帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

社会

社会保障の非受益者(罰せられているという感覚)

ある日友人の一人がこう言った。
「役所よりもアマゾンの方がよっぽど役に立つ。」
僕はその時ロバート・ライシュ『格差と民主主義』を読んだあとだったので「行政サービスは結構実感がわかないように提供されている(上下水道やごみ処理にどれくらいお金がかかっているか僕らはあまりにも無知だ)から過小評価されがちだから、ダイレクトにサービスの恩恵を実感できる小売と比較するのはフェアじゃない」と、たしなめるようなことを言った。
関連記事:『格差と民主主義』の感想
とはいえ、彼の言うことも正しい。
僕たちはまっとうに生きれば生きるほど、社会保障の非受益者になる。
僕はこれまでに2回転職しているけれど、どれも次を決めてから辞めたので失業給付を受けたことはない。
僕の生まれ育った家庭は貧しい上に息苦しかったけれど、生活保護が出るほどでは無かった。
今でこそ精神科に通院する身だが、それまではずっとコンタクトレンズの処方と数年おきの虫歯の治療以外に健康保険を使うことは無かった。
まっとうに生きるのが辛くて、その枠を維持するために血反吐を吐いているようなときも、基本的に社会保障は助けてくれない。
少なくとも僕たちがまっとうな外形を持っている限りは。

割り切れない非受益者

弱者を助けるような施策は倫理的には肯定されやすいが、心理的には(特に匿名の場では)批判されやすい。
これは、おそらく僕たちのゼロサム思考ゆえだ。
僕たちは、社会的弱者の保護が社会全体の厚生と効用を高めるだろうと、想像することはできる。
社会にセーフティネットがあれば、社会的弱者はハッピーだし、セーフティネットの財源を負担する市民も自分が弱者に回った場合に安心だと考えられるからハッピーだ。
これはプラスサムの世界だ。
一方、ゼロサム思考の世界では、社会的弱者のためのセーフティネットは収入を有する人間の損失によって成り立っている。
自分以外の社会的弱者に費やされる金銭が自分から奪われなければ、自分の欲求のために使って快楽を得ることが出来るし、貯蓄や投資に回して安心や自由を得ることが出来る。

正直に言うと、私も社会的弱者を助けるために自分の収入の一部が社会保険料や税金として召し上げられることが不満だ。
自分だって毎日働くのが辛くて辛くて仕方が無いのに、どうして他人を助けるために自分の収入を奪われるのだろう。
ホームレスも老人も障害者も大変なのだろうと想像は出来る。
でも、私だって生きるのが辛い。
どうして辛い私が、他人に手を差し伸べなければいけないのだろうか。
働くのが嫌で、アル中になって、過食嘔吐をして、不眠症になって、うつになった。
しかし、職と収入があり障害者に該当しないという外形ゆえに、自分は助けられる側ではなく助ける側に分類されてしまう。

罰せられているという感覚


格差研究の分野でピケティの師匠筋にあたる経済学者のアトキンソンに『21世紀の不平等』(東洋経済新報社、山形浩生訳)という一般向けの本がある。
社会保障について検討する章で、英国のある母親の言葉が引用されている。
アトキンソンの論旨とは異なるが引用すると以下のとおりだ。
”夫婦が子供を一人しか持たない理由についての新聞記事のよれば、イギリスで、今の児童手当を受け取るには所得が高すぎる母親がこう述べたという。
「あたしたち、政府によって罰を与えられているように感じるんです。何の支援も受けられない。児童手当もなし、労働税控除もなし、託児所の無料時間もなし、何一つなし。すべて自己負担です。」

この「罰を与えられている」という表現は強烈に私の心を捉えた。
行政サービスによる富の再分配が格差の是正に寄与していることは実証的に示されている。
また、僕もたいして稼いでいる人間ではないので、僕よりも社会保障料や税金を取られている人間も相応にいるだろう。
だが、この疎外感はなんだろう。

僕は行政の定義する弱者ではないんです。
社会保障に拠出する側に分類されています。
でも僕も辛くてたまらないんです。
どうかどうか罰するようなことはしないでくれませんか。

ロバート・ライシュ 格差と民主主義
ロバート・B. ライシュ
東洋経済新報社
2014-11-21


クリントン政権で労働長官を務めたロバート・ライシュの本。
米国の格差の現状と新自由主義批判を展開しつつ、オキュパイ・ウォールストリートに参加した怒れる人々がどこに向かうべきかを述べる。
公共財の劣化は機会の不平等につながるという論理は行政サービスの必要性について私がこれまで見た中で一番説得力がある。
また、一律税率が詭弁であることの説明も明快だった。

21世紀の不平等
アンソニー・B・アトキンソン
東洋経済新報社
2015-12-11


著者はオックスフォードなどで教鞭を取った欧州の不平等研究の第一人者。
本書は、ピケティの21世紀の資本と比べると統計はあんまり出てこないが、格差是正のためにどのような施策をすべきかという提言が豊富。
課税に関する対立は結局「応益負担」と「支払能力」の2つの原理のどちらが正当と考えるかということに収斂するのかもしれない。
また、ファンドマネージャーの積極的な議決権行使が求められる昨今の風潮は、本書の資本の共有のアイデアはと同様に株式所有の機関化による資本の空洞化を危惧してのものだ。




再分配に関するアンビバレンツ

最近、流行ってた時期に読もうとして挫折したマイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう』を読んだ。
これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) [文庫]
 
同書は、正義に関わる価値観として幸福、自由、美徳の3つを挙げて、それぞれに関する思想を辿るような構成になっている。
例えば、幸福という軸ではベンサムなどの功利主義が紹介され、自由という軸ではリバタリアニズムやカント(以前の挫折の原因)が登場する。
その中の自由に関する議論では、格差と再分配が取り扱われている。

経済的な便益について考える場合、自由と平等は相反する価値だ(「経済的」以外の観点だと、「基本的に」相反する価値だ)。
自由に重きを置けば政府による所得の再分配は強制労働に類するものとして排除すべきだし、平等に重きを置けば格差の是正として政府による富の再分配が求められる。
再分配については、私の中には相反する2つの感情があり、それぞれが私の属性に還元できる。
市民(現役世代・平均よりいくらか上の所得層)としての私は再分配を否定したいし、相続財産を持たない者としては再分配を求めたい。

市民としての私

だいたい給与の24%ぐらいが源泉徴収される。
税が公共サービスの運営に必要だということは理解できるし、病気になることもあるので健康保険料の恩恵にもあずかっている。
もちろん、手放しで許容できるわけではない。
特に高齢者医療のために組合・協会健保(現役世代)から国民健康保険にかなりの金が流れている点はもっと意識されるべきだ。
(こちらのサイトの解説が詳しくためになった
(健保連の公表資料はこちら

ただ、一番納得いかないのは年金だ。
給付水準が下がることが予想される制度に無理矢理入らされ、自分の拠出した金が高齢者のために使われると言うのは腹立たしい。
よく、年金について「還ってくる」という表現が使われるが、積立方式ではなく賦課方式の年金では正しくない
我々から取り立てられた保険料は、現在の高齢者への給付に「使われている」のだ。
我々の世代への給付は、あくまで私達が受給者になった時の年金財政によって決まる。
面白いことに、ロンドン・ビジネス・スクールのリンダ・グラットンも投資銀行OBの藤沢数希も、先進諸国の年金制度の現状はねずみ講(ポンツィ・スキーム)だと指摘してた。
また、厚生年金の基礎年金部分と国民年金は財源を共有している(橘玲が著書で指摘していた)。
すなわち、給与所得者で厚生年金に加入している場合でも、未納率が極めて高い国民年金とちゃんぽんされているのだ。
(おそらく6ページ目の厚生年金歳出の「基礎年金給付費等基礎年金勘定へ繰入」がそうだろう。

以前書いたが、日本では少子高齢化で2003年に社会保障制度改革の最終電車は出発している。
(50歳以上の人口が有権者で多数派になると社会保障制度を縮小する方向での見直しは不可能になるということ。)
関連記事:橘玲「お金持ちになれる黄金の羽根の広い方」の感想文(後編) 
私たちは所得の続く限り、このネズミ講に付き合い、自分たちより幼い世代を巻き込んでいかないといけない。

相続財産を持たないものとしての私

大学に入って、周りに裕福な家庭の子女が多くてとても驚いた。
上場企業勤務、大学教員、はては政治家の子供もいた。
また、働くようになると、親世代が収益不動産を保有していたりする人が何人かいてさらに驚いた。
年収100万円生活の著者は、持ち家と相続した収益不動産(賃貸マンション)があるのでそもそも自分とは前提の違う人だった。
書評は書いたけど、実はむかつきながら読んだ。
関連記事:山崎寿人「年収100万円からの豊かな節約生活術」の感想文 
私が親世代から相続できそうなものは対応に困る田舎の一軒家くらいなのだから。

ピケティの「21世紀の資本」では、世代間の格差より同世代の中の格差が問題視されている(「21世紀の資本」は読んでいないがアゴラの池田信夫氏の解説書で読んだ)。
その理由は、世代内の格差は相続を通じて再生産されるからとのことだ。
確かに、世代内の格差のほうがより本源的な問題だとは思う。
相続財産が無い貧しい家に生まれても、教育や医療において優れた公共財の恩恵を受けられれば機会の平等はある程度担保される。
ただ、「親世代から引き継ぐ資産」という個々人の資質や人格から離れたものに大きな差があるというのは、感情的にどうしてもひっかかる。
持たざる家庭に産み落とされた者としては、相続税率の引き上げや資産規模に非対称的(富裕層ほど利用しやすい)な節税手段を潰すなどの対応も期待したいのだ。


結局のところ私は、一方ではフリードマンを支持し、もう一方ではマルクスに救いを求めている。

 
 




プロフィール

執筆者:マイナスニキ

30代会社員。
会社と業務は何回か変わったが、金融業界で10年ぐらい働いている。
会社勤めが好きじゃなく30歳くらいの時からアルコール依存気味になる。ここ数年は断酒とSLIPの繰り返しでうつ休職もしていた。
一人で出来る生業を見つけて会社に勤めないで生きることが目標。
好きな作家は太宰治と沢木耕太郎。

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