帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

カテゴリ: 会社行きたくない

村上春樹氏と新潮社が期間限定でやっていた「村上さんのところ」というサイトがあった。
読者から寄せられた質問に村上氏が答えるというもので、そこそこ話題になっていた。
2015年5月で公開は終了して、書籍として出版されたとのこと。

そこで寄せられた質問の中で、一人で出来る仕事につけて良かった、という趣旨の投稿があった。
確か翻訳家(うろ覚え)の女性が、「自分は人と一緒に何かやるのが好きではないので一人で出来る仕事がしたかった。見つかってよかったと思う。」ということを言っていた。
肝心の村上氏の回答は覚えていないのだが、この考え方はかなり私に刺さった。

私も人と一緒に何かをやることに苦手意識があり、実際に疲れるのだが、じゃあ一人で出来る仕事を探そう、という思いに至ったことはそれまではなかった。
今にして思えば、就職活動をするときの自分にそのような軸があっても良かったと思う。
もっとも、当時はどういう仕事なら会社勤めでも比較的マイペースで出来そうかという感度は持っていなかったので、やっぱり無理だったかもしれないとは思う。

なんとなくそれを読んだときから、一人でできる仕事について考えるようになった。

1点目が投資についてだ。
それまでは専ら長期の資産運用を目的として、資産クラスを分散して時間分散で投資していくというスタイルだった。
年金的な政策アセットアロケーションを作ってそれなりに考えてやっていたが、「明日それで生活が出来る」というものではなかった。
仕事として資金を運用するのではなく、あくまで長期の余裕資産の運用である。
そこで、一人でやる仕事としての相場という視点に立って、オポチュニスティックなポジションも取るようにした。
これまで働いた会社はどこも現物株の取引は会社への届出制なので、主にETFとFXを使う。
以前はどこか胡散臭いと思っていたテクニカル分析も学んだ(これは結局、移動平均とボリンジャーバンドでいいのかなと思った)。
負けることもあるがトータルでは勝っている。
フルタイムにすれば自分一人で生きていくだけならなんとかなるかもしれない。

2点目が文章を書くことだ。
去年このブログの前身になるようなブログを初めた。
途中で結構中断しているが、最近はコンスタントに記事を投稿できている。
ただ、訪問者ゼロなのは世の中甘くないなと思う。 
まだ収益はゼロだが、文章を書くのは好きなので、気長にいろいろ書いてみたい。

後は絵の練習とか作曲の勉強もしてみたが、上の2つよりも自分に比較優位が無いのでとりあえずそっちは保留にしている。



 

先日久しぶりにすき家に行った。
昼過ぎだったこともあり店員4人で回していた。
ワンオペの問題が騒がれるようになってから、深夜以外の時間も人が増えた気がする。
海外で飲食店や小売店に行くと、だいたい日本より店員の数が多く、緩く仕事をしている。
本邦の小売チェーンのオペレーションは、良く言えば効率的だし、悪く言えば従業員に負担を強いている。
おそらく両方正しい。

すき家の騒動以降、学生アルバイトが個人加盟ユニオンを通してアルバイト先に労働条件の改善や未払賃金の支払いを求める事案を目にする機会が増えた。
最近だとサークルKサンクスのフランチャイジーでも学生アルバイトの未払賃金の請求が認められていた。
ブラックバイトの一番の問題は、若い学生が働くことに対してネガティブなイメージを持ってしまうことだ。
シフトに入る前に15分間の掃除をさせられるがその分の賃金は支払われない、非正規の雇用であっても責任だけは正社員並みに求める、こんな状況では働くことにポジティブなイメージは持ちにくい。
私は働くことは嫌いだが、組織で雇われて働くというのは手っ取り早く社会と繋がりをもつための手段としては有用なので、そこから得るモノはそれなりにあると考えている。
働くことは金銭的な自由を与えてくれるし、場所を上手く選べば学びの機会も多い。捨てたものではない。

とはいえ、自分が学生のころはアルバイトをほとんどしなかった。
そのため奨学金(給付ではなくただのローンの方だ)はそれなりに借りたが、働くようになって5年目に繰り上げて全額返済している。
働くことが当時から嫌いだったというのもあるが、プライオリティの高い行動にはあまりお金がかからなかったことも大きい。
読みたい本が沢山あったし、楽器の演奏技術も高めたかった。
高い飯を食うよりも500グラム100円のスパゲッティで浮かせたお金で古本を買う方が満足度が高かった。 

また、言葉は悪いが、賢くない人間の多い職場で働くよりは、書物から学んだ方が多くのことを得られると思う。
学生アルバイトの典型の飲食店、小売店、学習塾、いずれも就職活動だとブラックだと敬遠される業界ばかりだ。
そういった意味で学生時代のアルバイトは不毛なので、借金してでもしない方が良いと思う。
金銭的な理由でそうもいかない場合も、最小限にとどめた方がよい。

人間は、無限ではないにせよ非常に多くの可能性が与えられている。

しかし、その可能性を実現するために与えられた時間は短い。

可能性と有限の時間は、多くの場合、挫折と妥協をもたらす。

(昔読んだ漫画で『人間は無限の可能性と有限の時間を与えられた挫折を宿命づけられた存在だ』、というセリフがあった。タイトルすら忘れてしまったが、言葉は強烈に覚えている。)

「人間に与えられた時間」(これを人生と呼ぶのだろうか)を因数分解してみると、身体と生命がくくりだせる。

ここで問題なのは、与えられた時間を全うするためのビークルとして生命と身体があるというのに止まらず、人はその身体と生命の維持に多大なリソースを使うことだ。


睡眠に時間を使う必要がある、食事によりエネルギーを接種する必要がある、暑さや寒さを遮蔽する住処が必要である。

食事と住処は、現代では金銭を対価として購入することが一般的だ。

そして、その金銭は、時間を売却して労働の対価として得ることがポピュラーである。


このように考えると、生命の維持に必要な費用を捻出するために他者のために使わなければいけない時間を控除した、ネットの時間はいったい人間にどの程度与えられているのであろう。
睡眠時間も除くとそんなに残らない気がするのだ。
 

私の苦悩のわりかし深いところに、このような生命の維持のために控除される時間に対するペシミズムがある。

金銭の対価として労働として他者に奪われ、自分の生命と身体そのものに奪われている、私の人生。

太陽と空気と水で生きられる植物と比べて、これはあまりに不幸だと思うのだ。

 

『働くぐらいなら食わぬ』

昔週刊少年ジャンプで連載していた封神演義という漫画がある。
そこで、主人公の仙人である太公望が『働くぐらいなら食わぬ』と言っていた。

当時は太公望の飄々としたキャラクターをうかがわせる面白いセリフだと思っていたのだが、ここ数年は結構身に染みるようになった。


メシを減らして労働を減らしたい
働くのがイヤになってから、労働とお金がイコールで結ばれてしまった
大変残念なことに、僕は地主の子供に生まれなかった。
そのため、働いて労働の対価としてお金を得るしかない。
そして、飯を食うとお金が出ていってしまう。
「飯を食う」ことが「嫌な労働をする」ことと、貨幣を介して繋がってしまった。
貨幣のフェティシズムである。
マルクス風に記号で表そう。
W・・・労働。資本論だとWは「商品」だが、労働者である僕にとっての商品という意味と、Workという意味で使う。
G・・・貨幣。これは資本論そのまま。
M・・・食事。メシ(Meshi)のMでありMealのMでもある。
すなわち
WーGーM
である。

都内に不動産を持っていない僕の不労所得は株式投信の配当金くらいなので、G(貨幣)の獲得はW(労働)に依存している。
したがって、M(食事)を減らすことは、生命維持に必要なG(貨幣)を減らすことに繋がり、W(労働)を減らすことに繋がるのだ。
まさに「働くくらいなら食わぬ」である。
僕の太極図だ(意味不明)。

ちなみに、Meshiに限らず、生活に必要なコストを見直して、生活水準を下げることでWを減らして、自由になった時間を楽しもうというのがダウンシフトの基本的な考え方だ。



太公望になるために

とはいえ、食事はある程度までは値段と満足感が比例するため、切り詰めすぎると効用の低下が著しい。
僕が実践してるのは以下の点だ。

①空腹時以外は飯を食わない!
時間だから飯を食うというのはすごく不自然だ。
野生動物は目が覚めてから活動して空腹を覚えてから狩りをして獲物をしとめ、それから食事を取る。
一日3回決まった時間に飯を食うというのは人間が組織化していく中で管理者側のための作られた仕組みだと考えている。
特に昼飯は空腹を感じていないときは食べなくてもいいと思う。
② お米はふるさと納税で手に入れる!
低糖質が流行りだが、安価にエネルギーを摂取できるイネ科の食物が僕は大好きだ。
総務省が返礼品に厳しくなっているが、探せば1万円でお米15キロを返礼品として送ってくれる自治体が結構ある。
地元で取れたお米なんだからお上もあんまり文句言えないものと推察する。

暑さや寒さにすごく強くなって、何も食べないで生きていけるようになるのが夢だ。
そうすれば家も服も食料もいらない。
労働時間を減らして、他のことにリソースを使える。 
 

スタンリー・キューブリックの映画が好きだ。
「時計じかけのオレンジ」の暴力シーンは不快だという人と笑いが止まらないという人に極端に評価が分かれる。
「時計じかけのオレンジ」と「フルメタル・ジャケット」は前半はスピーディーに進むが、後半はちょっとぐだぐだする。
そのちょっとグダグダする「フルメタル・ジャケット」の後半、ハートマン軍曹の登場シーンの次くらいに有名なシーンがある。

ベトナムに渡った主人公のジョーカーが軍広報の業務の一環として、攻撃ヘリに同乗する。
ドアガンナーは嬉々としながら空からベトコンのゲリラ兵(民間人と区別はつかない)を射殺する。

以下は、その改変だ。
銃をぶっ放すドアガンナーがHard Worker、唖然としてそれを取材するジョーカーがPrivate Tolchockだ。
逃げる奴はパートタイムだ、逃げねぇやつはよく訓練された社畜だ!

Hard Worker:

Git some! Git some, baby, yeah, yeah, yeah!

Anyone who runs, is a part-time. Anyone who stands still, is a well-disciplined CS!

You guys ought to do a story about me sometime!

 

Private Tolchock:

Why should we do a story about you?

 

Hard Worker:

Because I'm working so fuckin' hard!

I worked 80hours overtime last month. Plus 40hours early morning, too!

The later is NOT authorized!

 

Private Tolchock:

Midnight or Weekend?

 

Hard Worker:

Sometimes!

 

Private Tolchock:

Why do you work Midnight or Weekend?

 

Hard Work:

Easy!  I just don't have time so much!

Ain't work hell?

Huuuuuuhh-HAHAHAHAHA!!!

 

CS = corporate slave

仕事に絶望してから、宝くじを買うようになってしまった。
気分にもよるが、年末ジャンボとサマージャンボは10~30口程度買っている。
また、楽天でBIGが変えるので、週に1口買うように設定している。

いうまでもないことだが、宝くじは期待リターンで考えれば非合理的な商品だ。
宝くじシミュレーターで検索していただいてもいいし、スプレッドシートで自分で計算しても良いけど、宝くじの回収率はだいたい20%台前半である。
換言すれば、期待リターンマイナス80%弱の投資行動だ。

ただし、この商品の商品設計とマーケティングはセンスの塊だ。
だから皆買ってしまう。
最低投資単位の金額(ジャンボ宝くじでもBIGでも300円)と、起こり得る結果の最大値(最近のジャンボ宝くじは前後賞抜きでも5億円、BIGはキャリーオーバーしてれば最高6億円)の倍率は、人間の判断を大きく狂わせる。


⇒プロスペクト理論
行動ファイナンスの代表的な理論に、プロスペクト理論というものがある。
証券アナリストの試験でかじっただけなので正確に説明する知識は私には無いが、平たく言うと、①人間が利得に対して見出す価値は線形ではないということ、②実際に起こり得る確率と人間が感じる確率にはズレがあること、を説明しているといえる。
宝くじの分析で有用なのは特に②の観点だ。宝くじで1等が当たる確率は極めて低いが、買い手は自分には平均よりももっと高い確率で当たるだろうと考えてしまう。都合の良い結果を期待してしまうのだ。
 
⇒1等賞金の設定>
ジャンボ宝くじ1等3億円、前後賞合わせて5億円、BIGのキャリーオーバー時の最高当選金額は6億円、これらはサラリーマンの生涯賃金を露骨に意識して決定されている。
大卒サラリーマンの生涯賃金がだいたい3億円だ。
興味のある方は独立法人労働政策研究・研修機構の調査をご覧いただきたい。
1等があたれば一生労働から解放されるという人間の心理をダイレクトに刺激しているのだ。

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技術的な話になると、宝くじに係るレギュレーションは当せん金付証票法という法律で規定されていて、当せん金の最高金額も同法第5条で法定されている。
現在は、額面金額の50万倍が原則で総務大臣の指定するものは250万倍が上限となる。
つまり、1等が3億円や5億円の昨今のジャンボ宝くじは総務大臣の指定するくじにあたる。聞くところによると当せん金額の上限は年を追うごとに引き上げられているらしい。
totoとBIGは準拠法がスポーツ振興投票の実施等に関する法律になるのだろうけど、こっちは払戻金の計算方法等も政省令に委任されているため、今回はちょっとそこまではたどっていない。

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見れば見るほどに悪魔的な妙手だと感じる。
ただ、くじを購入して結果が出るまでの間のワクワク感は誰しも記憶にあると思う。 
いっとき、当たったら気にいらねぇ上司・同僚どもをフィリーしてトルチョック制裁してやるよという妄想ができるだけでも、300円から3,000円の価値はあるのかもしれない。
宝くじは純粋な金融商品としては成り立たない。
同商品のマーケティングで使われる、夢を買う、という言葉にあるように、消費としての側面がある。

今年のサマージャンボは買いませんでした。

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