帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

タグ:沢木耕太郎

いつものごとく「働きたくない」とか「働かないで生きる」でウェブを検索していたら、「人間やめたい」というワードに出会った。
いい言葉だ。
俺は人間になりたくないよ、ベム。
おれも人間をやめたいよ、ディオ。

植物になりたいとよく考える。
光と二酸化炭素と水から力を得て、自立して生えている。
食事も着るものも家もいらない。

同じように、すごく燃費が良くてタフになりたいとも思う。
食事を取らなくても良くて、暑さ寒さに強く服を着なくても良い、家がなくてもそこら辺で睡眠が取れる。
植物は哺乳類が進化した姿なのではないかという、ぶっ飛んだアイデアにまで思いが至った。

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中島みゆきさんの「瞬きもせず」という曲が好きだ。
初めて聞いたのは大学時代だった。
今でもポジティブになりたい時用のプレイリストに入れてある。
歌詞に以下のような一節がある。

『ああ、人は獣
牙も毒も棘もなく、ただ痛むための涙だけを持って生まれた
裸すぎる獣たちだ』

私は、この「痛むための涙」をずっと「痛むための心」だと思っていた。
沢木耕太郎氏の深夜特急で、横浜に寄港したことがあるというギリシャ人の船乗りが言っていたある言葉が頭のなかにあったからだと思う。
彼は、短い滞在で覚えた片言の日本語で「イタムワタシ、イタムココロ」と言っていたのだ。

孤独と人間関係の軋轢は、それぞれ違った方法で人の心を傷つける。
社会性を組み込まれたヒトという種族である以上、逃げ場所はないのかもしれない。


Singles 2000
中島みゆき
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
2002-04-17

 

『テレビは強制的に貴重な時間を奪う。貴重というのは、その時間に素晴らしいことが出来るのに、というのではない。退屈で不安な時を奪うからこそ、テレビは敵なのだ。不安で退屈だから、人は考え何かを作ろうとする。』

沢木耕太郎氏の若き日のノンフィクションに出てくる言葉だ。
元売春婦を対象とした養護施設に関するルポルタージュ(「棄てられた女たちのユートピア」「人の砂漠」に収録※1 )で、養護施設の発起人であり運営者であるラディカルな牧師が語る。

足元の10年くらいのトレンドだろうか。
情報媒体の多様化とコンテンツの低質化を背景に、テレビ離れが加速している。
それゆえ、テレビの話についていけず、「テレビはWBSと深夜アニメくらいしか見ないから」と言うと、「最近そういう人多いよね」という返事が返ってくる。
その評価には異論がある。
私がテレビを見ないのはここ10年のトレンドではなく、昔からなのだ。
わざわざ話の流れを折ってまで否定することはしていないけれど。

小中学生の時分に、友人達が連続ドラマやバラエティの話をするようになっても、私は歌番組ぐらいしか見ていなかった。
大学生になると、女子アナの話がよく出てくるようになるが、私は誰が誰なのか良く分からなかった。※2
就職活動の時期になると、多くの同級生がテレビ、新聞、出版、広告代理店を受験していたが、私は受けなかった。
文章を書くのが好きで経済にも興味があったので日経新聞だけ受けた。

自分なりに思うところは2つある。
1つは、決まった時間にテレビの前にいないといけない点が不便であるということ。
Twitterのまとめで見たのだが、ある教員がテレビを見ない理由を生徒に聞いたところ「だって動画が途中から始まりますやん」という回答が返ってきたとのこと。
なるほどと思った。
コンテンツへのオンデマンドのアクセスという点では、テレビはYoutubeはおろか新聞よりも劣っている。
私もWBSと深夜アニメもリアルタイムではまず見ない。
HDDに録画して平日の炊事の際に見ている。

2点目は、製作者や出演者の内輪のネタで盛り上がるようなプログラムに上手く溶け込めないという点がある。
昨今のバラエティが芸人が内輪で盛り上がっていてつまらないという批判は実際によく聞く。
内輪ネタがつまらなく感じるのは、内輪ネタに溶け込むにはその前提についての知識が必要で、それは出演者やコンテンツを継続してフォローしている人にしか分からないからだ。
私が感じた例を挙げると、「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」で、山崎邦正モリマンモリ夫が戦う企画があった。
ゴボウしばき合い対決アツアツあんかけ対決など、非常に馬鹿らしく面白いコンテンツだった。
だが、企画が回を重ねると、冒頭にココリコ遠藤がエールを送るという様式が確立されていき、本編の前の短くない時間がそれに費やされるようになった。
出演者も観客も爆笑しているのだが、私は笑いどころが分からなかった。※3

※1.この「人の砂漠」は、単行本の発刊が昭和52年と実に40年近く前の作品集だが、現代でも色あせた印象は受けない。
ノンフィクションというより現代のおとぎ話のような様相のエピソードが多いからであろうか。
単行本でも手に入るし、収録作の多くは文藝春秋刊の沢木耕太郎ノンフィクション第三集「時の廃墟」にも収められている。
※2.とはいえ、滝川クリステルさんと大江真理子さんは大好きでした。
※3.ちなみに、ゴボウは繊維質だから木で叩かれるのと同じくらい痛いらしい。無知の痛みはどのくらいだ。


 

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