帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

カテゴリ: 会社行きたくない

朝、通勤電車内で腹痛に見舞われた。
昨夜久しぶりにコッテリ系のラーメンを食べたせいかもしれない。

この場合、通常考えられる選択肢は2つだ。
①次の駅で降り、駅のトイレの長蛇の列に並ぶ。
②肛門を引き締め事務所のトイレまでこらえる。

ふと、このまま漏らせば今日は出社しないでいいなと考えた。
もう一歩進んで、会社で漏らせば今後も出社しなくていいな、と考えた。
ニコニコ動画で見た尊師MMDの動画が記憶にあったからかもしれない。

幸運にも、腹痛はじきに治まった。
いや不幸か。
欲求が強くなりすぎると、体はそのための理由を作り出すのだ。

あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
(ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!! )

 

先日、2年ぶりに過食嘔吐をしてしまった。
土日プラス月曜有給で3連休にした最終日、あと12時間後にはまた労働かと思うと抑えが効かなくなってしまった。

やっちまったこと

街をぶらつきながらストロングゼロを飲んでいた。
ぶらぶら、ぶらぶらと、目的もなく歩きながら350ml缶を4本飲む。
前後不覚になりながら、昼飯の豆腐以来何も食っていないなと思い、スーパーに立ち寄る。
惣菜パンを一つと5本目のストロングゼロ、そして半額になっていた弁当を買った。
惣菜パン食べながら帰路につく。
その時点ですでにギアが誤った方向に入ったのかもしれない。
満腹中枢麻痺状態。
最寄り駅のパン屋で大振りなチーズパンを買い求めた。
自宅付近のコンビニでバターロール4個入りスナック菓子を買った。

家についた。
飲み過ぎでもう眠たい。
だが眠ると明日が来てしまう
気が付くと、2食分くらいある大振りなチーズパンを7割がた食べていた。
ままよと思い、残りを平らげ弁当を温める。
電子レンジが回るのを待ちながらスナック菓子に手を付ける。
この時点で、後で吐こうと決意した。
弁当、スナック菓子、バターロール4つを平らげた。
これで3,000キロカロリーくらいだろうか。
酒を入れても4,000キロカロリー、実はカロリー摂取って意外とここらへんが限界なのだろうか。
酔いのせいか過食のせいか、とても気持ちが悪い。
水をしこたま飲み、胃の内容物を吐き出した。
片手で腹のあたりをぐにょぐにょ押すと吐きやすい。
学生の時に覚えた。
もっとも当時は酒を買えば飯は腹いっぱい食えない程度には貧しかったので、太る心配は今ほどしていなかったが。

過食嘔吐の問題点

過食嘔吐は若い女性に多い摂食障害らしい。
確かにいい年したおっさんがやってもいまいち様にならない。

酷くなると習慣的に行うようになり、必要なエネルギーが取れなくなる。
また、吐き戻す様子は汚いし、水回りを詰まらせることもあるので、家族と同居だと不和の原因になる
他に代償行為を見つけて、過食嘔吐は避けた方がいい。
どうしても抑えられない時は、のどちんこを傷つけないこと吐いた後はうがいや歯磨きをして歯を胃液から守ること、この2点に気をつける。

私が過食嘔吐に至った思考

私は一番やばい時でもせいぜい週に1回ペースだった。
健康の維持には支障は無かったと思うが、なんとも惨めな気持ちになる。
当時はかなり深い絶望の中にいたので、毎日が人生最後の日のようだった。
そして、最後の日の晩餐が過食嘔吐だった。
明日になれば俺は死ぬ、だからせめて今、腹いっぱい食いたい。
そのように考えていた。
もっとも、私の最後の晩餐はパンと葡萄酒ではない。
ぶどう酒の代わりに、焼酎、ストロングゼロ、安価なウィスキーが振る舞われた。
パンの代わりに、スーパーの半額の弁当や、大袋入のチョコレート、スナック菓子などが振る舞われた。

腹に収めたまま消化してしまえば良いのだが、それはそれで抵抗がある。
最後の晩餐の後、官吏に引き渡され磔刑に処されたキリストと違い、私には明日が来てしまうのだ。
過食で太ったら余計に毎日が辛くなるのだ。



上に挙げた私の過食嘔吐に至る思考は認知の歪みの産物です。
タフなタスクがうまくいかなくても死なないし、通勤できないほど辛いなら休めば良い。
ただ、心が弱っていると、この思考の客観化が出来ない。
弱った心はヒューリスティックに、酒の快楽や食の快楽で明日のストレスに立ち向かおうとする。
↓は認知療法についての解説書です。
悩みを書き出してみるとか、自分の思考にツッコミを入れてみるとか(論理療法)、単純だけど実践的な対処法も書かれています。

『社会人』という言葉に違和感がある。
違和感の正体は、社会人=会社員・公務員というようなイメージで語られることが多いことだ。
確か同じ趣旨のことが自称ニートのpha氏の本に書かれていたと思う。

自営業者や起業家は社会で実業を営んでいるが、『社会人』という言葉の範疇には通常は入らない。
また、学校の人間関係やそこで与えられるタスクは『社会』そのものだと思う。
学校で時間割に沿って行われるマスプロダクトの授業と集団行動を強いられる行事の数々は、近代的な工場とよく似ているのだ。
だが、『社会人』は多くの場合『学生』の対比として語られる。
雇われの給与所得者が割合において多数なのは認めるが、それを『社会人』と評するのは世の中のいろんな人に悪いんじゃないのかね。

だいたい、よく言われる『社会人』像が気に食わない。

社会人は遅刻をしてはいけない。

いやいや、電車が遅れたらしょうがないじゃないの。
昨晩飲み過ぎちゃったから通勤途中で腹が痛くなってトイレで長時間格闘して遅れてもいいじゃないの。

社会人は上司の命令には黙って従わなければならない。

いやいや、指揮命令系統は就業規則や職務分掌で決まってるから従いますけどね、言いたいことは言わせてもらわないと。
担当者として判子ついて稟議起案すの俺なんだからさ。

社会人は歓迎会してもらったら翌朝みんなのところに行ってお礼を言わなければならない。

いやいや、おごってもらって悪いなとは思いますけどね、あんまり飲み会とか好きじゃないんだよ。
勝手にやっといて押し売りしないでくれよ。
酒は一人で静かに飲むのが一番美味いという人間もいるんだってば。

社会人は年内最後の出社日は所属長(部長か支店長)のところに年末の挨拶に行かなければならない。

いやいや、うち休日カレンダー通りでしょ、大晦日と三ヶ日休んだらすぐまた会うでしょ。
そんな暇あるんならうちもさっさと御用納めにしようよ。

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匿名掲示板で無名の賢者が指摘していた。
「家と会社を往復する生活のどこに社会があるのか。」と。

だから私は社会人何年目なんて言わないようにしている。
大学出て働くようになって何年目とか、そういう言い方をしている。

これまで、労働観の変化生命維持のための人生の切り売りについていろいろ考えてきた。
これらの考えにより、自分の苦悩の深いところに近づけたとは思うのだが、100%の回答ではなかった。
そんなある日、ふと気がついた。
結局のところ、俺はやる気がなくなってしまったのだ、と。

人が労働に耐えるのは、何のためだろうか。
思いつくのは、金、世間体、自己実現
それらのどれにも執着がなくなった。
いや、執着しないことが自分の幸福だと気付いた。
労働に耐える理由が、無くなってしまった。

私が金を欲していたのは、金は自由をもたらすからだ。
生命維持の為に必要なものは全て金で買うことが出来る。
人生を豊かにするものも9割は金で買うことが出来る。

だが、自由をもたらすはずの金を手にするために、多大な不自由を甘受しているのも事実だ。
少なくとも労働の対価として金を得るというやり方は私にとって不自由極まりない。
結局、自由を得るために自由を失うという大きな矛盾に気がついてしまった。
労働をしてまで生きる価値は無いという考えに至ったのだ。
「金を稼ぐモチベーション」が無くなってしまった。 

世間体

私はずっと他人が怖かった。
弱みを見せればそれにつけ入り、どこまでも搾取しようとする人の狡猾さを畏れた。
世間体や肩書は、他人に弱みを見せないためには極めて有用だ。
一流とされる企業の社員であれば、知能も能力も高いという推量で以って見られる。
資金調達や契約におけるクレジットでも困ることは無い。
また、生身の自分が誰かに愛されうるという自信をついぞ持てなかったがために、自分を覆う優れた鎧を求めた。
肩書や収入で評価されるのを嫌悪しながら、それを取り去った自分に人を惹きつけるものが無いという逆説を抱えていた。

いつしかそのように他人の評価を気にすることに疲れてしまった。
孤独を嫌う人間と孤独でなければ生きられない人間がいて、自分は後者であることに気がついてしまった。
隠遁し、交易を断つことを嗜好するようになっていた。
「他人に良く思われようとする気」が無くなってしまった。

自己実現

資本にも才能にも乏しい人間にとって、会社で働くことは最も効率の良い自己実現の手段だ。
蓄積された資金・経営資源と、法務・労務・バックオフィスといった共通のインフラがあることによって、自分のタスクに専念できる。
多くの人間が自分のタスクに専念した結果として、個人では出来ない規模の取引やイノベーションに繋がる。
ごく公平に言って、私は働くようになってから、この組織のもたらすメリットを享受してきた。
大型の投融資案件にも関わったし、十数社の関係者を集めて合意形成をするような折衝もした。
苛つくことは多かったが、それなりの充実感があったことも確かだ。

今は、会社で働いてやりたいことが無くなってしまった。
毎日事務所に出向いて、話したくもない人間と話し、組織が決定したことを実現するために自分の時間を使って、ということに磨り減ってしまった。
金にならなくてもいいから、自分のやりたいことだけやって、自分の話したい人とだけ話していたいと考えている。
そういう人生が、金の項で述べた「生きる価値のある人生」だと考えるようになった。
「会社で働くやる気」が無くなってしまった。


原典は歌の歌詞だと思うが「サラリーマンは気楽な稼業」という表現によく出くわす。
これまでの同僚や、プライベートな友人からも同旨の発言を聞くこともある。

バカな、馬鹿な、ばかな。
私は、このように考えたことは一度もない。
日本的な、仕事の切り分けがあいまいな会社でばかり働いてきたせいか、チームで責任があいまいなまま仕事をすることが多かった。
すなわち、チームの人間の失敗が自分の失敗にもなり得る。
このような状況で、評判獲得ゲームで高得点をあげようとすると、必然的に周りの人間の言動にも気を配り、トラブルになりそうであれば事前にフォローするようになる。
つまり、私にとって会社とは、扱う物事が大きくなり、しかも注意を要する人間が身内にいるという、極めて気の抜けない場所となったのだ。

別にそこまで思いつめる必要もなくて、組織が横着して行わない課題の切り分けを、自分自身で行うことも現実的な対処だ。
自分の考える自分の課題に対して注力し、他のメンバーのやり方はある程度目をつぶったり放置するのだ。
人事評価で問題となれば、理路整然と反論すればいい。

ただ、帰属する組織が成し遂げている活動を、やりがいや自己肯定の手段として考えてしまうと、課題の切り分けも危うくなる。
イラつく話し方をする人間、中学生の作文のような文書を書く人間、言い訳がましく責任逃れの口上に熱心な人間、全てが自分の帰属する会社の一部分なのだ。
個々人に与えられた裁量が限定的であればあるほど、組織の課題との一体化が出来上がってしまう。 

アル中時代は、会社を出てすぐ(休日は朝から)酒を飲んで、家に帰っても飲み続け、限界が来ればそのまま寝ていた。
そんな生活を続けるうちに、いつしか酒を飲まずに寝る方法を忘れていた。
本を読んでも目が冴えてしまうし、自然に眠くなるのを待つと明け方になっていたりする。

一つ大切なのは、別に眠れなくてもいいやと思うことだ。
明日の仕事のパフォーマンスに影響しようと知ったことではない。
野球選手じゃないんだからパフォーマンスが良くても悪くても給料が大きく変わるわけではないのだ。
眠りにつけなくても横たわって体を休めることで結構疲れは取れるものだ。
ジョースター卿も、「逆に考えるんだ、(ダニーに)あげちゃってもいいやと考えるんだ。」と言っていた。
回想の中でだった気がするが、どの場面かは忘れた。

眠れない時に私が実践している行動をいくつか挙げる。

1.なにか食べる
アル中の時は寝付けないとコンビニに行って追加の酒を買っていたのだが、やめてからはアイスクリームを食べている。
空腹を感じているときは少なめのカップラーメンやスナック菓子の時もある。
寝る前にものを食うと寝付けないとか胃がもたれるという人もいるが、私には当てはまらない。
心以外は至って丈夫なのだ。
身体も頑強であるし、胃袋も丈夫だ。
明晰な頭脳と強靭な肉体、そしてガラスのハートを持っている。

2.ニコニコ動画を見る
ブルーライトは良くないのだろうが、頭を使わないので適当に寝落ち出来る点が優れている。
真夏の夜の淫夢というカテゴリーがある。
正確な定義とは異なると思うが、「ゲイビデオの映像をノンケがネタ目的で鑑賞する」ものと理解している。
ニコニコ動画だとさすがにプレイシーンはカットしたドラマ部分のみが掲載されている。
(むしろそれでいい。)
演技が酷かったり、無駄に迫真だったりして、草が生える。
ネタか本気かわからないが、40分程度の長い部類の動画のコメントに「毎日見に来ている」とあったり、野獣先輩の本編に「見る抗鬱剤」というコメントがあったりする。
確かに、理由はわからないんだけど元気が出るんだよなあ。


インソムニア
鬼束ちひろ
EMIミュージック・ジャパン
2001-03-07

 

会社には2通りの人間しかいない。

一つは、気に入らないところがある人間。

もう一つは、全てが気に入らない人間。

あーあ。 


会社には2通りの会社しかない。

一つは、出社前に非常に憂鬱になり、出社に多大な労力を要する会社。

もう一つは、出社前に非常に憂鬱になり、結局出社できなくなってしまう会社。

あーあ。  


会社には2通りの意思決定しかない。

一つは、すでに方向性が明らかなことをみんなで確認し、責任の所在を曖昧にするための意思決定という儀式。

もう一つは、みんなの合議で決めたことなのに適当なスケープゴートを決めて、その人に責任を追わせるための喧々諤々の意思決定。

あーあ。  


会社には2通りの仕事しかない。

一つは、経営陣の思いつきで決まり、現場が否応なくやらされる仕事。

もう一つは、関係者の意見調整で原型を留めないほどいじくりまわされ、当初想定した意図に対して最低限の効果しか生まない仕事。

あーあ。  

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