帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

カテゴリ: 会社行きたくない

自分が今感じていている苦悩は、この時代にこの国で生きている人間に共通なことなのだという考えに至った。
他人が嫌いなのも、働くのが嫌なのも、家族が嫌いなのも、普遍的な感情なのだ。
迫害を恐れて声に出さないから、皆自分がマイノリティだと考えているだけで。
時代と環境が、一定程度そのような人間を生み出している。
ああ、俺はそこまで特殊なわけではないのだ。

きっかけはちきりんの『未来の働き方を考えよう』という本だ。
読み始めてからググってみるまでこの人が女だと知らなかった。
文章はくどいのだが、寿命が長期化した現代における働き方の提言とは示唆に富んでおり、古い価値観の陳腐化に関する指摘には共感できる。

同書の冒頭で「働き方」に関する本の流行り廃りが述べられている。
20世紀末の不況まっただ中で売れていたのは、大前研一の「サラリーマン・サバイバル」やロバート・キヨサキの「金持ち父さん」だ。
そして、2000年台中盤から後半にかけては自己啓発本が流行した。
私が大学を卒業して数年の間なのでよく覚えているが、最近とんと見ない勝間和代や本田直之が流行っていた。
私も何冊か読んだが、自分の経験の域を出ないサジェスチョンではあるものの、素直に感心する記載も相応にあった。

その延長として、最近の数年間では、ダウンシフト、ミニマリスト思考、雇われない働き方に関する本の数が増えてきたことを挙げている。
確かに増えている。
pha氏の本は私も何冊か読んだし、根っこの共通するような本を何冊か挙げることが出来る。
ダウンシフトについて
『Bライフ』高村友也 2011年
Bライフ10万円で家を建てて生活する [単行本] 
『働かないって、ワクワクしない』アーニー・ゼリンスキー (邦訳が)2003年(さすが米国は10年進んでいる)
『人生がときめく片づけの魔法』近藤麻理恵 2010年
人生がときめく片づけの魔法 [単行本(ソフトカバー)] 
『断捨離』やましたひでこ 2009年
『残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法』橘玲 2010年
残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法 (幻冬舎文庫) [文庫]

あと、イケダハヤト氏のようなプロブロガーやYoutuberのトップティアも似たようなムーブメントなのかもしれない。

これらの台頭はひとえに、現代社会、現代日本の要請なのだろう。
世界中が経済の低成長と向き合っている。
先進国では、欧州と日本はほぼゼロ成長、米国も1-2%の成長に過ぎない。
新興国も、中国経済は混沌とした状況であり、資源国は低成長のあおりで一層の減速状態にある。
ジム・クレイマーが番組の冒頭で言う、There is always a bull market somewhereは少なくとも国単位では現在は存在しない。
またはあっても希望とみなすには小さい。

人口の減少と高齢化、そしてそれにより社会保障制度の維持が困難であるのは日本と欧州先進国に共通した状況だ。
近代国家では利便性のために人命を切り捨てることが出来ない。
また、老人は少子高齢社会で支配的なマジョリティとなった。

右肩上がりの経済成長はもう訪れず、社会保障制度のつけにより未来の富は浪費されている。
努力して名門校で学問を修め、一流企業勤務や専門職についても、市場の縮小と社会保障負担の増大により明るい未来は見えない。

ダウンシフトは成長のない暗い未来を生き抜くための現実的な処方箋だ。
モノが与える享楽の限界を意識する断捨離やミニマリストも、暗い未来への適合とみなせる。
だが、暗い未来の代償として、今の私たちには有史以来最大の自由が与えられている。
情報技術の発達は、情報の取得、発信、マネタイズ、多くの面で個人の持つ可能性を大きくした。
「雇われない働き方」は、現代人に与えられた自由の行使の方法を端的に表したものだ言えよう。

狭められた可能性と、与えられた可能性、このふたつが現代人を窮屈にしているのだ。

私はこの考えに至った瞬間、3年弱に渡って付き合ってきた自分にオリジナルの苦悩を失った。
4ヶ月の禁を破り、無性に酒が飲みたくなった。
 
 

雇われて働くのがなんで不満なのかをずっと考えていた。
そいでもって、2年くらい前に、雇われて働くことの要素を3つに分けてみることを思いついた。 

雇われて働くとは、
①自分以外の誰かが決めたことを達成するために、 
②自分の時間を使って何かしらの行動を行い、 
③それにより賃金を得る、 
ということだ。

仕事にまぁまぁ満足している人は、これらの3点について相応に満たされた状況にあるのではないだろうかと考えた。 

①組織の目標「自分以外の誰かが決定したことを達成するために 」
例えば、社内で裁量も責任もある立場で、経営判断に関与する度合が高ければ、満足感を得やすいのではないだろうか。
また、自分が経営判断に携わらなくても、経営者のビジョンや組織の理念に共感できれば、やはり満足に繋がり得る。 

②自分のタスク「自分の時間を使って何かしらの行動を行い」 
これは、①で決まった目標や理念のために個々人に課される職務に対する評価である。 
その前段にある目的に心から賛同できなくても 、与えられたタスクが自分の興味・関心に沿ったものであればやりがいを感じられるだろう。 
人によって着目する点は異なるが、結果が目に見える形で実現する「ものづくり」や、数値による客観的な評価が可能なセールスは着目されやすい分野だろう。
私は大嫌いだが人と接する仕事が好きというのもこの範疇かと思う。
専門的な調査であったり、多くの関係者を巻き込んだプロジェクトの総括であったりと、多くの人が専門的で有能な人間の仕事だと思うような業務内容であれば、それに価値を見出すことも出来よう。 
また、この分野の代表的なキーワードとして「成長」があると考える。
将来的になりたい自分の像があり、自分が職務として行う行動がそのために知識、技能の取得に役立つと考えられれば満足に繋がり得るだろう。 

③金銭的な報酬「給与を得る」 
最後は分かりやすい。ただ、給与に対する満足は様々な観点で評価が可能である。 
他社や平均との比較で満足を図る場合もあれば、自分が必要とする金額との比較で不満を感じることもあるだろう。 
また、自分のエンティティへの貢献に対する評価のギャップもこの分野における不満足の原因になりえる。
すなわち、自分はこれほどのコミットをしているのに十分な対価が支払われていないという考えである。 

以前は②が不満だった。
同僚が気に食わなかったので、そのような人間と同じ仕事をしている自分が無価値になったような気がした。
職務内容が理解されにくいのも不満だった。

仕事が変わったのもあって、最近は①の不満が大きい。
もっと言えば、自分で決めて自分でやりたいのだ。
人から学ぶのは嫌いだし、人と何かをするのも昔から嫌いだった。
一人で出来ることを好んだし、それで特に孤独は感じない。
一人のほうが気持ちが楽だった。
自分の願望に素直になりたいという思いが日に日に強くなっている。

働くのが嫌だと強く思うようになってから、お金が使えなくなった。

以前は、むしろストレスの発散のための買い物をそこそこしていた。
マルイのサンシャインバーゲンがあればとりあえず行ってみて、靴や服を数万円買っていた。
(大好きだったサンシャインバーゲンだが2015年で終わった。今までありがとう。) 
また、アダルトなコンテンツや性風俗にもはまりすぎない程度に金を使っていた。

一番ひどかった時は、服にもエロにもお金が使えなかったし、本や音楽や家電といった私の愛するモノにもお金を使えなかった。
勤務先も同僚も業務も全てが嫌いに思えてから、その嫌いなことの対価として死ぬ思いで得た金銭が自分から離れていくことに耐えられなくなったのだ。
金銭を獲得する手段に対する嫌悪が、金銭を私にとって一段と貴重なものに変えてしまった。
そして、もたざるものである自分をより一層みじめな者に変えてしまった。

何かのサイトの記事でケチ度のチェックリストを見た。
その中で「パン屋に行って、つい自分が一番食べたいパンより安いパンを買ってしまう」という設問があったが見事にあてはまる。
また、同じチェックリストに「欲しいものがあって店に行っても、結局買わずに帰ってきてしまうことがある」というものもあり、これも当てはまる。
今は上で述べたドン底の時期よりはお金が使えるが、この2つは今でもあてはまる。
一番食べたいのはほうれん草のキッシュだが、値が張るので一回り安いチーズパンを買う。
200円の違いにすら正直になれない。
チーズパンの名誉のために言うと、それでも私にはもったいないくらい美味い。

この記事は実は気分が最低に落ち込んでる時に旧ブログの方に書いたのだが、読み返すと陰鬱すぎて辛くなったので、ちょっと明るいトーンに変えた。
最後に安くて美味しい食べ物を挙げて終わる。

・セブンイレブンの4個入りのレーズンバターロールは100円とは思えないクオリティだった。
値上げと量減らしが著しいセブンにおいて、100円を貫いている。
日本で一番コストパフォーマンスに優れた食品だと思う。 

・米はこだわりが無いのであれば、産地を表示できないブレンド米で問題ない。
確かに粘りとか食感とか甘みとか結構違うのだが、毎食白米だけ食べるわけでもない。
そこまでこだわらないという考え方はありだと思う。

・野菜は仕入れ状況に多少左右されるものの、ローソンストア100でキャベツとレタスが100円で買える。
刻んででかいタッパーに入れておけば、葉物でも一週間はもつ。
ハナマサや業務スーパーならフレンチドレッシングがリッター300-400円で売っているし、塩で食べるサラダもなかなか良い。

・たんぱく質は業務スーパーの鶏肉に限る。
ブラジル産冷凍もも肉はなんと2キロ700円強で買える。
国産チルドでも、胸肉900円、もも肉1500円で買える。もちろんこっちも2キロだ。

・野菜と肉は最悪プロテインとネイチャーメイドマルチビタミン&ミネラルでなんとかなる(ならないか?)。
Amazonで買えるしヨドバシカメラで買えばポイントも付く



 

賃金労働は自分の人生の切り売りである。
私の人生は労働力として他人のために使われ、奪われている。

現代の国家は強制労働は禁じている。
然るに、人生を他人に差し出しているのは自分自身だ。
何人も直ちにそれをやめることができる。
このままで良いのか。

生きるための糧を得るために生きる時間を無駄にしている。
そこまでして生きることに意味があるのか。
長生きや生活の安定なんてクソ喰らえだ。
長生きのための我慢は生きたい奴がやればいい。
生活のための我慢はやりたいことがある奴がやればいい。

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この、人生を奪われているという感覚は、一種の啓蒙(エンライトメント)か思想の毒のようなものだ。
一度取り憑かれると離れることが難しい。
私はここ数年来この考えが頭の奥にこびりついて、一日に2度3度リフレインする。
理解できるという人もいたが、こんなことは全く考えないと言う人の方が多かった。

-現在の仕事が楽しい
-長年やってきて愛着がある
-ともあれ働いていればコミュニケーション欲と帰属欲を満たせる
-他人の労働環境と比べれば相対的にマシなので良しとする
-賃金労働で得た資金でやりたいことがある
これらの理由の総合的な値が基準値以上だと、賃金労働も許容できるのだろうか。
それとも何らかの理由で私を含めてこのように考える人間が現代社会に不的確な形質を持っているのか。

私はこの考えを受け入れてから、仕事自体のもたらす楽しみ、技能の習得の喜び、社会的な序列による優越感といった賃金動労が与える多くの物の価値が低下してしまった。
自分は労働者としての自分を正当化するために、上に述べたような価値の幻想を作りだしたのだ。
それとも思想の毒に当てられて、自分を見失っているのか。
いや、フルタイムで働き始めてから悩んでいたことの多くが「人生を奪われている」という感覚で説明できるのだ。

俺の人生は俺のものだ。
家族にも社会にも、誰にも渡さない。
死ぬまで俺が使うんだ。
死んだ後は何も残さないんだ。
一遍もムダにしないように、しゃぶりつくし、食い尽くしたいのだ。

 
VOICE新書 働かないって、ワクワクしない?
アニー・J・ゼリンスキー
ヴォイス
2013-03-02

疲労困憊、睡眠不足、そんな状況でも眠りにつけない、または眠りたくない時がある。
理由はひとえに、眠ると明日が来てしまうからだ。
明日を恐れる人間は眠りを恐れる。

ひとたび朝が訪れると何が起こるか。
自らを縛る鎖、目覚まし時計と携帯電話のアラームが鳴る。
心地よいまどろみから強制的に目覚めさせられ、自分が地獄にいることを実感する。(※1)

始業時間の2時間前には目覚ましをかけてある。
目は覚めるものの、体が全力で起き上がることを拒否する。
天井を見つめ、もう一度眠りに落ちたいという誘惑と寝過ごすことを恐れる気持ちがせめぎあう。
テレビを付ける気は起きない。
憂鬱な気持ちと眠気と今日これから起こることへの緊張と不安と憤りがせめぎ合う。
音楽があれば気持ちが晴れるだろうか。
しかし音楽を再生することすらこの時には重労働だ。

1時間あまりが過ぎ、時間が無くなると、仕方なく起き上がる。
一日の中で一番労力を使う瞬間だ。
毎日訪れる、アポロの宇宙飛行士より精神力を要する一歩だ。
顔を洗い、髭を剃り、小便をし、着替える。
時計を見ればかなりギリギリな時間、早足で駅に向かう。

人の波に乗り満員電車に乗り込む。
臭い、痛い、暑い、気持ち悪い、痴漢冤罪が怖い。
事務所に着く頃には疲労困憊。
上半身を20度位傾けながら席につく。
まだ絶望の一日は始まったばかりだ。

ニーチェのツァラトゥストラの第一部に、眠りに関する説法を解く賢者が出てくる。
日中に10回我慢し、10回自分と仲直りし、10回真理を見つけ、10回笑って陽気になる。
眠るときは日中にあった40回について考える。
徳を積むことが眠りをもたらすと言う。
バカな、バカな、バカな。
人間が起きてからの十数時間の間に、そんなことがあるもんか。
我慢して我慢して我慢して、自分の妥協とそれを強いる他者が許せず、真理など見えず、あるのは愛想笑いだけだ。
超人であるツァラトゥストラは賢者を嗤う。
だが超人でない私はただただその無神経に苛立ちを覚える。

フィクションであれノンフィクションであれ、労働者を描いた文章に自分を重ねてしまう。
『灰色砂漠の漂流者たち』、『苦役列車』、『土曜の夜と日曜の朝』、
登場する人びとの多くは、労働を心底嫌い、憎んでいた。
彼らも明日が怖いのだろうか。
私が臆病なのだろうか。

※1.ニコニコ動画にあった「新社会人応援動画」というMMDのムービーで出てきた言い回しだ。頭に残る。





苦役列車 (新潮文庫)
西村 賢太
新潮社
2012-04-19

 

いつものごとく「働きたくない」とか「働かないで生きる」でウェブを検索していたら、「人間やめたい」というワードに出会った。
いい言葉だ。
俺は人間になりたくないよ、ベム。
おれも人間をやめたいよ、ディオ。

植物になりたいとよく考える。
光と二酸化炭素と水から力を得て、自立して生えている。
食事も着るものも家もいらない。

同じように、すごく燃費が良くてタフになりたいとも思う。
食事を取らなくても良くて、暑さ寒さに強く服を着なくても良い、家がなくてもそこら辺で睡眠が取れる。
植物は哺乳類が進化した姿なのではないかという、ぶっ飛んだアイデアにまで思いが至った。

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中島みゆきさんの「瞬きもせず」という曲が好きだ。
初めて聞いたのは大学時代だった。
今でもポジティブになりたい時用のプレイリストに入れてある。
歌詞に以下のような一節がある。

『ああ、人は獣
牙も毒も棘もなく、ただ痛むための涙だけを持って生まれた
裸すぎる獣たちだ』

私は、この「痛むための涙」をずっと「痛むための心」だと思っていた。
沢木耕太郎氏の深夜特急で、横浜に寄港したことがあるというギリシャ人の船乗りが言っていたある言葉が頭のなかにあったからだと思う。
彼は、短い滞在で覚えた片言の日本語で「イタムワタシ、イタムココロ」と言っていたのだ。

孤独と人間関係の軋轢は、それぞれ違った方法で人の心を傷つける。
社会性を組み込まれたヒトという種族である以上、逃げ場所はないのかもしれない。


Singles 2000
中島みゆき
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
2002-04-17

 

どうしようもないことが気になって何も手につかなくなる時がある。
雇われ人の共通の悩み、オフィスに居る変な人。
-独り言
-無遠慮なせき、くしゃみ
-おどおどした電話の応答
-臭い香水

いったん気になりだすとなかなか集中を取り戻せない。
全員まとめて投げ飛ばしてやりたい。
心に余裕がないと一分一秒でもその場にいたくないと思う。

そこでふと気づいたのだが、上に挙げたようなことが気になる相手は、例外なくそれがなくても良い感情を持っていない人間達ばかりだった。
結局、自分が尊敬したり好意を持っている相手であれば、それほど気にならないことだったりする。
そう考えると、少し考え方に余裕ができた気がした。
少なくともつまらないことを気にする自分が悪いのではないと思える。

とはいえ、嫌いな人ばっかりの職場で働くのはそれはそれで辛い。
ただし、嫌いな大本の理由のほうが正攻法で解決しやすい可能性はある。
嫌いな大本の理由が、仕事や組織運営上支障があることであれば、面と向かって言うことも、組織としての対応を求めることもできる。

ちなみにつまらないけど気になることへの、プラクティカルな対処法を挙げる。

・独り言
自分も独り言を言い返してみる。
「自分から助けを求めるわけではないが、誰かに自分の状況を察して欲しい」という確信犯的な感情で独り言を言っている人間には効く。
あんまり褒められた目論見ではないので、恥ずかしくなるのだろうか。
本当に無意識で言ってしまう重症の人には効かないかもしれない。

・せき、くしゃみ
こちら側でマスクをしてみると良い。
できれば普段から気管支があまり丈夫ではないので、感染に気を使っていることにしておくと自然だ。
また、潔癖なオーラを出して長時間手を洗う姿を見せておくのも良い。
そもそも飛沫を飛び散らすほうが悪いので、気後れする必要はない。

・電話対応と香水
これは個人の嗜好もあって結構どうしようもない。
誰かと話して嗤ってしまうと寛大な気持ちになれるかもしれない。


 

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