帰ってきたマイナス思考に自信ニキ

他人の言うことに流されたり傷ついたりしないで、自分の頭で考えて生きていきたい。

経済

本当はクレジットカードもポイントカードも無い経済圏が理想だと思う

僕は極めてケチな人間なので、ポイントを取り逃すと損をした気がして腹が立つ。
他人にはポイントが付くのに自分には付かないなんて我慢できない。
とはいえ、ポイントカードで財布がパンパンになるのも大嫌いだ。
財布には最低限のものだけ入れて軽くしておきたい。
使う機会が滅多に無いものを毎日持ち歩くと、それはそれで損をしている気がするのだ。
厳選を重ねて、財布に入れるクレカとポイントカードは以下のものまで絞りこんだ。

・LINEペイカード
プリペイドカードにすることで与信費用を削減したうえで、JCBの高い加盟店手数料をポイントバックに回すことで2%還元を実現するなりふり構わないカード。
去年から今年にかけての年末年始には4%還元というとんでもないキャンペーンをやっていた。
銀行口座連携すればLINEアプリからほぼ即時でチャージできる。
・楽天カード
楽天ポイントの経済圏にいる人には便利なカード。
通常1%還元で楽天ポイントがついてEDYのチャージでも0.5%だがポイントが付く。
本を定価で買う時はLINEペイで2%還元よりも楽天ブックスで楽天カード払いのほうが還元率が高い。
かっこ悪いと敬遠する人もいるらしいがそういう人はアメックスに会費払っとけばいい。
・Tカード
ファミマとマルエツで使える。
・ポンタカード
ローソンよりもローソンストア100でよく使う。
・ブックオフのポイントカード
僕が一番本を買っている店はアマゾンでも丸善でもなくブックオフ。
・EDYつきのプロントカード
EDYで払うとドリンクが10%OFFになるのでプロント行く人は持ってた方がいい。

あと、アプリで代用できるものはアプリにしている。
例えば、ヨドバシのポイントカードとHONTO(丸善とかジュンク堂で使える)のポイントカードはアプリにできる。

さて、ここまでせこせこした話を書いておいて恐縮なのだが、本当はクレジットカードもポイントカードも廃止できればそれが一番いいと思う。
加盟店がサービスプロバイダ(カード会社とかTポイントやポンタの運営元)に払う手数料を調べたことがある。
Evernoteに残ってる走り書きだと、クレカがだいたい4-7%(実はかなり幅があって風俗は10%オーバーでコンビニとかだと1%らしい)、Tポイントが3%+固定費、電子マネーだと2-4%程度らしい。
当然これらのコストは店の費用なので販売価格に上乗せされている。
ポイントや有利な決済手段で得したと思ったとしてもその分は小売価格には反映されている。
(もちろん現金払いの人は確実に損をしている。)
これは厚生年金の保険料とよく似ていると思う。
労使折半だから労働者に有利だと言っても、その分は公的年金として召し上げられなければ、雇用主から労働者に支払われているお金だ。
労働者は得したように見せかけて損してるし、雇用主もまぁ得はしていない。
得をしているのは制度を運営して雇用や利権を作っている国と現在の受給者である老人だ。
クレカやポイントカードも同じ話で、有利にポイントを貯めてる消費者は得してるように見えて損をしているし、店の側もどっちかと言うと損をしている。
得をしているのはカード会社とポイントサービスを運営する会社だ。

僕が良く行く店で、チェーン店にも関わらずクレジットカードが使えない上にポイントカードも無い店がいくつかある。
良く行く順に挙げると、ベローチェ、業務スーパー、サイゼリヤがそうだ。
安価な割に上質な商品を提供する点が共通しており、どの店も大好きだ。
クレカが使えないとブーブー言う人はスタバとかハナマサとかガストに行けばいいさ。
(とはいえ、現金は管理コストがかなり高くつくので、5%くらいの手数料であればクレジットカード払いは店からしても業務効率の面ではメリットがあると思うのだけど、それはまた別の話。)



社会保障の非受益者(罰せられているという感覚)

ある日友人の一人がこう言った。
「役所よりもアマゾンの方がよっぽど役に立つ。」
僕はその時ロバート・ライシュ『格差と民主主義』を読んだあとだったので「行政サービスは結構実感がわかないように提供されている(上下水道やごみ処理にどれくらいお金がかかっているか僕らはあまりにも無知だ)から過小評価されがちだから、ダイレクトにサービスの恩恵を実感できる小売と比較するのはフェアじゃない」と、たしなめるようなことを言った。
関連記事:『格差と民主主義』の感想
とはいえ、彼の言うことも正しい。
僕たちはまっとうに生きれば生きるほど、社会保障の非受益者になる。
僕はこれまでに2回転職しているけれど、どれも次を決めてから辞めたので失業給付を受けたことはない。
僕の生まれ育った家庭は貧しい上に息苦しかったけれど、生活保護が出るほどでは無かった。
今でこそ精神科に通院する身だが、それまではずっとコンタクトレンズの処方と数年おきの虫歯の治療以外に健康保険を使うことは無かった。
まっとうに生きるのが辛くて、その枠を維持するために血反吐を吐いているようなときも、基本的に社会保障は助けてくれない。
少なくとも僕たちがまっとうな外形を持っている限りは。

割り切れない非受益者

弱者を助けるような施策は倫理的には肯定されやすいが、心理的には(特に匿名の場では)批判されやすい。
これは、おそらく僕たちのゼロサム思考ゆえだ。
僕たちは、社会的弱者の保護が社会全体の厚生と効用を高めるだろうと、想像することはできる。
社会にセーフティネットがあれば、社会的弱者はハッピーだし、セーフティネットの財源を負担する市民も自分が弱者に回った場合に安心だと考えられるからハッピーだ。
これはプラスサムの世界だ。
一方、ゼロサム思考の世界では、社会的弱者のためのセーフティネットは収入を有する人間の損失によって成り立っている。
自分以外の社会的弱者に費やされる金銭が自分から奪われなければ、自分の欲求のために使って快楽を得ることが出来るし、貯蓄や投資に回して安心や自由を得ることが出来る。

正直に言うと、私も社会的弱者を助けるために自分の収入の一部が社会保険料や税金として召し上げられることが不満だ。
自分だって毎日働くのが辛くて辛くて仕方が無いのに、どうして他人を助けるために自分の収入を奪われるのだろう。
ホームレスも老人も障害者も大変なのだろうと想像は出来る。
でも、私だって生きるのが辛い。
どうして辛い私が、他人に手を差し伸べなければいけないのだろうか。
働くのが嫌で、アル中になって、過食嘔吐をして、不眠症になって、うつになった。
しかし、職と収入があり障害者に該当しないという外形ゆえに、自分は助けられる側ではなく助ける側に分類されてしまう。

罰せられているという感覚


格差研究の分野でピケティの師匠筋にあたる経済学者のアトキンソンに『21世紀の不平等』(東洋経済新報社、山形浩生訳)という一般向けの本がある。
社会保障について検討する章で、英国のある母親の言葉が引用されている。
アトキンソンの論旨とは異なるが引用すると以下のとおりだ。
”夫婦が子供を一人しか持たない理由についての新聞記事のよれば、イギリスで、今の児童手当を受け取るには所得が高すぎる母親がこう述べたという。
「あたしたち、政府によって罰を与えられているように感じるんです。何の支援も受けられない。児童手当もなし、労働税控除もなし、託児所の無料時間もなし、何一つなし。すべて自己負担です。」

この「罰を与えられている」という表現は強烈に私の心を捉えた。
行政サービスによる富の再分配が格差の是正に寄与していることは実証的に示されている。
また、僕もたいして稼いでいる人間ではないので、僕よりも社会保障料や税金を取られている人間も相応にいるだろう。
だが、この疎外感はなんだろう。

僕は行政の定義する弱者ではないんです。
社会保障に拠出する側に分類されています。
でも僕も辛くてたまらないんです。
どうかどうか罰するようなことはしないでくれませんか。

ロバート・ライシュ 格差と民主主義
ロバート・B. ライシュ
東洋経済新報社
2014-11-21


クリントン政権で労働長官を務めたロバート・ライシュの本。
米国の格差の現状と新自由主義批判を展開しつつ、オキュパイ・ウォールストリートに参加した怒れる人々がどこに向かうべきかを述べる。
公共財の劣化は機会の不平等につながるという論理は行政サービスの必要性について私がこれまで見た中で一番説得力がある。
また、一律税率が詭弁であることの説明も明快だった。

21世紀の不平等
アンソニー・B・アトキンソン
東洋経済新報社
2015-12-11


著者はオックスフォードなどで教鞭を取った欧州の不平等研究の第一人者。
本書は、ピケティの21世紀の資本と比べると統計はあんまり出てこないが、格差是正のためにどのような施策をすべきかという提言が豊富。
課税に関する対立は結局「応益負担」と「支払能力」の2つの原理のどちらが正当と考えるかということに収斂するのかもしれない。
また、ファンドマネージャーの積極的な議決権行使が求められる昨今の風潮は、本書の資本の共有のアイデアはと同様に株式所有の機関化による資本の空洞化を危惧してのものだ。




人手不足で賃金は上がらない、クオリティが下がる

少し前に、ウォール・ストリート・ジャーナル電子版で上手いタイトルだなぁと思う記事があった。
”賃金上昇という「神話」の終わり”
リンク:
WSJ電子版

金融緩和で資金はジャブジャブ、老人いっぱいで人手不足。
にも関わらず所得は増えない。
昇格して額面が増えても社会保障負担と税負担を差し引くとあんまり増えた気がしない。
働き方改革なんて言われているが、人を増やさないで労働時間を減らそうとすれば相当な労働強化になるだけだろう。
そんな状況なのに隣の部のジジイは暇そうにしていやがる。

そんな苛立ちを抱えた僕達のハートにグサッと来る。
グーグルニュースのピックアップ記事にあったら思わずクリックしてしまうだろう。
だが残念なことに有料会員限定記事だ!
Twitterや2ちゃんでは触りの部分だけ見て議論を展開する猛者もいる。
それだけ皆このヘッドラインには目を奪われるし、思うところがあるのだと思う。

どうして賃金が上がらない?

先日、記事の全文を読む機会があった。
記事の内容を踏まえて思ったことを書くと、賃金が上がらないポイントは大きく2つ。
1つは、物価が上がっていないこと。
賃金上昇=価格上昇+生産性上昇と考えると、インフレかイノベーションで賃金上昇をオフセット出来ないといけない。
2つ目は、人手不足で賃金が上がっているのは低所得者なので、マクロで見ると賃金上昇につながらないということ。
若年労働者や単純労働に就く外国人労働者の賃金が上がっても、30代や40代の労働者の賃金が年功序列で硬直的な状況では全体へのインパクトは小さい。
私は2つ目の視点が特に興味深いと思った。
確かに「賃金」と一口に言っても労働も労働者も多種多様だ。
自分には見えていない職種や関係ない人の賃金は上がっているのかもしれない。
ただし、熟練労働者を非熟練労働者に置き換える方向の変化は、全体としては(一時的であっても)労働力の質の低下になり、マイナスだという指摘もある。
また、人手不足による賃金上昇が発生しない層については、現行の賃金水準に不満があるのであれば、従前と同様雇用主を変えるか別の収入源を作る以外に所得を増やす方法は無い。

クオリティを下げるという選択をしているのではないか

ここからは記事の視座とは関係ない話だが、人手不足でも賃金を上げないがためにオリティが下がるという現象も起きていると思う。
都内のコンビニだと、深夜のバイトはだいたい外国人だ。
我が国はコンビニバイトをするためにビザは発給しないので、彼等は留学生か研修生か日本人の配偶者ということになる(ほんまかいな)。
東アジア系は以前から多かったが、ここ数年東南アジア系やインド系のスタッフが増えたように思う。
本当はどんな綴りなのだろうと興味を引くような名前が、平仮名でネームプレートに書かれていたりする。
日本人が避けるくらいなので、コンビニの労働はハードだ。
レジ打たなあかんし、品出しせなあかんし、宅配便の受付やコンビニ受取対応もせなあかんし、チケットの発券や収納代行もせなあかんし、自治体の粗大ごみ収集券や切手も売らなあかん。
煙草を銘柄で注文する客がいる(銘柄、ニコチンの強さ、ロング/ショート、ソフト/ボックスの区分がある極めて複雑な商品)し、過剰なサービスを求めてクレームつけてくるやつもいる。
こんなハードな接客業を言葉の壁がある外国人スタッフがやる以上、サービスのクオリティが下がるのは避けられない。
利ざやの薄い商売で客が偉そうにするのは大嫌いな私だが、同じ店で立て続けにEdyで頼んだのにSuicaで決済された時は思わず「勘弁してくれよ!」と叫んだ。

でも仕方がない。
我々は、値上げを受け入れてるよりも、安い金で最大限に物とサービスを買い叩く方を選んでいるのだから。

『生きるのがつらい』療養論3 資本論と人間嫌いの葛藤

療養中に、資本論の解説書を読んだ。

資本主義の解説書を求めて

私はこれまで、資本主義というものをあまり疑わなかった。
ニュースの意味を理解するようになる前に、ベルリンの壁もソビエト連邦も崩壊していた。
私が生まれ育った時代には、共産主義はすでに枯れた思想だったのだ。
政治思想を学ぶ中で、能力や生産に応じてではなく必要に応じて分配を受けるという共産主義の理念に共感はしたが、それは人間には実現不可能な夢の世界のように思われた。
市場を通した分配がうまくいくとは限らないが、私はそれ以上にオーソリティーによる分配のほうが信用できないと思う。 
ただ、共産主義が資本主義の代替として実現し得ないとしても、私が嫌悪する過剰な労働を生む装置(24時間営業やワンオペや残業ありきの社風)が資本主義の産物だということも事実だ。
共産主義の入門書ではなく、文字通り資本主義の解説書として資本論を学びたいと思った。

ちなみに、私が初めて資本論に言及する文章を読んだのは、『ナニワ金融道』で知られる漫画家の青木雄二のエッセイだった。
なんでも、青木は漫画家になる前に自分が作ったデザイン会社を倒産させてしまった経験があり、仕事がない時期に資本論を読んだことがきっかけでマルクスに傾倒するようになったという。
幸か不幸か私も当時の青木とちょっと似た状態だ。
資本論の勉強をするにはちょうどよいタイミングだろう。
とはいえ、原著を読むのは骨が折れそうなので、薄い解説書と厚い解説書を読むことにした。
カール・マルクス: 「資本主義」と闘った社会思想家 (ちくま新書) [新書] (薄い解説書)
〈資本論〉入門 [単行本] (厚い解説書)

資本論は結構思慮深かった

読んでいると、想像していた以上に思慮深く現代的な記述が多く驚いた。
例えば、労働者に対して猛々しく団結を説く共産党宣言とは異なり、資本論では「資本家」と「労働者」を個々の人格としてではなく、あくまで抽象的な役割として論じている。 
現代では、証券口座が市民にもく普及しており、公的年金や保険を通した間接的な保有も合わせれば国民の多くが「株主」としての顔を持つ。
このように、資本が一定程度民主化され「労働者」が「資本家」を兼ねるようになった現代においても、「資本家」と「労働者」を社会構造における役割として考えるのであれば一般性は失われない。

資本論と働くのが嫌いでケチな私

特に印象的だったのは、資本論における商品論と貨幣論が、私の労働嫌悪ゆえの思考や貨幣観と整合的だったことだ。
当サイトにもしょっちゅう書いているのだが、私は働くのが嫌になってからお金が使えなくなったし、お金を使わないと生命が維持できない人間は呪われた存在だと考えている。
だが、そのような考えとは裏腹に、私はお金を嫌悪するのではなく、自分に自由を与えてくれるものとして心の底から欲している。

資本論と照らして見てみよう。
1.労働力商品
生産手段を持たない労働者である私は、労働力以外に売る物がない。
持たざる者として「労働力を売る自由」があるのみだ。
2.労働力の価値
そして、労働力の値段は労働の再生産にかかる費用から決まる
明日からまた働けるだけの状態を維持するための費用が労働力の対価として支払われるのだ。
それゆえ、妻子がいない私のような人間でも、衣食住を満たしたうえで手元に残る金額は多くない。
賃労働に身をおく限りは、働けなくなるまでそれから解放されないのだ。
また、私は常日頃から、労働力を売ることで労働者に発生する出費はばかにならないと考えていた。
例を挙げると、以下のような具合だ。
・自分で食事を作る時間を奪われるために外食に高い費用を払わねばならない。
・仕事のストレスの発散のために娯楽や遊行にお金を使う誘惑にかられる。
・休日が他の労働者と集中するので、レジャーなどで混雑する時期に高額な費用を払わねばならない。
・古本屋を回ったりオークションを調べる時間が無いため、中古品を安く手に入れる機会が限られる。
高ストレスで拘束時間が長い仕事ほど給料が高いのは、労働力の再生産コストが高いからだという理解も成り立つ。
賃金が労働力の再生産のためのコスト分だけ支払われるのであれば、衣食住や娯楽を削って自己を再生産する費用を下げることでしか僕たちは自分の手元に金を残せないことになる。
そのように考えると、生命の維持はやはり呪いだ。 
3.貨幣のフェティシズム
貨幣から商品への交換は「一般」から「特別」への交換である。
そして、他の多数の商品と交換可能な貨幣はいつしか特殊な価値を持つようになる。
特別な財だとみなされるようになった貨幣は、単なる流通の便宜のための道具ではなく、人間の行動様態に影響を及ぼすようになる(物象の人格化)。
貨幣を際限なく貯蔵する欲求を抱かせるだけでなく、貨幣を通じて実現される自由、平等、所有が人間の普遍的な権利であるというイデオロギーを形成させる。
貨幣は私の中では、お金があればコミュニケーションを削減できる、お金があれば働かなくても良い、お金を稼いでいるうちは家族にも文句は言われない、という思考として人格化した。
他者からの自由のために貨幣を求めてやまない私は、賃労働を嫌いながらも貨幣のフェティシズムに支配されている。

(その他にも「分業は労働者を疎外する」とか「生産力の向上は過剰な労働力を生むから労働者に不利になる」といったことは覚えておくと健全な他者転嫁をする上で有用だと思う。)

資本論と人間嫌いな私

このように、資本論は結構私の悩みにしっくり来る思想だったのだが、引っかかる点も相応にあった。
一番疑問だったのは、マルクスは資本主義以前の家族や共同体のような人間関係を美化しすぎているのではないかということだ。
例えば家族について言えば、共産党宣言に以下の文言が出てくる。
”ブルジョア階級は、家族関係からその感動的な感傷のヴェールを取り去って、それを純粋な金銭関係に変えてしまった。”
とてもじゃないが、私は家族がそんなにロマンティックなものだとは思えない。
また、濃密な地縁関係の中で生きるよりも隣人を気にせず暮らせる現代の都市生活の方が煩わしくないし、徒弟制度よりも本とネットで勉強する方が気が楽だと思う。
私は地縁・血縁の共同体の一員として生きたり、革命のために他の労働者と団結するよりも、貨幣で結ばれた関係の方が気楽なのだ。

階級闘争よりも身近な感情

私は労働と貨幣から生じる生き難さを持っている一方で、貨幣から離れて濃密な人間関係の中で生きていくこともしたくない。
袋小路のような資本の迷宮の中で、なんとなく救いがあるように感じたのは、ヨーゼフ・シュンペーターの言葉だった。
シュンペーターは経済学者としてのマルクスの功績を高く評価しており、著書の『資本主義、社会主義、民主主義』の最初の章を社会主義、すなわちマルクスの経済理論の考察に当てている。
その中で彼は、
「マルクスは労働者の本音を階級意識に基づく社会発展という啓示にすり替えた。実際には、多くの労働者はプチブルジョアになりたいと考えている。」
という、身も蓋も無いがその通りのことを言っている。

幸福は比較の中で感じられることが多い。
他者との比較によってもたらされることもあるし、過去との比較(すなわち変化)の中で感じられることもある。
労働者がプチブルジョワになると他者との比較でも過去の自分との比較でも幸福を感じられる。
疲れることが多いけれど「能力を発揮して対価を得て、過去の自分や他者よりも豊かになる」ことには、やはり抗いがたい魅力があるのだ。

資産家の家に生まれて労働をしなくてもいい人間がいることは不公平だと思うし、そういう人はとてもうらやましい。
働く時間と場所に自分の自由が無いことや、社会や会社のつまらないルールに従わなければならないことは辟易する。
そのような、生まれながらの富の偏在と画一的な賃労働を生む資本主義には不満がある。
だが、全ての人間が寝て暮らせる時代は無かったし、他者との距離は資本主義以前の社会の方が近かった。
だから、もうしばらく降りないで働いてみようと思った。
一応、資本主義は人間嫌いな私にはそれなりにフィットしているような気がするから。

 
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私が今回読んだ「薄い解説書」。
『大学四年間の哲学が10時間でざっと学べる』(KADOKAWA)で推薦図書として挙げられていたので最初に読んだのだが、要点がわかりやすくまとまっているとても良い本だった。
資本論の概要の説明が100ページくらいでされている恐るべき本(残りの150頁ではマルクスの生涯と最近のマルクス研究について解説している。)。
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「厚い解説書」はこちら。
著者のハーヴェイはニューヨーク市立大学で経済地理学とマルクスを研究しており、米国中で資本論の講義をしている。
本書は資本論を読み通すためのガイドとして書かれたもので、資本論の構成に沿って適宜原文を引用しつつ、現代的な解釈も絡めた説明をしている。
読みにくい本では無いのだが、初めの数章は原著がそもそも難解なので、200ページ位までは全部理解しようとして読まないほうが良いと思う。 
 

再分配に関するアンビバレンツ

最近、流行ってた時期に読もうとして挫折したマイケル・サンデル『これからの正義の話をしよう』を読んだ。
これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫) [文庫]
 
同書は、正義に関わる価値観として幸福、自由、美徳の3つを挙げて、それぞれに関する思想を辿るような構成になっている。
例えば、幸福という軸ではベンサムなどの功利主義が紹介され、自由という軸ではリバタリアニズムやカント(以前の挫折の原因)が登場する。
その中の自由に関する議論では、格差と再分配が取り扱われている。

経済的な便益について考える場合、自由と平等は相反する価値だ(「経済的」以外の観点だと、「基本的に」相反する価値だ)。
自由に重きを置けば政府による所得の再分配は強制労働に類するものとして排除すべきだし、平等に重きを置けば格差の是正として政府による富の再分配が求められる。
再分配については、私の中には相反する2つの感情があり、それぞれが私の属性に還元できる。
市民(現役世代・平均よりいくらか上の所得層)としての私は再分配を否定したいし、相続財産を持たない者としては再分配を求めたい。

市民としての私

だいたい給与の24%ぐらいが源泉徴収される。
税が公共サービスの運営に必要だということは理解できるし、病気になることもあるので健康保険料の恩恵にもあずかっている。
もちろん、手放しで許容できるわけではない。
特に高齢者医療のために組合・協会健保(現役世代)から国民健康保険にかなりの金が流れている点はもっと意識されるべきだ。
(こちらのサイトの解説が詳しくためになった
(健保連の公表資料はこちら

ただ、一番納得いかないのは年金だ。
給付水準が下がることが予想される制度に無理矢理入らされ、自分の拠出した金が高齢者のために使われると言うのは腹立たしい。
よく、年金について「還ってくる」という表現が使われるが、積立方式ではなく賦課方式の年金では正しくない
我々から取り立てられた保険料は、現在の高齢者への給付に「使われている」のだ。
我々の世代への給付は、あくまで私達が受給者になった時の年金財政によって決まる。
面白いことに、ロンドン・ビジネス・スクールのリンダ・グラットンも投資銀行OBの藤沢数希も、先進諸国の年金制度の現状はねずみ講(ポンツィ・スキーム)だと指摘してた。
また、厚生年金の基礎年金部分と国民年金は財源を共有している(橘玲が著書で指摘していた)。
すなわち、給与所得者で厚生年金に加入している場合でも、未納率が極めて高い国民年金とちゃんぽんされているのだ。
(おそらく6ページ目の厚生年金歳出の「基礎年金給付費等基礎年金勘定へ繰入」がそうだろう。

以前書いたが、日本では少子高齢化で2003年に社会保障制度改革の最終電車は出発している。
(50歳以上の人口が有権者で多数派になると社会保障制度を縮小する方向での見直しは不可能になるということ。)
関連記事:橘玲「お金持ちになれる黄金の羽根の広い方」の感想文(後編) 
私たちは所得の続く限り、このネズミ講に付き合い、自分たちより幼い世代を巻き込んでいかないといけない。

相続財産を持たないものとしての私

大学に入って、周りに裕福な家庭の子女が多くてとても驚いた。
上場企業勤務、大学教員、はては政治家の子供もいた。
また、働くようになると、親世代が収益不動産を保有していたりする人が何人かいてさらに驚いた。
年収100万円生活の著者は、持ち家と相続した収益不動産(賃貸マンション)があるのでそもそも自分とは前提の違う人だった。
書評は書いたけど、実はむかつきながら読んだ。
関連記事:山崎寿人「年収100万円からの豊かな節約生活術」の感想文 
私が親世代から相続できそうなものは対応に困る田舎の一軒家くらいなのだから。

ピケティの「21世紀の資本」では、世代間の格差より同世代の中の格差が問題視されている(「21世紀の資本」は読んでいないがアゴラの池田信夫氏の解説書で読んだ)。
その理由は、世代内の格差は相続を通じて再生産されるからとのことだ。
確かに、世代内の格差のほうがより本源的な問題だとは思う。
相続財産が無い貧しい家に生まれても、教育や医療において優れた公共財の恩恵を受けられれば機会の平等はある程度担保される。
ただ、「親世代から引き継ぐ資産」という個々人の資質や人格から離れたものに大きな差があるというのは、感情的にどうしてもひっかかる。
持たざる家庭に産み落とされた者としては、相続税率の引き上げや資産規模に非対称的(富裕層ほど利用しやすい)な節税手段を潰すなどの対応も期待したいのだ。


結局のところ私は、一方ではフリードマンを支持し、もう一方ではマルクスに救いを求めている。

 
 




ブラックフライデーか無買デーか

今年は日本の小売業も結構ブラックフライデーと銘打ってセールをやるようだ。
これまでもGAPのような外資系の小売チェーンではやっていたようだが、イオンは今年が初めてらしい。
(リンク:livedoorニュース

ブラックフライデーの位置づけ

簡単に説明すると、Black Fridayは米国のカルチャーで、Thanksgiving Day(感謝祭,11月の第4木曜日)の翌日の金曜日のことだ。
オフィシャルな休日ではないが、Thanksgibinv Dayと土日の間だから休暇を取る人も多いらしい。
この日は、米国の年間個人消費の2割を占めるとされる年末商戦(クリスマス商戦)のスタート日と位置づけられている。
なんでも小売業の帳簿が黒字になるのでブラックフライデーなのだとか。
年末商戦の動向は米国経済のファンダメンタルズを見る上でそれなりに大切なので、小売大手のブラックフライデーの売上がニュースでも報じられる。
余談だが、黒字と赤字は英語でも同様にblackとredと知ったときはへぇと思った。
とっさには出てこないのでprofitとlossとかsurplusとdeficitを使ってしまうけれど。

無買デーという考え方

これに対して、大量消費社会への反発から、この日を無買デーにしようという動きもある。
(リンク:Wikipedia-無買日
私はアイルランド人のフリーエコノミー活動家マーク・ボイルの書いた『僕はお金を使わずに生きることにした』という本で知った。

ここ数年断捨離ミニマリストに関する本がそれなりに支持を集めているのは、消費のあり方に疑問を持つ人が増えているということだろう。
こんまりさんの『人生がときめく片づけの魔法』は米国でもかなり売れているそうだ。

私もこの無買デーという考え方を知ってから、意図的にお金を使わない日をたまに作ることにしている。
家賃や光熱費などの固定費は目をつぶるほかないが、仕事のある平日をお金を使わないで切り抜けられるとそれなりに達成感がある。

ケチな私の考え方

ただ、消費を煽る企業や社会に懐疑的になるのは良いことだが、吝嗇や将来の不安ゆえに自分が欲しいものにもお金を使えないというのも考えものだ。
現代人が将来の不安を完全に払拭するだけのお金を手にすることは極めて難しい。
私は根がケチなので、不必要なものを買わないのと同じくらい、現在の自分の人生を豊かにしてくれるものにお金を使うことを心がけたいと思っている。

サイバーマンデー

ちなみに、ブラックフライデー後の週末に続く月曜日をサイバーマンデーと言う。
言うなればeコマース版のブラックフライデーだ。
感謝祭の休暇が明けて出社した人々が、会社のパソコンからインターネットショッピングにいそしむのだ。
おそらく高速インターネットがあまり普及していなかった時代に始まったのだと思うが、最初に聞いたときは、米国人はフリーダムだなーと思った。
Amazonは日本でも以前からサイバーマンデーセールをやっている。
型落ちのデジタル一眼レフが手頃な価格で売られていたこともあったので、覗いてみても良いかもしれない。


 

『危機の宰相』低成長の時代だからこそ「所得倍増」を振り返る

タイトル:危機の宰相
著者:沢木耕太郎
出版社:文春文庫(または『沢木耕太郎ノンフィクションⅦ 1960』(文藝春秋刊)にも収録)

1960年に成立した池田勇人内閣の中心政策であった「所得倍増」についてのノンフィクション。
総理大臣・池田勇人、エコノミスト・下村治、宏池会事務局長・田村敏雄
大蔵官僚としては「敗者」であった3人の男達を中心に、高度経済成長に至る時代を描く。
特に、下村の経済理論を咀嚼し、池田に現実的なビジョンとして提示した田村敏雄への評価は、後の日本経済史の研究にも影響を与えているという。
解説で沢木自信が、本作は政治に関するテーマを扱っているが、スポーツを書くように書いたと述べている。
実際に、中心となる3人の人生の描写はドラマティックで、ノンフィクションではなくは小説作品を読んでいるような感覚になった。

本書は、池田が1964年に咽頭がんで退任してから一時代を経た、1977年に書かれた。
当時参照可能であった池田政権に関する文書や、関係者への取材に基いて書かれている。
もっとも、3人の中心人物のうち、執筆時に存命だったのは下村治のみであった。
本書は250ページに及ぶ長編でありながら、長らく書籍化されなていなかった。
2004年の全集刊行時に手を入れ、池田勇人の首相就任と同年に発生した浅沼稲次郎刺殺事件をテーマにした「テロルの決算」とともに「1960」というタイトルで1冊にまとめられた。現在では文庫でも出版されている。
私は全集の方で読んだのだが、著者自身による解説ともいうべき「未完の六月」という小編が収録されているため、どっぷりハマりたい方にはこちらを勧める。
ただ、文庫版では下村治の息子である下村恭民氏が解説を書いている。
こちらも機会があれば読んでみたい。
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プロフィール

執筆者:マイナスニキ

30代会社員。
会社と業務は何回か変わったが、金融業界で10年ぐらい働いている。
会社勤めが好きじゃなく30歳くらいの時からアルコール依存気味になる。ここ数年は断酒とSLIPの繰り返しでうつ休職もしていた。
一人で出来る生業を見つけて会社に勤めないで生きることが目標。
好きな作家は太宰治と沢木耕太郎。

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