帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

カテゴリ: 生きるのがつらい

先日、学生時代の友人から、今度結婚する旨の連絡があった。
なんと3年くらい前に一緒に行った合コンで出会った令嬢と結婚するとのこと。
出会いの妙は不思議なものだと思う。

本題に入ると、彼は今般結婚を決断した理由の一つに親孝行を挙げていた。
これには私はどうしても納得できない。
祝福すべきやり取りで無粋なことを言うべきではないが、親孝行のために結婚するという考えは俺には分からないとやんわりと伝えた。
友人は取り乱すでもなく、「親のために生きるわけじゃないが、結婚すると伝えた時両親とも喜んでくれたのでそれはそれで良かったよ」と言っていた。

――平行線だなぁ、これは
彼は親に(もちろん複雑な気持ちはあるのだろうが総体としては)感謝をしていて、喜んでくれて自分もうれしいと思っている。
利害が一致していて、親が喜ぶと彼も嬉しいのだ。
半面私は親と家族があんまり好きじゃなくて、面と向かっては言わないが自分を作ったことを恨んでいる。
積極的に親族の人間が不幸になれとは思わないが、幸せを願う気持ちよりも自分に迷惑をかけないでほしい、自分を害さないでほしいという気持ちが強い。

働くのは嫌だけど、夏休みのある小学校時代に帰りたいという考えには至らない。
会社よりも家族や学校の方が苦しいものだった。

私は人生を楽しんでいない。
嫌々働いているし、家族もそんなに好きじゃない。
明日世界が終わればいいと思うし、生まれてこなければ良かったという思いに取りつかれて気分がひどく落ち込むこともある。

この感情はあまり理解してもらえない。
人と腹を割って話すことが少ない頃は、皆こうだと思っていた。
多くの人は富豪の家に生れなかったので嫌々働いているんだと思ってた。
苦悩と苦痛の繰り返しに辟易してるんだと思っていた。
だが、多くの人が何かと不平不満を口にしながら人生を楽しんでいるような節がある。

以前はこのギャップに苦しんでいたが、今はさほど気にしていない。
他人に同意してもらう必要はないし、他人がどう考えていても自分にはうまく理解できないからだ。
ただし、言わなければいいのに、何かの節に言ってしまうことがある。

――家族はあんまり好きじゃない。
幼少期の一人では生きていけない折に世話をされたという事実はあるが、それ以外のマイナスの面が多く、総体として見ると自分を作ったことに怒りと哀しみを覚える。
――働くのは好きじゃない。
富豪の家に生まれたかったが十分な資産が無いので仕方なく働いている。
働く場所としては今の環境は他よりも良いが、働かないという選択肢がとれないからの仕方なくやっている。

分かってもらわなくていいので、こういう人間がいることを知ってほしくて言ってるんだと思う。
変人の方が気楽だ。
 

たしか2ちゃんねるの反出生主義スレだったと思うのだが、日本人は多数派の価値観を押し付けてマイノリティを屈服させるのが好きだという意見を見た。

思わず膝を打った。

 

日本人全員とは言わない。

私の数少ない友人達は、自分の考えが多数派と同じ場合でも、少数者の意見をフラットに受け取る。

ただし、仕事で付き合いのある一部の人間や家族のように、数十年前から現在にいたる多数派の価値観とで生きてきた人間たちは、マイノリティを本気で潰しにかかる。

――世間はそんなことは許さない(世間とはあなたでしょう)

――それは穿った考えだ(あなたと違う意見をもっているだけです)

――そういう考えは冷酷だ(理解できないからそう感じるだけです)

――そんな生き方は俺にはできない(誰も頼んでません)

 

多数派の圧力に負けずに自己を肯定するために、誰かの価値判断の濃い「意見」ではなく「情報」に基づいて、自分の頭で考えて決定することを心がけたい。

そうすることでのみ、後悔せずに自分の人生を全うできるのではないかと考えている。

 

しんどかった時に、よく検索エンジンに自分の願望を打ち込んでいた。
一番良く検索したのは「死にたい」だった。
精神科医/カウンセラーといった専門家の運営するサイトやまとめが上位に出てきたが、あまり参考にはならなかった。
グーグル先生にまで心配されて、「こころの相談統一ダイヤル」とやらの電話番号が表示されたのはいささか驚いたが。

ほかだと「働きたくない」「ニートになりたい」「失踪 方法」「世界終われ」「生まれてきたくなかった」などが多かった。
多分、友人とか家族のような近い関係の人に相談すると心配をかけてしまうので、ネットの海から解決方法を探ろうとしたのだと思う。
分からない言葉や適当なExcelの関数を調べる時と同じように。

とはいえ、結局その時は友人に聞いてもらったりカウンセリングに行ったりして整理して行くことで落ち着いた。
今は死ぬくらいなら働くのをやめればいいと思っている。

人に話すよりはハードルが低いのだが、直接相談したりカウンセリングを受ける方が得るモノが多いと思う。
特に、私が検索しているような漠然としたレベルの悩みだと具体的に何が論点になってるか自分でも分かっていない(具体的に特定できてる人も思い込みかもしれんよ。)。
悩みの所在を明らかにするためには対話が一番有効だと思うのだ。
悩みのタイプは千差万別。ネットの海が広大でも自分に似た境遇の人はなかなかいないし、広大ゆえに自分から見て恵まれた状況で悩んでいる人間の意見に出くわして腹が立つこともある。

ただ、今でも2週間に一回くらいつい寝る前に検索してしまって、気付いたら明け方みたいなこともある。
救いがあるかもしれないという期待ゆえに。

 

私にも、心配してくれる友人がいて「おまえはここ数年とても不幸そうだ。何がお前をそこまで不幸にするのか。」という旨の問題提起をし、しばしば議論に付き合ってくれる。

 

私は過去と現在と未来に絶望している旨を整理して話すのだが、その過程でこのような話をした。

 

――

俺は今、幸せじゃないと感じることが多いけど、それでも昔と比べたら文句なしに幸福だよ。

子供のころは、親の庇護を離れて自活する術を知らなかったので、家族の顔色ばかりうかがっていた。

何か家族の中で不和があると、そぞろに気を病み、近くの水神様のお社にお参りし、どうか不和が解消されるようにとお祈りしていた。

 

そのような、知恵も財もなく、祈るだけでしかなかった少年時代の私と比べれば、今の私は幸福だ。

距離を置いていることもあり、家族の問題を、適当な相槌を打って受け流すことが出来る。

自分が得た知恵をもって、不和や我儘を諌めることができる。

自活する術をもっているので、いざとなったら無視することもできる。

 

私に自活する術を与えてくれるという一点において、私は忌み嫌っている会社での仕事にすら感謝できる。

私は、自活する術と社会における立場があればこそ、私を縛り付ける一つの鎖である家族に対して抗うことができる。

 

今はまだ体がちゃんと動くし、幸い重篤な病にも侵されていない。

自分の身体に関するリスクとのトレードオフで考えるならば、未来の私と比べても今の私は幸せな状態なのだろうとも思う。

今の自分は自分の生涯において最も幸福になり得る時期かもしれない。

だが、どうやって幸福になればいいのか、これが分からない。
思索のための時間が足りないのか、周りの目を気にしすぎるのか、はては、自分の自律したと考えている今の生活も、子供の時とはまた別種の我慢や無力感の上に成り立っていると評価しているのか。 

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