帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

タグ:生き難さ

30歳を越えてから、残りの人生どのように過ごすべきかを良く考えます。
まだ答えは見つからないですが、読んでみて良かった本をまとめます。

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◯『働かないって、ワクワクしない?』 著者:アーニー・J・ゼリンスキー(邦訳:三橋由希子)

自由時間が沢山あればもっといろいろなことができるようになります。
自由時間を充実させるためのアイデアが沢山書かれているので、働くのが好きな人にも有用だと思います。

 ◯『持たない幸福論』著者:pha

私達は、親の世代や会社の上司の世代とは明らかに違う時代を生きています。
古い世代の常識に従うのではなく、自分で自分に必要な物を取捨選択する方が幸福になれるという本です。 

◯『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方2015』著者:橘玲

上の『持たない幸福論』とは趣旨が異なりますが、これも古いレジームに従っていては幸福になれないと指摘する本です。
『持たない幸福論』が考え方についての本だとすると、こちらは社会制度と経済についての視点で書かれています。
 
◯『ワーク・シフト』著者:リンダ・グラットン(邦訳:池村千秋)
2025年の世界はどうなっているかを予想し、私たちは働き方をどのようにシフトさせていけば幸せになれるかを考える本です。

◯『嫌われる勇気』著者:岸見一郎、古賀史健
他人との距離感が苦しい人にお勧めします。
「他人は自分を満足させるために存在するのではない」という言葉にはっとしました。

◯『アルケミスト-夢を旅した少年』著者:パウロ・コエーリョ(翻訳:山川紘矢、山川亜希子)
一つの物語に多くの寓話が散りばめられた、星の王子さまのような本です。
意志の力にフォーカスした記述が多く、前向きな気持ちになれます。

タイトル:僕はなぜ小屋で暮らすようになったか
著者:高村友也
出版社:同文館出版

東京大学文学部哲学科卒、慶応義塾大学大学院博士課程単位取得退学。
山梨に土地を購入し小屋を建てて生活する高村友也氏の著作。

「Bライフ」との出会い

初めて氏の存在を知ったのは、2年くらい前だ。
働かない生き方隠遁、といったキーワードで検索していたらとある掲示板の書き込みにたどり着いた。
「興味のあるやつは『Bライフ』で検索してみろ」
そう書かれていた。
検索すると、高村氏が土地を購入し、小屋を建て、自活して生活する日々を書き綴ったサイトに辿り着いた。
(今は氏のブログは健在のようだが、当時私が見た「Bライフ研究所」というサイトは無くなってしまったようだ。)
氏はそこで、自前の不格好な小屋にロケットストーブを設け、電力はソーラーパネルで発電しながら暮らしていた。
衝撃的だったのは、感情論に訴えたり精神論を主張するのではなく、淡々と合法的に自分の居場所を確保する取り組みをしていたことだった。
例えば、下水設備の無い状況での屎尿の処理については法律と地方公共団体の条例で方法が定められているが、氏は法規を紐解いた上で適切に対応し、それを記事にしていた。

孤独を望む生き方

高村氏は本書を含めて3冊の著作がある。
本書以外の2冊は、どちらかというと小屋での生活にフォーカスした内容だ。
本書は、氏の生い立ちから始まり、何故今のような生活を志向するようになったかというテーマで書かれている。
私が高村氏の考えに惹かれたのは、交友と交易を否定し、孤独であることを望んでいるように感じられたからだ。
本書の帯にも、「圧倒的な孤独と無限の自由」という言葉が書かれている。
それとは対照的に、企業に帰属した生き方へのオルタナティブであり、かつ交友と交易を否定することを志向する点に、自分との共通点を感じだのだ。

本書の内容は、同意できる点もあれば、よくわからない点もあった。
「死というのは、その人の本性を映し出す変幻自在のジョーカーカードのようなもの」
いずれ死ぬのだから楽に生きたい、いずれ死ぬのだから精一杯生きたい。
確かに、「死」を前提とすることは、自分の本音を抽出するためのプリズムの役割を果たす。
社会のシステムは、多数社にとって使い勝手が良いようにできている。
現代で言えば、組織に属し分業体制の中で働き賃金を得て、賃金で物とサービスを得るということになる。
多数派にとってやりやすいシステムにうまく馴染めないと社会不適合者ということになる。「だがこれは文字通り現行の社会に不適合なだけであって、それ以上でもそれ以下でもない。
平均的な人間に生きやすく出来ているのだから、不適合者が損をするのは当たり前である。」
この辺の割り切りは難しい。
私は、不適合と侮られること、蔑まれることを恐れてしまう。 
「つまり僕は、現代のメインストリームの生き方も嫌、人間関係の密な相互扶助的な生き方も嫌、そして自給自足するだけの力もない。
となれば、徹底的に質素に生きるしか無い。」
ここで、相互扶助的な生き方をも拒絶するのが、他の論者とは異なる点だ。
私はその主張にとても惹かれるのだ。

高村氏については「結局彼は裕福な家庭の子息なので、適当にぶらぶら生きていくだけの余裕があり、それを過剰に悲観的に書き出すことをコンテンツにしているだけだ」という指摘を掲示板で見た。
確かに文章を読んでいるとそういう印象も受ける。
私も生家の援助が期待できて、かつ生家への対面を気にしないで良いのであれば、大学院に進学したかった。
高村氏はその点について思い悩んだ節は見られない。
本書にも書かれているが、家族との関係は良好なのだろう
また、本書に出てくる「僕は恋愛経験も少ない方ではなかった」という記述は、他の文章のトーンと比べて唐突感を感じた。
著者も、他人からの見られ方を多少は気にしているところがあるのではないかと思った。 

綺麗事を言う人間に腹が立ってたまらない時がある。

「死にたい」
「生まれてこなければよかった」
「働きたくない」
「疲れた」
「独りでいるのが好きだ」
「結婚する気はない」
「子供はいらない」
「人と話したくない」

こういう主張に対して正論で反対することは簡単だ。
こちらはこちらで、綺麗事の反論は言われ慣れているし、こう来るだろうと想像し易いので、いちいち傷つかない。
ただ、相手が自分が抱えているような悩みを持ったことがないのだろうということに対して、妬ましくて狂いそうになる。
幸い、私の親しい人間たち(家族以外)は、苦悩にも多様性にも理解があるので、頭から否定するようなことは言わない。
ただ、綺麗事に対して口論に近い口調で論駁してしまい、それ以降没交渉になった人もいる。

生まれてきてよかったと考えている奴がいたら、それは嘘だと思う。
サラリーマンのくせに働くの楽しいという人間は、労働より楽しいことを知らないのだろうと思う。
一人でいるのが楽だということや、人と話すのが苦痛だということが理解できない人は、他者に対する想像力が足りないと思う。
社会を必要とする人間と、必要としない人間がいるのだ。

いつものごとく「働きたくない」とか「働かないで生きる」でウェブを検索していたら、「人間やめたい」というワードに出会った。
いい言葉だ。
俺は人間になりたくないよ、ベム。
おれも人間をやめたいよ、ディオ。

植物になりたいとよく考える。
光と二酸化炭素と水から力を得て、自立して生えている。
食事も着るものも家もいらない。

同じように、すごく燃費が良くてタフになりたいとも思う。
食事を取らなくても良くて、暑さ寒さに強く服を着なくても良い、家がなくてもそこら辺で睡眠が取れる。
植物は哺乳類が進化した姿なのではないかという、ぶっ飛んだアイデアにまで思いが至った。

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中島みゆきさんの「瞬きもせず」という曲が好きだ。
初めて聞いたのは大学時代だった。
今でもポジティブになりたい時用のプレイリストに入れてある。
歌詞に以下のような一節がある。

『ああ、人は獣
牙も毒も棘もなく、ただ痛むための涙だけを持って生まれた
裸すぎる獣たちだ』

私は、この「痛むための涙」をずっと「痛むための心」だと思っていた。
沢木耕太郎氏の深夜特急で、横浜に寄港したことがあるというギリシャ人の船乗りが言っていたある言葉が頭のなかにあったからだと思う。
彼は、短い滞在で覚えた片言の日本語で「イタムワタシ、イタムココロ」と言っていたのだ。

孤独と人間関係の軋轢は、それぞれ違った方法で人の心を傷つける。
社会性を組み込まれたヒトという種族である以上、逃げ場所はないのかもしれない。


Singles 2000
中島みゆき
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
2002-04-17

 

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