帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

カテゴリ: 読んだ本

タイトル:金閣寺
著者:三島由紀夫
出版社:新潮文庫

金閣寺を再読した。
最初に読んだのは大学4年生の頃だったので10年以上前だ。
三島作品はこれと『仮面の告白』しか読んだことが無い。
人物の内面の描写と情景の描写が共に丁寧で、話の進み方も飛躍や欠落が無い。
人気作家になったのも良く分かる。
使っている言葉は敢えて難しくしているようにも見える。
同時代の作家で現在出版されている文庫版の注釈がここまで多い作家はなかなか無い。

本書は、1950年にあった金閣寺放火事件をモデルに書かれた小説だ。
コンプレックスを抱えた青年僧が金閣を焼くまでの過程を、青年の内面を丹念に描写しつつ紡ぐ。

本書については多くの評論がなされているが、私なりに理解する鍵だと思うのは明示的、暗示的に提示されるいくつかの対立軸だ。
認識と実行、モータルとインモータル、美と醜、観念と実体、人間と物、
コンプレックスを直接克服できない人間は、別の対立軸で自分がいる逆側に行こうとすることで、擬似的にそれを乗り越えるのかもしれない。
醜悪を克服できない人間は、聡明さや名声でそれを代償しようとする。
また、自分の心を捉えて離さないものを、無理やり自分の側に引き寄せることでコンプレックスの克服とするのかもしれない。
主人公の青年僧の溝口が金閣を焼いた理由を、金閣の美を永遠とすることではなく、金閣の美を克服することに見出すのはこの見地からだろう。
溝口は中盤までは、自分が金閣の住職となり、金閣と同化することを夢見る。
老師が女を連れて歩く場に居合わせたことでその望みが絶たれると、金閣を自らのほうに引き寄せようとした。
そのような解釈も可能だと思う。

◯コンプレックス
『何か拭いがたい引け目を持った少年が、自分はひそかに選ばれた者だ、と考えるのは、当然ではあるまいか。この世のどこかに、まだ私自身の知らない使命が私を待っているような気がしていた。』
『人に理解されないということが唯一の誇りになっていたから、ものごとを理解させようとする、表現の衝動に見舞われなかった。』
前者はコンプレックスへの対処として少年が陥りがちな夢想だ。
吃音でなくとも、身体能力や容姿のコンプレックスでもそうだろう。
事実、青年期までの私は、時分は選ばれし者だと、心の底では考えていた。
後者は、コンプレックスの対象を自分のパーソナリティとして認めたことによるものだ。
これは一見自分の弱点を受け入れ、コンプレックスを克服したようにも見えるが、依然としてそれに縛られている。

◯柏木
主人公は大学で柏木という三宮の禅寺の息子と出会う。
柏木は内反足の人格破綻者だが、議論に優れ尺八を巧みに吹く。
柏木がは言う、
「童貞を捨てるのに商売女を使う気はなかった。
やつらは客であれば、美男であれ醜男であれ、皆平等に扱う。
内反足の俺が五体満足な人間と同じように扱われてたまるものか、」と。
不思議な言葉だと思う。
誇り高く、それでいてどこまでも卑屈に響く。

◯殺仏殺祖
臨済録にある殺仏殺祖が何回か登場する。
「裏(うち)に向かい外に向かって逢着せば即ち殺せ。
仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し 羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得ん。」
本来は、解脱に至るためには権威や情を克服する必要があるという言葉だろう。
現代では、幸福はおそらく認知の先にしかない。
自分の幸福を定義することを解脱に置き換えると、そのまま現代人へのアドバイスとなるだろう。


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文庫版の解説では、三島が38歳の時に本書について回想した文章を引用する。
『どんな人間にもおのおののドラマが有り、人に言えぬ秘密があり、それぞれの特殊事情がある、と大人は考えるが、青年は自分の特殊事情を世界における唯一例のように考える。』
社会の変化が加速し、年齢が上の世代との認識の断絶はより強固になっているのではないだろうか。
現代においては、我々の世代の少なくない人間が、齢三十を超えてなお、青年の如き悩みに縛られ続けている。


金閣寺改版 [ 三島由紀夫 ]
金閣寺改版 [ 三島由紀夫 ]

 

タイトル:未来の働き方を考えよう
著者:ちきりん
出版社:文藝春秋

ブロガーのちきりんの本。
この人は名前だけはネットで見たことがあった。
イラストを見て、ウルフヘアのおっさんだと思っていたが、どうやら女の人らしい。
詳細なプロファイルは公開していないが、ネットで本人と目されている人の経歴を見ると、証券とコンサルが長いようだ。
文章がくどくて、そこまで大事か?という場面で詳細な図が出てきたりと、気になる点もあったが、働き方に関する視点は示唆に富んでいた。
働き方を考えることが時代の要請なのはこちらの記事にも書いた。
私にとっては相応に大きなブレイクスルーだった。 

◯働き方の変化が求められる理由
本書では、これからの働き方を高度経済成長期以降のそれと同列に考えてはいけない理由として、以下の点を挙げている。
・寿命の長期化
1947年に50歳だった日本人の平均寿命はいまや80歳以上である。
100歳以上の人口は、1963年には153人だけだったが、2012年には5万人になり、2050年には69万人になる見込みだ。
既存のモデルは、現役の時代にひたすら働き続け、その間の蓄財を老後の安定の原資とする。
しかし、今後の長寿社会では、老後の安定は存在しない。
自分が100まで生きるとした場合、その間に必要な資金を65歳までに稼ぐことは不可能だ。
現代人にとって、老後は楽しみではなく不安の対象なのだ。

・パワーシフト
パワーを持つ層の交代が3つの分野で起こっている。
企業から個人、先進国から新興国、ストック(資産の蓄積)からフロー(資金を稼ぐ能力)。
今の現役世代が親世代から最上のものと刷り込まれた日本の大企業のモデルは、この3つのシフトにおいて力を失う側にいる。
本書では、大企業を辞める若者について、章を一つ設けて論じられている。
大企業が与えるものの価値が低下しているからこそ、そこで働くことはお宝ではないと考える人間が増えているのだ。

◯これからの働き方
40歳を超えたら第二の人生を歩もうという考え方が本書で提唱されている。
新卒で会社を選んだ時よりも社会や業界の仕組みがよくわかっているし専門知識もある。
そのためのステップとして、資金の使途を見直すこと、やりたいことを明確化することを挙げている。
・資金使途
お金を使うときは、それが自分の労働何年分かを考える。
300万円の新車を買い維持費に年間40万かかるとすると、10年で700万円。
年230万円で生活できる人にとっては3年分の生活費に等しい。
・やりたいことの明確化
有限な人生で何をしたいかを明確化する。
自分がしたいこと、自分の本音と向きあい、その実現のために計画的に取り組むことを勧めている。
ここでは、やりたくないことだけではなく、やりたいことを明確化することが一番大切だ。
ネトゲに嵌って廃人になるのも、ボランティアのために会社を辞めるのも、それが「やりたいこと」だからだ。
やりたいことが見つかるというのはとても幸福なことであり、「将来の安定のために今を我慢する」ことは愚かだ。
絶対的な将来の安定は存在せず、老後は恐れるべきものになったのだ。
私はずっと病気になって働かないで給料が欲しいと思っていた。
これは「やりたくないこと」に過ぎないので、それだけだとダメなのだ。
具体的に、一日をシミュレートできるレベルで、毎日やりたいことを明確化する必要がある。

◯その他の気になった点
・格差に抗議する先進国の貧者は、新興国の貧者との生活の差をあえて見ていない。
・親世代の価値観という呪縛。親は子よりも知識がない分野でもあるように語ってしまうし、子もフラットに考えにくい。
現在進行形で生じている変化を最も鋭敏に捉えられるのは現役世代なのだから。
・不幸な境遇の人間ほど真剣に考えている。老人より若者、富裕者よりも貧者。
 

 

タイトル:長距離走者の孤独
作者:アラン・シリトー(訳者:河野一郎、丸山才一)
出版社:新潮文庫

戦後の1950年台から70年台にかけて活躍した英国の作家、アラン・シリトーの著作。

非行少年のスミスはパン屋に忍び込み金を盗み、感化院(少年院の古い言い方)に収容される。
スミスはそこでクロスカントリーレースの選手として練習を積み、大会に出ることになる。
しかしスミスは反抗することを止めない。

労働者の家庭に生まれたシリトーは、14歳で学校を出てからすぐに働き始めた。
工場労働者を経て空軍に仕官するものの、肺結核によりサナトリウムに入ることになる。
療養期間中に多くの本を読んだことが転機となり小説を書き始めたという。
同時代や現代の一般的な作家像からすると異端な経歴かもしれない。
実際に彼の著作は、当時の英国の労働者階級の人間を主人公にしたものが多い。
初めてシリトーの名前を知ったのは、沢木耕太郎の著作だった。
シリトーの著書である「土曜の夜と日曜の朝」を引き合いに出して、労働者にとっての土曜の夜の特別さに言及していた。
一週間で一番素敵なのが土曜の夜なのだ。

◯走ることに関して

スミスが練習しているクロスカントリーレースは、野山を走る競技だ。
クロスカントリーという言葉はスキー以外ではあまり使われなくなっているが、なるほど、クロスカントリー・ランがあってもおかしくない。
冒頭、スミスが冬の朝にランの練習に出るところから物語は始まる。
スミスは言う「分かってもらえるだろうか。俺がこんな寒空の下早朝から走るのは、この世で最初で最後の人間みたいな気持ちを味わいたいからなんだ。」と。

◯反抗することについて

スミスは、明らかに自分にとって不利益が待っているとわかっていても、反抗することを止めなかった。
それも、普段は従順なふりをして、ここ一番の大舞台でそれを実行した。
「見せてやるさ。誠実とはどういうことか。」
力なきものの一振りは無力だ。
だが、振り下ろすことが存在の証明になる。
そんなことを考えた。

◯「漁船の絵」について

新潮文庫版の本書には、表題作を含めて8篇の短編が収録されている。
そのうちの一遍に「漁船の絵」という作品があった。
別れた一組の夫婦。
郵便配達をしながら生活する男のもとに、10年ぶりにかつての妻が現れる。

シリトーについて持っていた前知識に似つかわしくない作品だったので、不意を突かれたのも一因かもしれない。
そのロマンティックと静かな情熱に、久方ぶりに小説を読んで胸が切なくなった。
 

長距離走者の孤独 (新潮文庫)
アラン シリトー
新潮社
1973-09-03


タイトル:アルケミスト 夢を旅した少年
著者:パウロ・コエーリョ(翻訳:山川紘矢、山川亜希子)
出版社:角川文庫

ブラジルの小説家パウロ・コエーリョの作品。
訳者のあとがきによると、現地での初版は1988年とのことだ。
学生時代に、友人に勧められて同じ著者の『悪魔とプリン嬢』を読んだ。
内容は全然覚えていない。

アンダルシアを旅する羊飼いの少年が、夢の導きに従ってエジプトのピラミッドを目指す。
占い師、セイラムの王様、泥棒、クリスタル売り、錬金術士志望のイギリス人、オアシスの少女、錬金術士
多くの人々と出会いながら少年の旅は続く。

タイトルの割に錬金術師は全面に出てこない。
ただ、最後の方で少年が砂漠の声を聞くところで、鋼の錬金術師で出てきた「一は全、全は一」の考え方と繋がるような問答があった。

◯散りばめられた寓話
寓話めいた話が多いが、星の王子さまほど説教臭くない。
対象年齢が高いからだと思うが、ストーリーの節々で、比較的出しゃばらないような格好で寓話が散りばめられている。
夢と人の願望についての話が多く出てくる。

主人公の少年サンチャゴの父は、サンチャゴを神父にしたかった。
だがサンチャゴは、世界を旅したいという。
現実的に彼が就ける職で世界を旅することが出来るのは羊飼いしかない。
そこで彼は羊飼いになった。

クリスタル商人は、メッカに巡礼したいと思っている。
若いころは、商売を成功させて巡礼に出たいと思っていた。
店を持つと、壊れやすいクリスタルを置いて巡礼に出ることが出来なくなった。
今では、いつか巡礼に行くということを目的にして日々を生きている。
巡礼に出ないのは、それを成し遂げたあとの自分が目的を失ってしまうことを恐れているからだ。

キャラバンのらくだ使いは、かつて果樹園を持っていた。
豊作に恵まれたことから、彼は念願のメッカへの巡礼を果たす。
その後、ナイル川の氾濫が発生し彼は全てを失う。
彼はアラーの言葉を引用する、「人は自分の必要と希望を満たす能力があれば、未知を恐れることはない」と。
そして続ける「自分の人生の物語と世界の歴史が同じ者によって書かれていることを知れば、自分の持ち物を失うことを恐れる必要はない。」

◯スピリチュアルやね
霊的なものに導かれる場面や、超常現象が出てくる。
ファンタジーが苦手な人は引っかかるかもしれない。
神が身近にいない人にもし易い解釈としては、意志の力≒霊的な導きということかもしれない。
自分の心が、何を求めているか、耳を澄ませて聞いてみよう。
そんな気にさせてくれる。 
「お前が何かを望めば、宇宙のすべてが協力してそれを実現するよう助けてくれるよ。」

◯意志が道を開く
旅の途中で、サンチャゴは有り金を全部盗まれてしまう。
彼は選ばなければならなかった。
自分が泥棒にあった哀れな犠牲者であると考えるか、財宝を求める冒険者であると考えるか。
『僕は冒険者だ。』
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気の持ちようと言うと陳腐だ。
しかし、惨めな人間は例外無く自分を惨めだと思いたがっている。
だから、僕達も自分は冒険者だと考えよう。

前編中編からの続き~

◯マイクロ法人の活用あるいは社会保障制度という黄金の羽根
マイクロ法人の項で、法人を活用した税負担と社会保障負担の最適化について書かれている。
この話題は氏の別の著作である『貧乏はお金持ち』に書かれていることとだいたいかぶるので、興味のある方はそちらの記事も読んでください。
ここでは本書で触れられている、社会保障費によるサラリーマンからの収奪について述べる。
給与所得の源泉徴収は会社の人事部を徴税官吏として使役する日本独自のシステム。
税制に関する大衆の無関心を作り上げるデバイスとなっている。

・年金について
厚生年金が国民年金より有利だった時代はすでに終わっている。
国民年金は未納率4割を超える破綻した制度だが、厚生年金は1階部分を国民年金と共有している。
社会保険料は年々上がっている。これでは減税措置や賃金の上昇があっても可処分所得が増えない。
親世代の価値観だと、厚生年金は企業の拠出があるので有利だという。
だが、この企業の拠出する厚生年金保険料は、そのような制度が無ければ賃金として労働者に帰属するものなので、その考え方はおかしい。
企業から見た総コストは正社員の方が高いにもかかわらず、派遣社員や業務委託のコストと比べてサラリーマンの給与が安いのは、まさにこの部分が本人にではなく国家により召し上げられているからだ。

・健康保険について
組合健保は2003年までは自己負担1割だったが、これ以降は国民健康保険と同じ3割負担だ。
組合健保の優位はこの時に終わった。
また、高齢者への医療費の7割は実に健康保険組合からの拠出金となっており、年金同様サラリーマンから収奪した保険料で国民健保が支えられている。
入院して自分で医療費を払ったことがあるひとならわかると思うが、基本的にこの国の医療制度はおかしい。
手術と入院で、3割負担でも数十万円の医療費がかかったとする、この場合標準報酬月額が53万円未満であれば、本人の負担はだいたい10万円ちょいで収まる。
これを越えた分は健康保険の負担だ。
本書でも指摘されているが、明らかに掛金が保証内容に見合っていない。
この問題の根っこは多分とても深い。
解決策は負担額を引き上げることしか無いが、そうすると医療費が払えずに死ぬ人が出てくる。
そのために民間の保険があったりあらかじめ貯蓄をしておくべきなのだが、コスト意識のない人間は命に値段をつけることをヒステリックに否定する。


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「社会保障制度改革の最終列車」という概念がある。
50歳以上の有権者の割合が過半数を超えると、社会保障制度の見直しは不可能になるとい考え方だ。
財政の見直しのために年金制度、医療制度をスリム化しようとすると、大きな既得権を持っている高齢世代が反対する。
生き汚い老人には辟易するが、誰だって既得権を手放したくないので、これはいたって合理的な行動だ。
ちょっと古いがIMFが2004年に各国の最終電車の時刻表に言及した。
英国:2040年
アメリカ、ドイツ、フランス:2015年

日本は2003年だ。
最終列車はかなり前に出発してしまった。
収奪が静かに行われるホームで、それに気付かず奪われ続けるか。
ただただ途方に暮れるか。
あるいは奪う側に回るか。

前編からの続き~

◯資産運用一般
氏は、お金持ちになるための方法として以下の式を提示する。
資産形成=(収入-支出)+(資産×資産運用)
この式そのものは疑いようのない真実だ。
ちなみに支出を少なくして収入も少なくし、奴隷的な労働からの開放を嗜好するのがダウンシフトの考え方だろう。

私が衝撃的だったのは、長期の証券投資、アクティブ運用、短期トレーディングの3店についてて明確に否定している点だ。

1.長期投資の誤解 
ドルコスト平均法でインデックスファンドに投資する方法などは、株価が長期的には右肩上がりで上昇することを前提としている。
これは投資理論の多くが生まれた米国の株価がたまたまそうであるからで、80年台後半以降の日本では当てはまらない。
少なくとも足元の20余年では、不動産投資も株式投資も行わずに、現金を保有していることが最もリターンが高かった。
現在の世界経済のトピックの最たるものである『低成長』を勘案すれば、米国においてもこれがあてはまり続けるかは疑問だ。
専門家であるほど米国の分析に基づいて書かれた専門書を鵜呑みにし、この現実に目をつむっている。

私見を述べれば、指数を構成する企業が総体として黒字を出し続けられる限り、株価指数で見た株式市場は上昇すると考えている。
株価=PBR(株価純資産倍率)×1株あたり純資産
とすれば、黒字を上げ続けられる限りは純資産は増加し、PBRは投資家の期待リターンで変動するが中期的には平均に回帰すると期待できるからだ。
もちろんこれだけだと、収益性(ROE)と成長率の議論が抜けているが、考え方の土台としてはそれほど違和感は無いだろう。
ただ、現実には30年間でトレースすると投資の収益率がプラスにならない期間が長いという点は重い。
この点は別に記事にしたい。

2.アクティブ運用の否定
また、本書は、資産運用を仕事とする人間ほどファイナンス理論を無視していると指摘する。
現代ポートフォリオ理論や効率的市場仮説を考えると、手数料の高いアクティブファンドや個別企業の株を投資家に推奨するするビジネスは馬鹿げている。
 
これはなんというか、そのとおりだと思う。
インデックスファンド=市場ポートフォリオではないとか、投資家の選択肢が増えることに意味があるとか、いろいろ反論はあるのだが、理論と現実を別物と整理して自分の仕事をしているのは確かだと思うのだ。
ただ、パッシブの投資家ばかりになると、市場においてはミスプライスの機会が増加する(時価総額加重なのでグロースバイアスがかかる)。
市場の効率性は一様ではなく実際には曲々と変化するのではないだろうか。

3.短期トレーディングの否定
多分著者もバートン・マルキールのウォール街のランダム・ウォーカーあたりを読んだのだと思うのだが、本書でも、テクニカル分析の有効性は実証されていないことに言及されている。

一日で手仕舞うような短期のトレーディングをするのであれば、ファンダメンタルズを分析しても意味がないので、必然、テクニカル分析に頼ることになる。
これは何も、ZAIを読んでFXを始めた個人投資家だけでなく、銀行や証券会社のカスタマーディーラーのように短期の時間軸でポジションをテイクする必要がある立場であれば、プロもテクニカル指標をちゃんと見ている。
チャートの動きに再現性が無くても、他の人間もそれを見て行動しているということはエッジになるんじゃないかと思うのだが、それも含めて有効性は実証されていない。
短期トレーディングは、テラ銭の安いギャンブルとしては優れているが、その基になるテクニカル分析にはエッジが無く、試行回数を重ねれば手数料分だけ負けることになる。


総括すると、労働からの開放を目指す私にとって、資産の運用は一つの現実的な収入源だ。
そういう資産運用に救いを求めている人間が、現代ポートフォリオ理論とセミストロング型の効率的市場仮説が正しいという前提に立ってしまうと絶望する。
株式のアクティブ運用は無意味で、インデックス運用も絶対リターンで見ると米国株以外だと成り立たない期間が長い。
また、短期トレーディングは運頼みの丁半博打の域を出ない。
資産運用は、自律の手段としては心もとないものになってしまうのだ。


他に覚えておきたい点
・資産運用の初期においては自分の人的資本に投資して収入を上げるのが合理的である。
・バブル崩壊後においては国家と企業から個人への富の移転が行われ、日本人は豊かになった。

タイトル:星の王子さま(原題:Le Petit Prince)
著者:サン=テグジュペリ(邦訳:河野万里子)

いろいろな人の著作で本書が引用されいてる、とても有名な本。
通して読んだことが無くても『本当に大切なものは目には見えない』というフレーズを何処かで聞いたことがある方は多いと思う。
砂漠に飛行機が不時着し途方に暮れる一人の青年。
彼の前に一人の少年が現れる。
二人の会話を通して物語が進んでいく。

30分もあれば読み終わるくらいの分量だが、一つ一つのエピソードが寓話めいている。
ツンデレのバラ
星に住まう変人達、王様、大物気取り、実業家
友情を語るキツネ
さしずめ超絶寓話ラッシュ。
穿った見方をすれば随分と説教臭い物語だ。 


私としてはアル中らしく、酒浸りの男のことを取り上げる。
王子様が自分の星を出て2つ目にたどり着いた星には酒浸りの男が住んでいた。
(王子様)どうして飲むの?
(酒浸りの男)忘れるためだ。
(王子様)何を忘れたいの?
(酒浸りの男)恥じていることを忘れるためだ。
(王子様)何を恥じているの?
(酒浸りの男)酒を飲まずにいられないことだ!
そして男は沈黙する。

中島らもの『今夜、すべてのバーで』でも冒頭でエジプトの小話が引用されている。
何故そんなに飲むのだ?
忘れるためだ。
何を忘れるのだ?
そんなことは忘れたよ。

この、「忘れるため」という言葉は依存症者の心情をうまく表している。
本来、依存症者がなんとかしたい苦悩や苦痛は酒とは別のところにある
酒は一時それを忘れる手段だ。
だが、忘れて目の前から追いやるばかりでは、苦悩も苦痛も一向に解決しない。
(幸福な偶然が解決することもあるかもしれないが、稀だ。)
「酒を飲まずにいられないことを恥じている」と言って沈黙した酒浸りの男も、本当は別のところに苦悩の本体がある。
だが彼の思考はそこまで及ばない。
苦悩に面と向かって対処するのは酒を飲むよりずっとしんどくて、面倒臭くて、痛いからだ。

過去が怖い、未来が怖い、過去と未来の両方に挟まれた今が怖い。
ゆえに、酒で今を殺す。
そうすることで過去も未来も殺すことが出来る。
我々は、過去と現在と未来を繋いだものを、人生と呼ぶのだが。


星の王子さま (新潮文庫)
サン=テグジュペリ
新潮社
2006-03

 

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