帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

タグ:労働苦

その中で、人と話さないってとても快適だと感じている。
最後に友人と会って話したのは9月21日なので、ちょうど2週間経つ。
その前も2週間くらい人と会わなかった。
その間は、買物と外食をした際の最低限のやり取りを除くと、人と話していない。
LINEやメールもせいぜい一週間に1回くらい。
仮にこの生活があと10年続くと辛くなってくるのかもしれないが、2,3年なら問題なく過ごせるんじゃないだろうか。

考えてみれば大学の最後の年が似たような状況だった。
一日中誰とも話さない日が多かったが、誰かと話したいと思えば溜まり場に行けば誰かがいた。
そのころが一番精神的に安定していた気がする。
働くようになってからは、休みの日以外は毎日誰かと話す必要があった。
長い休みも、その時くらいしか旅行が出来ないので、誰とも話さずにゆっくり過ごすことは稀だった。
1週間以上誰とも話さないのは実に10年ぶりなのだった。

 
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こちらの記事で書いたとおり、先月末から出社できなくなってしまって、療養している。
2週間くらい経つと、会社に行ってた頃に感じていた対処不能なしんどさが落ち着いた。
例えば、辛さ、落ち込み、苛立ち、過剰な他罰感情、過剰な自罰感情、他人が自分を貶めようとしているという意識などは、だいぶ落ち着いた。
一日中誰とも話さなくて良いのだから当然かも知れない。

幸いなことに、集まりの場があれば心配した友人が呼んでくれるので、自分が気の置けない人物とだけコミュニケーションを取ることが出来るという、なんとも恵まれた環境にいる。
ただ、そこで付き合いの長い友人から「あんまり楽しそうに見えないけど大丈夫か?」と言われた。
なんてこったい。そう見えるとは意外だった。
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教科書的な解説をすると、稟議書というのは日本的なボトムアップの意思決定手段だ。
担当者が、自分の担当する案件について伺いを立てる。
それに対して、上席者が確認し、最終的に社内規定で定める決裁権限者が承認する。
これだけ聞くと悪いようには聞こえない。
内部統制を効かせたうえで、現場の考えを重視して行う意思決定だのようにも見える。
だが、組織の保身のためによく分からない手続きを強要されるケースも多い。

1.スタンプラリー

典型的な日本の会社では、誰も責任を取ろうとしない。
というか、責任と取る権限を与えられていない。 
そのため、決裁権限が十分に現場に落とされていない場合が多い。
部長決裁で行えるのは事務的な手続きのみで、取引に関連する意思決定にあたっては、本部の統括部所の合議が必要であったり、担当役員以下で構成される~~委員会に諮るなど、責任を曖昧にするためにいろんな部署に回す必要がある。
稟議の鑑にいろんな部署の部長印を集める様は、しばしばスタンプラリーと揶揄される

2.トップダウンの案件でも稟議を上げさせられる

会社で働いていると、政策案件やら取引先との力関係やら経営陣の私的な都合やらで、トップダウンでものごとが決まることもある。
理解に苦しむ話なのだが、そういったトップダウンの案件であっても現場の担当者が稟議を起案させられる。
「いいじゃねぇか、役員のあんたがやるっって決めたんだから、自分で稟議書書いて自分で決裁しろよ。
俺は別にそんな仕事したくねぇよ。」
と言ってやりたいのだが、他の案件と同じような体裁にするために、あたかもボトムアップで決まったかのような体裁を取りたがる。

この手の仕事が多いとモチベーションを大きく損なう。
問題点を指摘しても結論が決まっているので無視される。
自分と関係ないのなら気にも留めないが、後から問題になれば自分が担当として対処しないといけない。
そこまで高い給料も裁量も与えられていないのに責任ばっかり現場に押し付ける。

 

まだ何回も迎えていないが、療養に入ってから月曜日が怖くない。

恐ろしい日曜の夜

働き始めてからというもの、毎週日曜の夜が辛くてたまらなかった。
いわゆる「サザエさん症候群」だが、日曜の夕方くらいから翌日以降の仕事の事を考えてどんどん憂鬱になる。
働き始めたばかりの頃は、日曜の22時以降に放送される「中居正広のブラックバラエティ」や「ガキの使い」を楽しむ余裕があった。
しばらくすると、2ちゃんねるのリーマン板を覗くようになった。
「おい、もう休日もう終わりかよ!?」というスレッドがあり、そこには翌日以降への不安を語る者社畜乙と煽る者粘着するコテハンなどがいた。
「あぁ、月曜が辛いのは俺だけじゃないのだ」ということが分かり、随分と励まされた。(※1)
いつしかそれだけでは足りず、酒を飲まなければ眠れなくなった
夜が更けても眠れず、3時を過ぎてから追加の酒を求めてコンビニに走った日もあった。

 
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記事が増えてきたので、オススメの記事をまとめます。
ここでは「働くのが嫌になってしまった」という内容の記事をまとめます。

<タイトルをクリックすると個別の記事にジャンプします。>

会社行きたくない編

◯眠ると明日が来てしまう
明日が来るのが嫌で眠れない時期がありました。

◯休日以外は全部楽しくない
「眠ると明日が来てしまう」がもっと進んでしまった後の話です。
この後壊れました。

療養生活編

◯労働をしない生活
起き上がれなくなって休職して1週間たった頃の話です。

◯療養生活について-楽しくなさそうだと言われた
療養生活で私が一番恐れているのは、倒れる前の私のように嫌々働いている人間からの憎悪です。

◯人と話さないって快適だ
自分は人と話さなくても平気な人間だと気づきました。1人でいるの大好き。

労働で磨り減る感覚+etc..

◯正味で人生を考える
毎日会社に行って働いて、家に帰って飯食って風呂入って寝る。
それを繰り返しているうちに気付けばもう若くない。
生命の維持のための労働の時間を控除したら私の人生はどれくらい残ってるんだろう。

◯人生を奪われているという感覚
「正味で人生を考える」がもうちょい進んでしまった感じです。
仕事にやりがいを見出だせる人には分からないらしいです。

◯ダウンシフトもミニマリストもフリーエージェントも全て現代社会の要請だ
幸福になるために「働き方」を考えるという試みは90年台からなされていました。
低成長、長寿命化、そして技術革新。
自由な働き方やバランスの取れた働き方を希求する試みは、時代の要請なのだと思います。

◯やる気が無くなってしまった
会社勤めは、「金」「世間体」「自己実現」といった多くのモノを与えてくれます。
でも、それも全部いらないくらい疲れてしまったよ、という話です。

◯働くのが嫌でケチになった
金銭を獲得する手段に対する嫌悪が、金銭を私にとって一段と貴重なものに変えてしまいました。
そして、もたざるものである自分をより一層みじめな者に変えてしまいました。

◯一人で出来る仕事を探す

実はこれを読むまで「一人で働く」という選択肢は思い至りませんでした。
まだ全然道半ばですが、進むべき方向として考えています。


昔から人に頼み事をするのが苦手だった。
特に仕事に関する場合において顕著だ。
人間不信と自分が働くのが嫌だからというのが理由だと思う。
(人間不信については人間失格の話で書いたのでよろしければそちらもどうぞ。)

人間不信だと頼みごとがしにくい

相手に頼み事をするのを、借りを作る行為だと考えている。
借りを作ると、次の相手の頼みごとを断りにくくなる。
自分が弱い立場になったような気がする。
他人は自分より強い立場にある時は、自分に対して理不尽な要求をすると考えている。
実際はそんなことはそう頻繁にないのだが、人間不信ゆえに認知の歪みを拭えない。

自分が働くのが嫌だと頼みごとがしにくい

労働はとても嫌な行為だと思っているので、他人にそれをさせるのに気が引ける。
メンタルが弱っているときや、多忙を極めているときは、自分に対して仕事を振ってくる人間は全員死ねば良いと思う。
何度か口に出して言ったこともある。
これもまた認知の歪みなのだと思う。
本当は、世の中の多くの人間は自分ほどには労働を嫌っていない。
仕事を愛している人間もそれなりにいる。

相手が淡々と引き受けても、嫌な顔をして引き受けても、仕事を振った私に対して復讐するのではないかと恐れている。
労働をさせた自分に対して憎悪をつのらせ、酷い報復をするのではないかと恐れている。

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ここまで書いてしまうと結構病的なのだが、包み隠さず言うとこのような思考ゆえに頼みごとが苦手なのだ。
実際は人に頼られるとそれはそれで嬉しいものなので、あまり気に病まない方が良いのだろうけれど。

実は体調を崩して先月末から会社を休んでいる
毎日辛い辛いと思いながら出社していたが、ついに朝起き上がれなくなってしまった
状況を報告し最低限の手続きを行い、療養に入った。
末期はかなり酷かった。
ここらへんで書いたように、朝は目が覚めていても起き上がれなかった。
出社後も頭が働かなかった。
どれくらいやばいかというと、数字が認識できなかった。
カンマを打ってあっても、それが100万なのか1億なのか、ゼロの数を数えないと判断できなかった。
働くようになって半年後に出来るようになったことが、2週間前の私にはできなかった。
『アルジャーノンに花束を』でチャーリーが知能を失っていく過程はこんな感じだったのだろうか。

療養を初めて最初のうちは、やはり起き上がるのが辛かったのだが、最近少し余裕が出てきた。
私が感じる働かないことのメリットは以下の2点だ。


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