一部の州にあること、医療保険の加入が基本的に会社単位であること、社会保障税が全額自己負担になることなどを挙げている。
これは日本でも当てはまることもあれば当てはまらないこともあるなと思う。
源泉徴収について面白い記述があった。
米国で所得税が課税されるようになったのは1913年、源泉徴収が始まったのはその30年後だ。
当時は第2次世界大戦の最中で、議会は所得税の増税を決定する。
ニューヨーク連銀の幹部であったメーシーズ出身のビアーズレー・ルムルという男が、メーシーズ時代に、顧客が一括で大金を支払うよりも分割で支払うことを好んだという経験から源泉徴収を導入したという。
・義務教育はオーガナイゼーション・マンを生み出す装置。
時間割、教師、予鈴など、近代的な工場と似ている。



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