帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

会社行きたくない

早く終わらせても仕事が増えるだけ(僕はアーサーだ)

日本の会社はやる気を削ぐのがとても上手いと思う。
端的にいうと、頑張ることで『罰せられている』ような感覚にさせるのだ。

結構前になるが、当時の同僚とこんな話をした。
仕事を首尾よく片付けて定時で帰る日々が続くと、こいつは余力があると見なされて仕事量を増やされ、残業をしなければならなくなる。
これはやる気を削がれることこの上ないという。
全くもって同感だ。
ただ、私は働き始めて間もなくこのことに気づいて、情けないことに順応してしまった。
すなわち、それなりに忙しそうに振る舞い、それでいて無能と思われない程度の時間で仕事を終らせるように働くようになった。
身も蓋もない言い方をすると、忙しいふりをしながらダラダラ仕事をするようになった。
常見陽平氏の『僕ジム』流に言うと、『サービス残業はしてしまうかもしれないけど、会社に強制されるのではなく、むしろ自主的にしてしまう』ような立派なジム型人材になったのである。
新卒の時に刷り込まれた私と違い、同僚はもともと海外で働いていたので受け入れがたいのだと思う。

ノンフィクション作家の沢木耕太郎がエッセイでよく取り上げる英国の労働者階級出身の作家アラン・シリトーの著作に『土曜の夜と日曜の朝』という作品がある。
自転車工場で働く若くてハンサムな青年アーサーが主人公だ。
アーサーも仕事があんまり好きではないが僕よりは仕事に対して前向きだ。
仕事はだるいし月曜の朝は憂鬱だが、働けば金になる。
その金で良い服をしつらえて酒場に繰り出し、出会った女と懇ろになることも出来る。
戦時中よりは全然マシだと考えている。

さて、旋盤でパイプを切り分けるのがアーサーの仕事だ。
彼は能率検査員の気配を察すると仕事のペースを落とす。
さもなければ歩合を減らされる(≒ノルマを増やされる)からだ。
『動作をいちいち複雑にすること。のろのろやったのでは自分の首をしめることになるから一挙一動をていねいに、しかも早そうに見せかける技術が必要だ。』(永川玲二訳・新潮文庫)
なんということだろう、50年前の英国の労働者と21世紀の日本の私がだいたい同じようなことを心配しているのだ。

アーサーの場合は、彼が作る自転車部品の量と会社の便益にはリニア(線形)な関係がある。
でも、一応現代のホワイトカラーの私の職場でもこういうことが起こるのはなぜだろう。
全員が定時で退社できるだけの労働力を確保していないということが根本的な理由だろうが、私は以下の2点が結構根が深いような気がする。

・働くのが嫌いではない人が多数派であること
→実は口でいうほど仕事が嫌いじゃない人が多いから、仕事を増やされても嫌だと感じないのではないか。
・会社と家庭以外に特にやりたいことが無い人が多数はであること
→多くの人はあんまり本を読まないし、絵を書いたり音楽をしたりしないし、料理を作らないし、運動もしていない。

組織や社会が多数派の価値観で作られる以上、早く終わらせると仕事を増やされる状況は変わらないと思っている。
だから、働き方改革にも生産性の議論に対しても、すごく悲観的なのだ。


人生戦略については異論があるけれど、会社や世論の二枚舌がいかにジム型人材を悩ませるかという分析は見事だと思った。あとホワイトベース新卒一括採用論とか。
本書の内容ではないが、本当のガンダム通は「ファースト・ガンダム」という言い方はせず「機動戦士ガンダム」と言うらしいです。

土曜の夜と日曜の朝 (新潮文庫 赤 68-2)
アラン・シリトー
新潮社
1979-12


絶版だがマーケットプレイスに中古がいくつか出品されている。
『ゴムなんか使うくらいなら、亭主もちの女とつき合う意味ないじゃないか。』というアーサーの姿勢がなんともピカレスクだ。

「死ぬ」という選択肢が頭の中にある状態


  • 働く
  • 休む
  • 辞める
  • 死ぬ

朝起きた時に今日の行動を考える。
私が普段思い浮かべている選択肢は上に挙げた4つだ。
だいたいはこの通りのオーダーで、上の選択肢がNGの時は下の選択肢を検討することになる。
働けないなら休む、休んでも辛いなら辞める。
さらにどうしようもなくなっても死ぬという選択肢がある。

通常は、死ぬことに比べればそれ以外の「働く」「休む」「辞める」の方が容易だ。
だが、「死ぬ」という選択肢が一番上に来てしまうこともある。
(その都度NGを出して来たから今この文章を書けている。) 
坂口恭平は『現実脱出論』で、「死にたいと思うのは脳の誤作動なので、その時は何もしないで休む」という旨のことを言っている。
関連記事:誰かに「生きろ」っていうのは「死ね」っていうのと同じくらい暴力的だと感じる
これはとても素敵な考え方だ。
だけど、「死ぬ」ことは自分ひとりでも出来るため、状況によっては純然たる事実として他の選択肢よりも容易なのだと思う。

「働く」ことは辛い。
私はこれまで、結構自分の望むような仕事をして来たのだけれど、どれも楽しみを見出だせなかった。
正確には楽しい部分もあるのだが、上司や同僚や他部署の人や社外の関係者と一緒に働くしんどさが、それをスポイルしてしまう
通勤して事務所に行き、多くの人がいるところで働くというだけで疲れてしまう。
他人が関わると興味があったことでも辛くなってしまうことがある。 

「休む」ためには会社に一報を入れないといけない。
実はこれは社会常識という無根拠な規律づけだ。
連絡を入れないことによる不利益と比較衡量してなお連絡することが辛いなら、無断で休めばいい。
ただ、僕たちは無断で欠席したり欠勤するのはいけないことだと子供の頃から刷り込まれてきた
生政治 の担い手である学校という装置は、工場労働者に求められた規律を現在でも人々に埋め込み続けている。

「辞める」ための手続きもそれなりに面倒くさい。
私はフルタイムの仕事を2回辞めたことがあるが、いずれも以下のような流れだった。
最初に直属の上司に辞意を伝える。
所属長と役員まで伝わったら退職日を決めて退職届を提出する。
この過程で、翻意を促されることもあるし、退職日について両者の意見をすり合わせたりする。
ちなみに、病気で長期間療養する時も「辞める」時の手続きに近かった。
すなわち、レポーティングラインの人々に伝えて、日程を調整して、紙を提出する、という流れだ。
また、辞める時は家族への説明もかなりの労力を要する。
無職になることへの批判は容易に想像できるし、転職の場合であっても風当たりが強い場合が多いのではないだろうか。

僕たちは、働くことも、休むことも、辞めることも自分ひとりでは出来ない。
それに対して、死ぬことは自分ひとりで出来る。
(正確に言うと、死んだ後は遺族が役所や金融機関やインフラに対して手続きをしないといけないが、当人はそのことを考える必要はない。)
辛いときほど、一人で実行できる選択肢を容易に感じる。
だから、追い詰められれば追い詰められるほど「死ぬ」という選択肢の順番が上に来てしまう。
(あるいは坂口さんはここまで思い詰めてしまう状況を「脳の誤作動」と言っているのかもしれない)

多くの人は毎日の選択肢の中に『死ぬ』という選択肢は無いようだ。
分かってくれそうな人でも「朝起きてしようと思うことに『死ぬこと』がある」と言うと驚かれる。
他人と一緒に「働く」ことがそこまで嫌いではない人が多い。
また会社を辞めるにしても自分ほど周りへの説明を気にしてナーバスになる人は少ない。

では、一度頭のなかに『死ぬ』という選択肢が生まれると、それが頭の中から無くなる日は来るのだろうか。
永田カビさんがレズ風俗レポの 後日談で「ずっと頭の中にあった『死ぬ』という選択肢が久しぶりになくなった」という旨のことを書いていたので、きっかけがあれば解消されるのかもしれない。
ただ、新作を読むと今でも結構しんどそうなので、一度『死ぬ』という選択肢が出来てしまうと、やっぱりそう簡単には無くならないのかもしれないとも思う。

アルコール依存症の不可逆性についてよく言われる例えがある。
「アルコール依存症は進行性の不治の病です。たくあんが大根に戻らないのと一緒です。」
『死ぬ』という選択肢がある状態もこれに近いのではないか、というのが私の今の持論だ。



 

復職と北朝鮮のミサイルと異邦人

「ゆっくり歩くと日射病になります。でも早く行くと教会で汗が冷えて風邪をひきます。」
カミユの異邦人は、養老院で死んだ母親の葬式から始まる。
上の言葉は、葬列を歩く主人公のムルソーに参列者(記憶が曖昧だが看護師か尼僧だったと思う)がかけた言葉だ。
ムルソーは言う。
「彼女は正しい。逃げ道は無いのだ。」と。
関連記事:異邦人雨に滑る

私事だが、ちょっと前に病気休職から復職した。
バラバラと思ったことを書くのでよろしければお付き合いください。



最初に与えられる仕事はコピー係かシュレッダー係くらいだろうと思っていた。
だが、幸か不幸か普通に仕事を与えられている。
復帰直後に期限のある仕事をバッファがあまりない状況で振られた時には、「俺はこんな奴らに良いように使われるためにわざわざうつを直して復職したのか」と考えてしまい、悲しくて惨めな気持ちになった。
一応、その思考は認知の歪みが出てるなと思ったので、ソラナックス(安定剤)を飲んでこらえた。
期限があるので少し残ってやっていると、定時で帰るよう言われた。
こいつは俺が働きたくて残っているとでも思っているのだろうか。
状況を説明しながら「なんで俺がこんなことまで気を使わなければいけないのだ」と思った。
助けてソラナちゃん。
療養の後半は無しで良かったのに、働きだすと安定剤の減りが早い。
ただ、2ちゃんねるのメンタルヘルス板や個人のサイトで他の復職経験者の話を見ていると、逆に復職したものの仕事を与えられず辛いという方々も多かった。
まぁそれもわかる気がする。
どっちに行ってもデッドロックだ。逃げ道はないのだ。



朝なかなか起き上がれなくなった。
リワークの図書館通いは出来るようになっても、会社に行くのはずっと難しい。
ニコニコ動画で淫夢動画を見て、時間ギリギリに起き上がる生活に戻った。
関係ないけど、4月に入ってから結構淫夢関係の動画が消えた。
KBTIT総集編とひでの本編と怪文書アレンジとスターウォーズのパロディはたまに見ていたので結構ショックだった。
やっていることが休む前と同じだ。
関連記事:休日以外は全部楽しくない
草も生えない。


復帰してちょっとしてから、休む前に同じ部署だった美人の同僚(既婚)が昼飯に誘ってくれた。
自分がいない間の話になって「○○さん(その同僚のチームの課長)がマイナスニキさんが作った資料褒めてたよ!」と言われた。
俺は答えて言う。
「死人の悪口は言わないもんさ。」
気分はコブラかルパン三世だね。



北朝鮮情勢が緊迫している。
朝鮮半島近海には米国の空母が集結し、北ではミサイル発射と核実験の動きがある。
私はここ10年くらい、世界の終わりをずっと待っていた。
2012年のマヤ文明のカレンダーには少し期待していた。
だが、待ちに待ったドゥームズデイが迫っている(かもしれない)のに、人間に殺されると思うと歓迎する気になれない
人間嫌いだからみんないなくなればいいのにと思うことがある。
だが、人間嫌いだから他人に殺されるのは腹が立って仕方が無い。
寝てる間に世界が終わってくれるのが理想だ。


 

人と話さないって快適だ

その中で、人と話さないってとても快適だと感じている。
最後に友人と会って話したのは9月21日なので、ちょうど2週間経つ。
その前も2週間くらい人と会わなかった。
その間は、買物と外食をした際の最低限のやり取りを除くと、人と話していない。
LINEやメールもせいぜい一週間に1回くらい。
仮にこの生活があと10年続くと辛くなってくるのかもしれないが、2,3年なら問題なく過ごせるんじゃないだろうか。

考えてみれば大学の最後の年が似たような状況だった。
一日中誰とも話さない日が多かったが、誰かと話したいと思えば溜まり場に行けば誰かがいた。
そのころが一番精神的に安定していた気がする。
働くようになってからは、休みの日以外は毎日誰かと話す必要があった。
長い休みも、その時くらいしか旅行が出来ないので、誰とも話さずにゆっくり過ごすことは稀だった。
1週間以上誰とも話さないのは実に10年ぶりなのだった。
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目の前の嫌なことがなくなっても酒をやめられなかった

こちらの記事でも書いたように、私の酒の飲み方は依存症的だ。
アルコールは安易な快楽
毎晩飲んでるけど酒なんて大嫌いだ
その他「アルコール依存」カテゴリの記事はこちら

美味いから飲んでいるわけではなくて、嫌なことを忘れるため万能感を味わうために飲んでいる。
療養生活に入って最大の誤算だったのは、酒をやめられなかったことだ。
会社生活が私の人生の困難さの根源で、それから距離を置けばアルコールは不要になると考えていたのだが、そう簡単な話では無かったのだ。
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療養生活について-楽しくなさそうだと言われた

こちらの記事で書いたとおり、先月末から出社できなくなってしまって、療養している。
2週間くらい経つと、会社に行ってた頃に感じていた対処不能なしんどさが落ち着いた。
例えば、辛さ、落ち込み、苛立ち、過剰な他罰感情、過剰な自罰感情、他人が自分を貶めようとしているという意識などは、だいぶ落ち着いた。
一日中誰とも話さなくて良いのだから当然かも知れない。

幸いなことに、集まりの場があれば心配した友人が呼んでくれるので、自分が気の置けない人物とだけコミュニケーションを取ることが出来るという、なんとも恵まれた環境にいる。
ただ、そこで付き合いの長い友人から「あんまり楽しそうに見えないけど大丈夫か?」と言われた。
なんてこったい。そう見えるとは意外だった。
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会社で働かないことと交友の否定

ここ2年くらい、会社に勤めない生き方に関する本を読んできた。
論者の多くは、会社に勤めない人間であっても、コミュニティに属し交友関係を持つことを勧めている。
フリーエージェント社会の到来』のダニエル・ピンクは、会社における縦の繋がりとの対比で、フリーエージェントや起業家には横のネットワークが存在すると説明する。
また、『ニートの歩き方』等のpfaはネット上の緩いつながりが有益であるとし、シェアハウスにおける集団生活の利便性についても説いている。

コミュニティの利点

コミュニティに属すことの第一の利点は情報の入手だと思う。
インターネット上で探せば、多様な情報が入手できる。
だが、情報の海の中で、自分にとって重要なものを見つけるには羅針盤が必要だ。
自分のことをある程度分かっている人が「そう言えばこうゆう話があるんだけど知ってる?」とサジェストしてくれる情報は自分にとって有益な場合が多い。
もう一つは、ネットワークそのものに価値があるというものだ。
例えば、コミュニティの構成員の中で物の貸し借りをしたり、転居の折にまだ使える不用品を譲渡し合ったりと、物をコミュニティ内で緩く共有することが出来る。
また、病気の時にお互いに買い出しを便宜し合ったりすることも出来る。群れで生きるほうが死ににくいのだ。
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プロフィール

執筆者:マイナスニキ

30代会社員。
会社と業務は何回か変わったが、金融業界で10年ぐらい働いている。
会社勤めが好きじゃなく30歳くらいの時からアルコール依存気味になる。ここ数年は断酒とSLIPの繰り返しでうつ休職もしていた。
一人で出来る生業を見つけて会社に勤めないで生きることが目標。
好きな作家は太宰治と沢木耕太郎。

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