帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

ケチ

本当はクレジットカードもポイントカードも無い経済圏が理想だと思う

僕は極めてケチな人間なので、ポイントを取り逃すと損をした気がして腹が立つ。
他人にはポイントが付くのに自分には付かないなんて我慢できない。
とはいえ、ポイントカードで財布がパンパンになるのも大嫌いだ。
財布には最低限のものだけ入れて軽くしておきたい。
使う機会が滅多に無いものを毎日持ち歩くと、それはそれで損をしている気がするのだ。
厳選を重ねて、財布に入れるクレカとポイントカードは以下のものまで絞りこんだ。

・LINEペイカード
プリペイドカードにすることで与信費用を削減したうえで、JCBの高い加盟店手数料をポイントバックに回すことで2%還元を実現するなりふり構わないカード。
去年から今年にかけての年末年始には4%還元というとんでもないキャンペーンをやっていた。
銀行口座連携すればLINEアプリからほぼ即時でチャージできる。
・楽天カード
楽天ポイントの経済圏にいる人には便利なカード。
通常1%還元で楽天ポイントがついてEDYのチャージでも0.5%だがポイントが付く。
本を定価で買う時はLINEペイで2%還元よりも楽天ブックスで楽天カード払いのほうが還元率が高い。
かっこ悪いと敬遠する人もいるらしいがそういう人はアメックスに会費払っとけばいい。
・Tカード
ファミマとマルエツで使える。
・ポンタカード
ローソンよりもローソンストア100でよく使う。
・ブックオフのポイントカード
僕が一番本を買っている店はアマゾンでも丸善でもなくブックオフ。
・EDYつきのプロントカード
EDYで払うとドリンクが10%OFFになるのでプロント行く人は持ってた方がいい。

あと、アプリで代用できるものはアプリにしている。
例えば、ヨドバシのポイントカードとHONTO(丸善とかジュンク堂で使える)のポイントカードはアプリにできる。

さて、ここまでせこせこした話を書いておいて恐縮なのだが、本当はクレジットカードもポイントカードも廃止できればそれが一番いいと思う。
加盟店がサービスプロバイダ(カード会社とかTポイントやポンタの運営元)に払う手数料を調べたことがある。
Evernoteに残ってる走り書きだと、クレカがだいたい4-7%(実はかなり幅があって風俗は10%オーバーでコンビニとかだと1%らしい)、Tポイントが3%+固定費、電子マネーだと2-4%程度らしい。
当然これらのコストは店の費用なので販売価格に上乗せされている。
ポイントや有利な決済手段で得したと思ったとしてもその分は小売価格には反映されている。
(もちろん現金払いの人は確実に損をしている。)
これは厚生年金の保険料とよく似ていると思う。
労使折半だから労働者に有利だと言っても、その分は公的年金として召し上げられなければ、雇用主から労働者に支払われているお金だ。
労働者は得したように見せかけて損してるし、雇用主もまぁ得はしていない。
得をしているのは制度を運営して雇用や利権を作っている国と現在の受給者である老人だ。
クレカやポイントカードも同じ話で、有利にポイントを貯めてる消費者は得してるように見えて損をしているし、店の側もどっちかと言うと損をしている。
得をしているのはカード会社とポイントサービスを運営する会社だ。

僕が良く行く店で、チェーン店にも関わらずクレジットカードが使えない上にポイントカードも無い店がいくつかある。
良く行く順に挙げると、ベローチェ、業務スーパー、サイゼリヤがそうだ。
安価な割に上質な商品を提供する点が共通しており、どの店も大好きだ。
クレカが使えないとブーブー言う人はスタバとかハナマサとかガストに行けばいいさ。
(とはいえ、現金は管理コストがかなり高くつくので、5%くらいの手数料であればクレジットカード払いは店からしても業務効率の面ではメリットがあると思うのだけど、それはまた別の話。)



『生きるのがつらい』療養論3 資本論と人間嫌いの葛藤

療養中に、資本論の解説書を読んだ。

資本主義の解説書を求めて

私はこれまで、資本主義というものをあまり疑わなかった。
ニュースの意味を理解するようになる前に、ベルリンの壁もソビエト連邦も崩壊していた。
私が生まれ育った時代には、共産主義はすでに枯れた思想だったのだ。
政治思想を学ぶ中で、能力や生産に応じてではなく必要に応じて分配を受けるという共産主義の理念に共感はしたが、それは人間には実現不可能な夢の世界のように思われた。
市場を通した分配がうまくいくとは限らないが、私はそれ以上にオーソリティーによる分配のほうが信用できないと思う。 
ただ、共産主義が資本主義の代替として実現し得ないとしても、私が嫌悪する過剰な労働を生む装置(24時間営業やワンオペや残業ありきの社風)が資本主義の産物だということも事実だ。
共産主義の入門書ではなく、文字通り資本主義の解説書として資本論を学びたいと思った。

ちなみに、私が初めて資本論に言及する文章を読んだのは、『ナニワ金融道』で知られる漫画家の青木雄二のエッセイだった。
なんでも、青木は漫画家になる前に自分が作ったデザイン会社を倒産させてしまった経験があり、仕事がない時期に資本論を読んだことがきっかけでマルクスに傾倒するようになったという。
幸か不幸か私も当時の青木とちょっと似た状態だ。
資本論の勉強をするにはちょうどよいタイミングだろう。
とはいえ、原著を読むのは骨が折れそうなので、薄い解説書と厚い解説書を読むことにした。
カール・マルクス: 「資本主義」と闘った社会思想家 (ちくま新書) [新書] (薄い解説書)
〈資本論〉入門 [単行本] (厚い解説書)

資本論は結構思慮深かった

読んでいると、想像していた以上に思慮深く現代的な記述が多く驚いた。
例えば、労働者に対して猛々しく団結を説く共産党宣言とは異なり、資本論では「資本家」と「労働者」を個々の人格としてではなく、あくまで抽象的な役割として論じている。 
現代では、証券口座が市民にもく普及しており、公的年金や保険を通した間接的な保有も合わせれば国民の多くが「株主」としての顔を持つ。
このように、資本が一定程度民主化され「労働者」が「資本家」を兼ねるようになった現代においても、「資本家」と「労働者」を社会構造における役割として考えるのであれば一般性は失われない。

資本論と働くのが嫌いでケチな私

特に印象的だったのは、資本論における商品論と貨幣論が、私の労働嫌悪ゆえの思考や貨幣観と整合的だったことだ。
当サイトにもしょっちゅう書いているのだが、私は働くのが嫌になってからお金が使えなくなったし、お金を使わないと生命が維持できない人間は呪われた存在だと考えている。
だが、そのような考えとは裏腹に、私はお金を嫌悪するのではなく、自分に自由を与えてくれるものとして心の底から欲している。

資本論と照らして見てみよう。
1.労働力商品
生産手段を持たない労働者である私は、労働力以外に売る物がない。
持たざる者として「労働力を売る自由」があるのみだ。
2.労働力の価値
そして、労働力の値段は労働の再生産にかかる費用から決まる
明日からまた働けるだけの状態を維持するための費用が労働力の対価として支払われるのだ。
それゆえ、妻子がいない私のような人間でも、衣食住を満たしたうえで手元に残る金額は多くない。
賃労働に身をおく限りは、働けなくなるまでそれから解放されないのだ。
また、私は常日頃から、労働力を売ることで労働者に発生する出費はばかにならないと考えていた。
例を挙げると、以下のような具合だ。
・自分で食事を作る時間を奪われるために外食に高い費用を払わねばならない。
・仕事のストレスの発散のために娯楽や遊行にお金を使う誘惑にかられる。
・休日が他の労働者と集中するので、レジャーなどで混雑する時期に高額な費用を払わねばならない。
・古本屋を回ったりオークションを調べる時間が無いため、中古品を安く手に入れる機会が限られる。
高ストレスで拘束時間が長い仕事ほど給料が高いのは、労働力の再生産コストが高いからだという理解も成り立つ。
賃金が労働力の再生産のためのコスト分だけ支払われるのであれば、衣食住や娯楽を削って自己を再生産する費用を下げることでしか僕たちは自分の手元に金を残せないことになる。
そのように考えると、生命の維持はやはり呪いだ。 
3.貨幣のフェティシズム
貨幣から商品への交換は「一般」から「特別」への交換である。
そして、他の多数の商品と交換可能な貨幣はいつしか特殊な価値を持つようになる。
特別な財だとみなされるようになった貨幣は、単なる流通の便宜のための道具ではなく、人間の行動様態に影響を及ぼすようになる(物象の人格化)。
貨幣を際限なく貯蔵する欲求を抱かせるだけでなく、貨幣を通じて実現される自由、平等、所有が人間の普遍的な権利であるというイデオロギーを形成させる。
貨幣は私の中では、お金があればコミュニケーションを削減できる、お金があれば働かなくても良い、お金を稼いでいるうちは家族にも文句は言われない、という思考として人格化した。
他者からの自由のために貨幣を求めてやまない私は、賃労働を嫌いながらも貨幣のフェティシズムに支配されている。

(その他にも「分業は労働者を疎外する」とか「生産力の向上は過剰な労働力を生むから労働者に不利になる」といったことは覚えておくと健全な他者転嫁をする上で有用だと思う。)

資本論と人間嫌いな私

このように、資本論は結構私の悩みにしっくり来る思想だったのだが、引っかかる点も相応にあった。
一番疑問だったのは、マルクスは資本主義以前の家族や共同体のような人間関係を美化しすぎているのではないかということだ。
例えば家族について言えば、共産党宣言に以下の文言が出てくる。
”ブルジョア階級は、家族関係からその感動的な感傷のヴェールを取り去って、それを純粋な金銭関係に変えてしまった。”
とてもじゃないが、私は家族がそんなにロマンティックなものだとは思えない。
また、濃密な地縁関係の中で生きるよりも隣人を気にせず暮らせる現代の都市生活の方が煩わしくないし、徒弟制度よりも本とネットで勉強する方が気が楽だと思う。
私は地縁・血縁の共同体の一員として生きたり、革命のために他の労働者と団結するよりも、貨幣で結ばれた関係の方が気楽なのだ。

階級闘争よりも身近な感情

私は労働と貨幣から生じる生き難さを持っている一方で、貨幣から離れて濃密な人間関係の中で生きていくこともしたくない。
袋小路のような資本の迷宮の中で、なんとなく救いがあるように感じたのは、ヨーゼフ・シュンペーターの言葉だった。
シュンペーターは経済学者としてのマルクスの功績を高く評価しており、著書の『資本主義、社会主義、民主主義』の最初の章を社会主義、すなわちマルクスの経済理論の考察に当てている。
その中で彼は、
「マルクスは労働者の本音を階級意識に基づく社会発展という啓示にすり替えた。実際には、多くの労働者はプチブルジョアになりたいと考えている。」
という、身も蓋も無いがその通りのことを言っている。

幸福は比較の中で感じられることが多い。
他者との比較によってもたらされることもあるし、過去との比較(すなわち変化)の中で感じられることもある。
労働者がプチブルジョワになると他者との比較でも過去の自分との比較でも幸福を感じられる。
疲れることが多いけれど「能力を発揮して対価を得て、過去の自分や他者よりも豊かになる」ことには、やはり抗いがたい魅力があるのだ。

資産家の家に生まれて労働をしなくてもいい人間がいることは不公平だと思うし、そういう人はとてもうらやましい。
働く時間と場所に自分の自由が無いことや、社会や会社のつまらないルールに従わなければならないことは辟易する。
そのような、生まれながらの富の偏在と画一的な賃労働を生む資本主義には不満がある。
だが、全ての人間が寝て暮らせる時代は無かったし、他者との距離は資本主義以前の社会の方が近かった。
だから、もうしばらく降りないで働いてみようと思った。
一応、資本主義は人間嫌いな私にはそれなりにフィットしているような気がするから。

 
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私が今回読んだ「薄い解説書」。
『大学四年間の哲学が10時間でざっと学べる』(KADOKAWA)で推薦図書として挙げられていたので最初に読んだのだが、要点がわかりやすくまとまっているとても良い本だった。
資本論の概要の説明が100ページくらいでされている恐るべき本(残りの150頁ではマルクスの生涯と最近のマルクス研究について解説している。)。
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「厚い解説書」はこちら。
著者のハーヴェイはニューヨーク市立大学で経済地理学とマルクスを研究しており、米国中で資本論の講義をしている。
本書は資本論を読み通すためのガイドとして書かれたもので、資本論の構成に沿って適宜原文を引用しつつ、現代的な解釈も絡めた説明をしている。
読みにくい本では無いのだが、初めの数章は原著がそもそも難解なので、200ページ位までは全部理解しようとして読まないほうが良いと思う。 
 

読書の仕方も映画の見方も吝嗇だ

自分は映画を見たりを読んだりするのにつけてもケチだと思うことがある。
ここでいうケチとは、「作品の内容を無駄にせず全てを咀嚼したいと考えている」くらいの意味だ。


昔から、映画を見るのが苦手だった。
2時間ずっとスクリーンに集中していなくてはならないことに疲れるのだ。
トイレに離席したりふと画面から注意をそらした時にとても重要なシーンが流れ、自分がそれを見逃すことを恐れている。
その1シーンを見逃したばかりに、その映画の全てが台無しになってしまうことを恐れている。
それゆえ、どれほど楽しみにして見に行った映画であっても、途中からは開始からどれくらい時間が経ったかを確認し、あとどれくらいで終幕かを気にしている。
これは映画館だけに限らない。
レンタルビデオを借りるときも、果たして自分が最後まで集中力を途切れさせずに見られるか、またそれだけの価値があるかを気にして、なかなか借りられない。
Amazonのプライムビデオでも、気になる映画があるとプレイリストに加えるのだが、見るだけの気力が沸かず、ついぞ見ないままだ。

本を読むのもそうだ。
子供の頃から本を読むのは好きだったが、苦手だった。
一度出てきた内容を忘れてしまい、読み進めていくうちに話の展開や論理構造についていけなくなることを恐れている。
重要そうな箇所を振り返り易いと安心するので、鉛筆で印を付けながら読む。
もちろん、試験勉強の時は要点以外は流して、その分演習の時間を確保するようにしていた(さもなければ悲惨な結果になる)。
また、仕事で読む文章については、多くの場合は要点はどこかを探しながら走り読みをして対処している(さもなければ早くお家に帰れない)。
ただ、自分が趣味で買った本は、小説でも実用書でも吝嗇に読んでしまう

率直に言って、映画や本に対するこのような姿勢は、集中の代価としてもたらされる疲労により作品の良さが損なわれていると思う。
1作品1作品に労力がかかるので、見る/読むことができる作品の数も制限される。
そもそも、全てを理解しないと映画や本の良さが全てスポイルされるとい考えは、認知の歪みだ(類型としては「全か一かの思考」「完璧主義」)。

私が「本や映画の全てを理解したい」という強迫に駆られるのは、『自分の苦悩の答えを求めて作品に接している』ためだと考えている。
人間不信、労働苦、家族の呪縛、生きる意味に対する答えを本や映画の中に探している。
それらの苦悩は自分にとって一大事なので、集中して答えを探す必要があるのだ。
フーコーの入門書やアダルトチルドレンの解説書のようなものだけでなく、太宰やモームの小説の中にも答えを探している。
ファイト・クラブやエヴァンゲリオンの中にも探している。
苦悩が減れば接し方も変わるのかもしれないが、現代人が生きる限り、苦悩は決して減らないだろう。
「答え」を求めてする読書は楽しめない。
でも、どこにも答えが書いてないのなら、私は果たして本を読むだろうか。


ブラックフライデーか無買デーか

今年は日本の小売業も結構ブラックフライデーと銘打ってセールをやるようだ。
これまでもGAPのような外資系の小売チェーンではやっていたようだが、イオンは今年が初めてらしい。
(リンク:livedoorニュース

ブラックフライデーの位置づけ

簡単に説明すると、Black Fridayは米国のカルチャーで、Thanksgiving Day(感謝祭,11月の第4木曜日)の翌日の金曜日のことだ。
オフィシャルな休日ではないが、Thanksgibinv Dayと土日の間だから休暇を取る人も多いらしい。
この日は、米国の年間個人消費の2割を占めるとされる年末商戦(クリスマス商戦)のスタート日と位置づけられている。
なんでも小売業の帳簿が黒字になるのでブラックフライデーなのだとか。
年末商戦の動向は米国経済のファンダメンタルズを見る上でそれなりに大切なので、小売大手のブラックフライデーの売上がニュースでも報じられる。
余談だが、黒字と赤字は英語でも同様にblackとredと知ったときはへぇと思った。
とっさには出てこないのでprofitとlossとかsurplusとdeficitを使ってしまうけれど。

無買デーという考え方

これに対して、大量消費社会への反発から、この日を無買デーにしようという動きもある。
(リンク:Wikipedia-無買日
私はアイルランド人のフリーエコノミー活動家マーク・ボイルの書いた『僕はお金を使わずに生きることにした』という本で知った。

ここ数年断捨離ミニマリストに関する本がそれなりに支持を集めているのは、消費のあり方に疑問を持つ人が増えているということだろう。
こんまりさんの『人生がときめく片づけの魔法』は米国でもかなり売れているそうだ。

私もこの無買デーという考え方を知ってから、意図的にお金を使わない日をたまに作ることにしている。
家賃や光熱費などの固定費は目をつぶるほかないが、仕事のある平日をお金を使わないで切り抜けられるとそれなりに達成感がある。

ケチな私の考え方

ただ、消費を煽る企業や社会に懐疑的になるのは良いことだが、吝嗇や将来の不安ゆえに自分が欲しいものにもお金を使えないというのも考えものだ。
現代人が将来の不安を完全に払拭するだけのお金を手にすることは極めて難しい。
私は根がケチなので、不必要なものを買わないのと同じくらい、現在の自分の人生を豊かにしてくれるものにお金を使うことを心がけたいと思っている。

サイバーマンデー

ちなみに、ブラックフライデー後の週末に続く月曜日をサイバーマンデーと言う。
言うなればeコマース版のブラックフライデーだ。
感謝祭の休暇が明けて出社した人々が、会社のパソコンからインターネットショッピングにいそしむのだ。
おそらく高速インターネットがあまり普及していなかった時代に始まったのだと思うが、最初に聞いたときは、米国人はフリーダムだなーと思った。
Amazonは日本でも以前からサイバーマンデーセールをやっている。
型落ちのデジタル一眼レフが手頃な価格で売られていたこともあったので、覗いてみても良いかもしれない。


 

家計簿の話

働き始めて3年目くらいから、家計簿、というか支出簿をつけている
サラリーマンなので収入の方は給与明細と証券口座のレポートを見ればほぼ把握出来る。
だから、支出だけを別途管理している。

私の支出管理

 iOSの『支出管理』というシンプルなインターフェースのアプリを購入して、支出を10項目くらいに分類している。
買い物のレシートは必ずもらうようにして、2,3日に一度まとめて入力している。

家賃、光熱費、通信費といった固定費や、食費、書籍代、衣服といった変動費は項目を設ける。
そして酒とエロ関係は『削る費用』という項目を設け摘要に「エロ本」とか「ウィスキー」と記載して入力する。
10円単位で適当にやっているが、月に5千円以内の誤差でやれていると思う。
同輩に言うと、驚かれる場合が多いが、似たようなことをしている人もそれなりにいた。
リンク:App Store 支出管理

メリット

これを長く続けると、自分の行動のサイクルがわかる
例えば、食費や書籍代は毎月安定しているが、電化製品は2ヶ月に1回くらい大きな出費をしたくなる
先月はBOSEの新商品のスポーツ用のBluetoothイヤフォンを購入した。
上代2万円也。
トレーニングや、夏の通勤時※にとても役に立つ。
その反動で当月はガジェット類は節制しているのだが、多分来月にはタガが外れるんじゃないか、というのがこれまでの消費行動から推測出来る。

もう一つ、支出の全体像が分かるので使途不明金が無くなる。
例えば、飲みに行って二次会三次会まで行くと一晩で2万円くらい使っている。
会社の付き合いの飲み会は高く付く割に何も残らないのでシビアになる。
また、アル中モード全開の時はコンビニの利用回数が圧倒的に増える
経験的にストックするとエンドレスで消費してしまうので、都度買い求めるという悲しい自省が働くためだ。
こういう支出は漫然としていると、なかなか総額を認識できないと思う。

※上着を着るときは有線のノイズキャンセリンのついたイヤフォンを使うので、こいつを通勤時に使うのは夏だけになるだろう。
私が2年に1回くらいイヤフォンを壊してしまうのは汗と運動時の伸縮にあるような気がしていたので、できればこれは長持ちして欲しい。 


 

寄付が出来ない心理

自然災害が発生した時は、せいぜい数千円から1万円の範囲だが寄付をしている。
最初にやったのは東日本大震災の時だった。
ケチな自分にしては珍しいのだが、それ以外に何も出来ない自分に憤りを感じての行動だ。

この話を当時の職場の人間や生家の家族にしたら驚かれた。
みな口をそろえて、「もうちょっと余裕があればしたいのだけれど」と言っていた。
この言葉に嘘は無いのだろう。
彼らには自分と違って養うべき家族がいるし、差し迫った老後への不安がある。

だが、現代社会に生きる我々にとって、よほどエッジの効いた生き方をしているのでもない限り、生活に「余裕」が出来ることはありえない。
高齢社会の現代においては、平均的に生きているだけでは自分の所得により老後の安定を確約するだけの資産は築けない。
「自分の老後の安定を確保した上で、それでも余裕があれば他人に施す」という考え方だと、大多数の人間は生涯他人に施すほどの余裕は生まれないのだ。

所得の再分配は国家の機能である。
寄付や慈善活動はやりたいやつが自分の満足のためだけにすればいいと思う。
ただ、自分の吝嗇と向かい合うことをせず、「余裕が無い」の一言で片付けることにも疑問を感じたのだ。

沢木耕太郎の深夜特急で、シルクロードのあたりで乗り合わせたオランダの青年のエピソードが書かれている。
その青年は無一文に近かった。
なけなしの金を前払いして、中央アジアから欧州まで走る長距離バスに乗り込んだ。
食事休憩の時も飯を食わずチャイを飲むだけ。
ただ、同乗者に勧められればありがたく食事をごちそうになる。
そのような旅人だった。
そんな無一文な旅人が、ある日現地の物乞いの少年少女に施しをせがまれる。
旅人は、おそらく彼の全財産である硬貨を手のひらに広げ、その場にいた2人の少年少女と彼で等分した。
筆者はそれに衝撃を受ける。
自分は、長い旅の途中であるがゆえに、節約する必要から物乞いに施しをしなかった。
だがそれは、結局のところ自分の吝嗇に理由をつけていただけなのではないか、と。

寄付なんてしたい人だけがすればいい。
だが、吝嗇と向き合うことを、どうか避けないで欲しい。
人類の成し遂げたイノベーションの多くが、有限のリソースの配分を考える時に生まれてきたのではないだろうか。


※『深夜特急は』文庫だと6分冊ですが、下の全集版だと1冊にまとまっています。
私は最初に文庫で読み、本書の刊行にあたってこれも買いました。
本編の原型にあたる『深夜特急ノート』も収録されています。


 

『チェーン・スモーキング』 なんでもないことを文章にする

タイトル:チェーン・スモーキング
著者:沢木耕太郎
出版社:新潮社(新潮文庫)

先日帰郷した折に読み返してみた。
たぶん、10年前に読んだ本なのだが、全く中身を覚えていなかった。
唯一覚えていたのが、後書きで語られていたタイトルの由来についてだ。
この、タイトルにはあまり意味はなく、沢木氏をはじめ本書に関わった人間は皆タバコを吸わないとのことだ。
言葉の響きと、煙草を吸わない人間達が『チェーン・スモーキング』というタイトルの本を作るというひねくれた行為に惹かれたと書かれている。
確か、『深夜特急』でも東南アジアか中東のあたりで、「煙草持ってないか」と聞かれて「吸わないんだ」と答えるシーンがあった。

わざわざ紹介しておいてなんなのだが、基本的に毒にも薬にもならないならないエッセイ集だ。
ただ、テンポの良い文章と、なんでもないような出来事・物事を切り取ってまとまりのある文章にに仕上げる技量は著者ならではである。
2篇について触れたい。

◯タクシードライバー東京編

乗り合わせたタクシードライバーとのエピソードで話が進んでいく。
その中で、あるタクシードライバーの
「子は3歳までにの可愛さで、親への恩は返している。そのあとのことで親孝行だの親不孝だの言う筋合いは無い。」
という言が出てくる。
以前に、友人が別の知人から聞いた話としてこれと同じ趣旨のことを言っていて、「どこかで聞いたことがあるな」と、その時は思った。
私も忘れていたのだが、読み返してみたら本書であった。
どうやら大本の出典はこのドライバー氏ではなく、安部譲二氏の「塀の中の懲りない面々」という小説であるとのこと。

なお、私自身はタクシーは滅多なことがない限り乗らない。
一番の理由はケチだからだ。
お金が節約できるのであれば、歩くのも電車で立っているのも苦ではない。
行き先を伝えるのが面倒だというのも大きい。
電車やバスにのるときにも行き先を伝えなければならないとしたら、もっとタクシーを使うかもしれない。
会社の忘年会等で会場に行くときも、タクシーは苦手なので電車で行く、と言って単独行動をしている。
こう言えるようになってからすごく楽になった。

◯君だけが知っている

書物の冒頭の献辞への疑問から論が展開する。
私も常々、「なんでまた誰も彼も、本を書くと誰かに捧げたがるのかね」と疑問だった。
本邦では、これみよがしに冒頭に載せるよりも、まえがきやあとがきの最後に、執筆に関わった人に謝辞を述べるものが多いように思う。
編集者や意見交換を行った相手の名前を挙げて、最後に家族へとする紋切り型が多いように思う。
Who knows why?
 

 
プロフィール

執筆者:マイナスニキ

30代会社員。
会社と業務は何回か変わったが、金融業界で10年ぐらい働いている。
会社勤めが好きじゃなく30歳くらいの時からアルコール依存気味になる。ここ数年は断酒とSLIPの繰り返しでうつ休職もしていた。
一人で出来る生業を見つけて会社に勤めないで生きることが目標。
好きな作家は太宰治と沢木耕太郎。

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